曇、命令、ベンチ
「曇り空」
曇天模様、鈍い色の厚い雲。
夏の前の雨のような空気感。
数日続く雨模様の合間。
晴れ間とはとても言えない、曇り空。
そんな曇り空の下、ぼくはちょっと困っていた。
「・・・・・・降るかなあ・・・・・・」
振りそう、と思う。
傘を持って出よう、とは思うのだけれど、できれば降らないでほしい。
これからバイトなのだ。
バイト先から帰る時、雨だとちょっと困る。
「んー・・・・・・」
持ってくか、と傘を一本持って、ぼくは家を出る。
傘一本でも、持っていると荷物だ。
折り畳み傘をカバンに入れておけばいいのだけれど、折り畳み傘はやはりちょっと頼りない。
「ふむ」
手にしている黒い傘は、ちょっとお高い傘である。
ホームセンターで見つけた傘で、傘の骨の数が多く、強風に強い、と書いてあった傘だ。
開いた時の大きさも、他の傘より大きく、その分ちょっと重たくも感じたけれど、よいものを買ったと思う。
実際、この間ひどく風の強い雨の日、前を歩いている人のビニール傘が裏返って壊れているタイミングで、ぼくの傘は十分に耐えていた。
裏から風が当たっても、骨が折れたりしなかったのだから、十分に強い傘だろう。
大きいのもいい。
安心感がある。
「・・・・・・ふふふ」
そうやって傘を持っていたら、なんだか笑みが漏れた。
傘で地面を突いてみたり、あるいは、くるくると回してみたり。
手遊びに傘を振り回しつつ、曇天の下を歩いていく。
ちょっとだけ、楽しかった。
+++
「傘ですか」
いつも通り、バイト先に遊びに、ではなく、お客として来てくれたはなさんに、傘について話してみた。
まだ、雨は降っていないが、徐々に暗くなってきている。
まだ日が落ちるには早い時間だけれど、外の暗さは夜に近い。
雨雲が濃いんだなあ、と思う。
こうなると、本当に雨が降るのは時間の問題に思えた。
「持ってきてる? 雨降りそうだけど」
「折り畳み傘がいつもカバンに入っているので」
ふふふ、とはなさんは笑った。
「・・・・・・ふと思ったんだけどさ」
「はい?」
「いつも折り畳み傘をカバンの中に入れておくのは、準備がいいのだろうか。それともずぼらなだけだろうか」
「ずぼらですね」
はなさんは即答した。
「おや、はなさんはずぼらでしたか」
「いつも入れっぱなしなんですから、むしろずぼらの類ですよ。用意がいいと言っても、限度はありますって」
はなさんは苦笑している。
「自分のことなのに?」
「荷物を一個増やしているだけですからね」
あっさりと認めてしまうあたり、はなさんは達観しているな、と思う。
「でも、折り畳み傘って頼りないんだよね」
「仕方ないですよ。携帯性を上げるために、軽く、小さく、とやってしまえば、丈夫さが犠牲になるのも必定です」
「まあねえ。持ち歩けるのはいいけれど、やっぱりしっかりした傘の方がいいよ。濡れにくいし」
「本当に濡れたくないなら、合羽を持ち歩けばいいんですよ。しっかりたためば、案外折り畳み傘よりコンパクトかもしれませんよ?」
「・・・・・・あー」
なるほどなー、と思う。
「濡れはしないものね」
「ええ。合羽なら濡れることはまずありませんから」
着る手間とか、片づけの手間とかはあるけれど、折り畳み傘よりはいいのかもしれない。
「・・・・・・雨合羽なんて、ほとんど使ったことないなあ」
「そうなんですか?」
「うん」
「わたしは、高校が自転車で通うところでしたから、雨合羽はむしろ必須でしたが」
「あー。なるほど」
自転車だと、傘を差すわけにはいかないのは納得できる。
「自転車で傘持ちとか、すごい危ないものね」
「ええ。ふらふらする上に、風にあおられてすぐに転びますからね」
歩けよ、と思う。
はなさんも同じ気持ちなのか、ちょっと目が鋭い。
「・・・・・・ぼくは、傘を差して歩くのはすきなんだけどね」
「ほう?」
「だって、雨の日って、なんだかんだ静かだから。・・・・・・誰もいない道を傘を差して歩くと、静かで好き」
へへへ、とちょっと照れくさく笑う。
「雨自体は、嫌いじゃないんだよ。家の中、外で雨が降っている日は、のんびりしたくなるし」
「雨の音自体、ちょっと落ち着きますからね」
「ね」
ぽつぽつ、でも、ざあざあ、でも。
水の落ちる音は、落ち着く。
「・・・・・・・・・・・・あ」
そうこう言っているうちに、雨が降ってきた。
「あー。降ってきた」
正直、やっぱり降ってきたかー、という気持ちが強い。
カウンターにいるマスターの方を窺うと、マスターも窓の外を見ていた。
雨の日は、客足が鈍る。
時間を考えると、今日のお客さんは、はなさんが最後、ということも十分考えられる。
「・・・・・・強くなりそう」
「お外、暗いですからね」
言っていると、マスターに呼ばれた。
天気予報でも、この雨はかなり強く、夜まで降るとのこと。
今日は、店じまいにするらしい。
看板を中に入れて、と言われたので、その通りにする。
店先の飾りとして置かれている小さ目のベンチの上に置かれた、お店の看板と、今日のおすすめの書かれた、三角の黒板。
二つを店の中に入れる。
「今日は店じまいですか」
はなさんにも、分かったらしい。
「この雨だと、多分もうお客さん来ないから」
「そうですか」
「ああ。はなさんはゆっくりしてていいよ。ちょっと店じまいにバタバタするけど」
「いえいえお気になさらずに」
ふふふ、とはなさんは笑う。
そのあとは、店じまいの準備に取り掛かろうと思ったのだけれど、マスターに止められた。
雨が強くなるかもしれないから、今日はもう帰りなさい、とのことだ。
「あー・・・・・・」
はなさんをちら、と見る。
はなさんは会計を終えていた。
「はなさん。今日は上がりだから、途中まで一緒に帰ろう?」
「あら、いいんですか?」
「遅くなってもっと雨が強くなると大変だから、今日は帰れってマスターのご命令」
肩をすくめると、はなさんは笑う。
エプロンなんかを更衣室に戻して、身支度を整えて、店を出る。
「お疲れ様でしたー」
ぼくが声をかけると、マスターは片手を静かに上げた。
「渋い」
「渋いですねー」
あれが似合う大人なのだから、マスターはいいよなあ、と思った。
「さて、と」
ぼくが傘を差すと、はなさんが傍に寄ってくる。
「はなさん?」
「折り畳み傘は、頼りないでしょう?」
「・・・・・・そうだね」
笑み付きで言われた言葉に頷く。
雨が降る、ちょっと静かな帰り道。
いつも二人で歩くときより近い距離。
不思議と、言葉のないまま、ぼく達は家へと帰った。
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