第48話:試算表の暗闇、最終清算の刻
待合室の空気が凍りついた。直前の数分間で見せた比喩的な温度低下ではなかった。待合室のリノリウムの目地から湧き出した、液体窒素のように濃厚で、解剖学的な本物の冷気だった。
天井の蛍光灯はチラつくのをやめ、その光は紫色の超平坦なトーンへと凝縮され、高橋の英国製ウールコートの色合いも、ティファニーのサテンも、弁護士たちの髪の染め粉の色もすべてを塗り潰していった。窓のアクリル看板を叩く京都の雨の喧噪は唐突に消え去り、防音スタジオの完全なる静寂へと取って代わられた。
受付カウンターでは、看護師が動きを止めていた。彼女の人差し指はキーボードの「ENTER」キーの1ミリ手前で静止し、画面のオレンジ色の光とともに静止画の中に閉じ込められていた。
「診察室3」のドアが、蝶番のきしみ一つ立てず、完璧なスライドで開いた。
看護師:――その声は彼女の唇から出たのではなく、AI音声合成装置の処理された無感情なトーンとなって壁のスピーカーから響いてきた――『患者、佐藤エイミー様。資産監査室へお入りください』
待合室の誰も一歩も動くことができなかった。銀の万年筆を持った漫画家も、法的書類を抱えた弁護士たちも、シワの寄ったサテンを着たティファニーも。全員が実行命令を待つレンダリング画像のように、待合室のループの中に囚われていた。
エイミーは拓真の手が自分の肘を掴もうとするのを感じたが、少年の指先には彼女をこの階層(次元)に繋ぎ止める物理的な力は残っていなかった。エイミーは一人、ドアの枠に向かって歩き出した。
診察室3には診察台も、消毒液の瓶が並ぶ棚も、超音波画像診断装置もなかった。そこはシーザー・タワー45階のガラスと同じ、暗い鏡の壁で囲まれた完璧な立方体だった。その正確な中心、透明なアクリルの台座の上には、高橋の裁判所命令の印紙付き用紙、ティファニーの赤いカルテ、そして2本の線が入ったプラスチックの妊娠検査薬が浮遊していた。
台座の背後、反射するガラスの壁に身を預けていたのは、ロード・ケザールだった。
彼は企業会議のスーツを着てはいなかった。工場出荷時の設定にリセットされたばかりの、スプレッドシートの絶対的な清廉さを纏っていた。左手に採血用の小さなチタン製の針を持ち、彼はエイミーが入ってくるのを見つめていた。
ケザール:――壁を振動させることなく、エイミーの頭蓋骨の骨格構造の中に直接反響する声で――「四半期の最終清算へようこそ、エイミー君。周りを見渡してみたまえ。実に見事な景観だと思わないかね」
エイミーは台座の2歩手前で立ち止まった。検査薬のプラスチックの端で切れた彼女の右手のひらの皮膚から、一滴の血がリノリウムの上に落ちた。その血滴は広がることもなく、磁器の上に浮遊する小さな赤い球体へと姿を変えた。
エイミー:――胃液の酸で掠れ、傷ついた声でありながら、その瞳をケザールの冷たい目に突き刺しながら――「慈善クリニックまで降りてくるのにずいぶん時間がかかったじゃない、ケザール。市場の神様は松の消毒液の臭いにアレルギーがあるのかと思ってたわ」
ケザール:――チタンの針で静かな音を立てながら――「市場にアレルギーなどないよ、エイミー君。市場にあるのは『収益の立地』だけだ。そして午前7時55分のこの郊外の小さなクリニックは、京都府全体の中で最も平方メートルあたりの評価密度が高い場所として記録されたのだよ」
ケザールは台座の周囲を一歩歩き、集英社の弁護士たちが署名した裁判所の用紙を指先でなでた。
ケザール:「待合室のテーブルを見てみたまえ。ティファニーは自分のものであると信じ込んでいる生物学的資産に対して、18年分の保証金を請求したがっている。高橋は自身の恋愛漫画の次巻の売り上げ暴落を防ぐため、君の胎内の知的財産を買い取りたがっている。そして君は……拓真の味噌汁の代金を支払ったのがレクサスの金であったという証拠を抹消するために、闇医者に現金4万円を支払おうとしていた」
エイミー:「私は何も売らないわよ、ケザール。自分の人生を清算しに来ただけよ」
ケザール:――温もりのない、外科医のような微笑が彼の顔に浮かんだ――「清算? 在庫の破棄を指す言葉としては実に独特だな。君は『清算』しに来たのではない、エイミー君。君は『ライトオフ』――損失の特別償却を行いに来たのだ。自分自身に、ドブ底での滞在が何らの財務的痕跡も残さなかったと納得させるために、配当金を破壊しようとしている」
貴族は二人の間の空気から極度の冷気と焼けたオゾンの臭いが漂うほど、彼女の数センチ手前まで近づいた。
ケザール:「外の連中を見たまえ。高橋の書類にサインすれば、君は今後20年間、集英社という出版社の所有物となる。ティファニーに屈すれば、自分の子かどうかも分からない子供の養育費を払い続ける法的奴隷に拓真を変えることになる。そしてもし君がこのドアをくぐって診察台へ向かえば……400円の硬貨と、骨盤の折れた少年と、100円のおにぎりを買うために車の後部座席で身体を売った『シンデレラ』であったという記憶だけを抱えて路上に放り出されるのだ」
エイミー:――両脇で拳を握りしめ、手のひらの生肉が激しく脈打つのを感じながら――「それで、あんたの提案は何なのよ、監査人? 45階での契約でもオファーしてくれるわけ? 私の処置を生配信するためのLEDリングライトでもくれるの?」
ケザール:――頭を傾け、床に浮遊する血の球体を見つめながら――「私は何も提案しないよ、エイミー君。私はただ貸借対照表を提示しているだけだ。この空間に尊厳ある出口など存在しない。どの選択肢を選ぼうと、君は己の肉体の一部を市場へ差し出さねばならないのだ……法へ、メディアへ、罪悪感へ、あるいは絶対的な貧困へね」
彼は壁の暗い鏡に向き直った。そこに映し出された反射はエイミーの姿ではなく、待合室で震える手で400円の硬貨を握りしめている拓真のシルエットだった。
ケザール:「『モスキート( Musgo )』は泥は自分たちのものだと言うことで、君を救ったと思い込んでいる。だが泥は誰のものでもないのだよ、エイミー君。泥とは、株主たちが来月どの章を掲載するかを決めている間、資本を持たない資産が腐っていく床に過ぎないのだ。契約を選びたまえ。看護師がキーを押そうとしている」
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