コーヒーショップ、香水瓶、書く
サンのバイト先は喫茶店だ。
初老の夫婦が経営しており、交代でどちらか、あるいは両方が店に出ている。
今日は、旦那の方で、奥さんの方は買い物に出ていた。
高校生のころはそうでもなかったが、喫茶店でバイトを始めてから、サンはコーヒーをよく飲むようになった。
においに慣れた、というのもあるかもしれない。
駅前や商店街など、コーヒーショップを見ると、ふらふらと入っていってしまう程度には、コーヒーに興味を惹かれるようになっている。
そのうち、豆を挽いて自分でコーヒーを入れ出すだろう。
今はまだ、インスタントで大丈夫なようだが、
「サイフォンって、いいよね・・・・・・」
ぽつ、とサンがつぶやき、はなはん、と喫茶店のカウンターへと目を向ける。
今日は、サンはバイトの日だ。
だから、はなも喫茶店に来ている。
客の少ない時間を見切って店に来るはなに、サンは毎回すごいなあ、と思っている。
サンはカウンターで洗った食器を拭きながら、つい、と横へ目を向ける。
カウンターの奥の棚の上に、滅多に使われないサイフォンがある。
この店のマスターは、基本的にコーヒーというとネルドリップで淹れる。
エスプレッソマシンを使うこともあるが、大概はこちらだ。
こだわり、らしい。
フレンチプレス、マキネッタ、ミルなども、奥の棚には並んでいる。
その中に、サイフォンはある。
「・・・・・・ぼくさ、まだあれでコーヒーを入れているところを見たことがないんだよね」
「そうなんですか?」
「イメージだけはある」
イメージだけは、とサンはつぶやく。
「・・・・・・ひっくり返すんだっけ?」
「いきなり間違ってますが」
あれ、とサンは首をひねった。
「なんか、下で火で水を沸騰させた後、水が上に行ったらひっくり返す、みたいなイメージが・・・・・・」
「なんです? その変なイメージ。・・・・・・何かのアニメの影響でしょうか」
「いや、全然分かんないけど・・・・・・。フラスコの上下をくるりと回転させるイメージがあるんだよ、ね」
「そんなことしませんよ。ていうか、そんなことしたらこぼれるじゃないですか」
「・・・・・・だよねえ・・・・・・」
うーん、とサンは腕を組んで悩んでいる。
「サイフォンは、下のフラスコで沸騰したお湯が上のろ過するところに上がり、火を止めると下のフラスコに吸い込まれるんですよ」
「なんで?」
「・・・・・・詳しい仕組みはうまくわかりませんが、推測するに蒸気圧じゃないですか? 下のフラスコのは密閉されていますから、水が沸騰して蒸気になれば、フラスコの中の圧力が上がって、上に水が押し上げられ、火が消えると下のフラスコの中身は冷えますから、蒸気がなくなって、コーヒーが下がってくると・・・・・・」
「・・・・・・おー。さすがはなさん。なんかそれっぽい」
サンは感嘆の声を上げているが、はなは少し渋い顔をしている。
「・・・・・・なんか、思いつきと推測で適当なことを言っているので、合っているかどうかはすごく不安ですね」
言っている間に、はなも気になりだしたのか、サイフォンをじっと見る。
「でもさ、サイフォンには妙にこう、コーヒーっていう感じない?」
「言わんとする気持ちはわかります。何言っているのかはよくわからないですが」
コーヒーを入れる器具として、一番有名なのではないか、とサンは思う。
「ただ、パーツ多いから片付けるのが大変そう」
「洗いにくそうですしね」
「でも、そういう使いにくそうなものだからこそ、あれでコーヒーを淹れるとプロって、感じじゃない?」
「なるほど、気持ちはわかります」
うんうん、とはなは頷き、
「というか、後ろの棚の器具って使わないんですか?」
「うーん。お客さんから注文あったら使うこともあるらしいけど、なんだかんだ淹れるまでに時間がかかるから、特に何か言われない限りは使わないって。・・・・・・まあ、マスターも実は使いたいっぽいけど」
サンはマスターの方を窺い、はなに顔を寄せると小声で、
「たまに、カウンターに座ったお客さんにうんちく聞かせて、注文させてる」
淹れ方で値段は変わらないため、客からすると特別な淹れ方はお得感が出るらしい。
「・・・・・・ははあ。趣味人っぽいですもんね。マスター」
はなは、小さく笑って、自分の前のコーヒーを飲む。
「・・・・・・では、一つ」
「?」
「サン。サイフォンを使ったコーヒー、飲ませてくれませんか?」
「ご注文、ありがとうございまーす」
サンがマスターへと注文を伝えると、無言でこくり、と一つ頷き、いそいそとサイフォンの準備を始める。
先ほどの雑談を聞いていたのか、なんだかテンションが高めなように、サンには見えた。
「なんかうきうきしてる」
「サン・・・・・・」
はなは苦笑している。
「じゃあ、できるのを待つ間に」
カウンターの下から、サンは何かを取り出してきた。
「お砂糖の補充をしてくるよ」
サンはカウンターを出て、それぞれのテーブルをめぐっていく。
砂糖壺を開き、中身が減っているなら取り換えていく。
「・・・・・・ふむ」
はなはそんな様子を眺めていて、
「あら?」
ふと気が付いて、はなは窓へと寄った。
「どうしたの? はなさん」
「この窓に置いてあるの、香水瓶なんですね」
窓枠の上に置いてある瓶だ。
中身には、何かの液体が入っているようだが。
「ああ。それ? 中身はただの水だよ」
「・・・・・・なんでここに?」
「ゲン担ぎだって。香水瓶と籠に飴。なんだか、マスターのラッキーアイテムだとか」
「・・・・・・へえ」
小さな香水瓶と小さな籠。
籠の中には、キャンディーの包み紙が三つ。
「・・・・・・昔、海外で修業してた時に、妖精が枕元に立ってこれをもらったとか。以来、飾っておくといいことがあるとか、ないとか」
「あらまあ」
サンとはなはくすくすと笑う。
そうしているうちに、コーヒーができたらしく、サンはカウンターへと呼ばれた。
カップへと淹れられる二杯のコーヒー。
「え? ぼくも飲んでいいの?」
微笑みを浮かべる初老のマスターに礼を言って、サンは口を付ける。
「・・・・・・やっぱり、おいしいね」
「そうですね。なんだかちょっと味が違うような・・・・・・」
コーヒーを味わう二人を満足気に眺めたマスターは、自分で器具を洗い始めた。
「・・・・・・なんか、こういうのを味わうと、自分で淹れたくなる」
「わかります。実践されると特に」
うんうんとはなは頷いている。
「今度、ペーパードリップから挑戦してみる」
「では、ごちそうしてください」
「うまくいったらね」
そんあことを言い合う二人を、マスターは穏やかに微笑んで見守っていた。
後日、サンはコーヒーショップに赴き、ドリップ用の豆を購入して淹れてみた。
「なんか違うの」
そうぼやいたサンに、マスターは優しく淹れ方を書いたメモを渡すのだった。
コーヒーは落ち着く。




