エルザの悩み
食事の後、ハンスは酔いつぶれたフレッドを自分の下宿に連れて行き、俺はエルザを家まで送ることになった。両親のいないエルザは、仕立て屋で働く姉と二人で暮らしているのだ。
「今日は大変だったね。お疲れさま」
「別に、疲れてないです。私は、何もしていない……。火喰い鳥、すごかったです。私の師匠でも、あんな聖獣呼び出せない」
「何もしていないわけないじゃないか。エルザちゃんが即死回避の魔法をハンスの盾に付与していなかったら、俺たちはあっと言う間に全滅してた。レイスが五階層に出現するなんて事態は、誰も想定していなかった。お手柄だよ」
「いつもの癖で付与しただけ、手柄じゃない、です……」
「理の杖だっけ、もう試してみた? 役に立ちそうかい?」
あの部屋の宝箱には魔法の効力を倍加する杖が入っていた。魔法を使えるのはエルザだけだから、当然ながら杖は彼女が持つことになった。
エルザは無言で首を振った。
「威力が上がっても、詠唱時間は変わらないから……」
取りつく島もない。年頃になったアイリーンが俺とこんな風に距離を取ったら、絶対に泣く。
お互いに黙り込んだまま、三分の二ほどの道のりを歩いた時、エルザがふいに足を止めて言った。
「私のスキルは〈几帳面〉…… なんです」
ああ、そういうことか。性格を表す言葉がスキル名になっている場合、大半がハズレスキルだ。短所が際立ちすぎて、せっかくの長所が台無しになってしまう。彼女が起動句を省略できないのは、スキルのせいなのだ。
「詠唱短縮と言われているものは、正確に言うと、古代語による詠唱です。古代語は少ない音数で多くの事を表せますが、音の長さや抑揚で意味が大きく変わります。たとえば、『セト』は『大いなる大地の聖霊』という意味ですが、セの音の出だしを少し上げて『セト』と言うと、『強大なる力』という意味になります」
なるほど、そんなデリケートで、しかも普段使わない言葉で呪文を詠唱するのは、〈几帳面〉な彼女にとって困難きわまりないことに違いない。せっかく打ち明けてくれたことだし、何かいいアドバイスをしてあげたいところなんだが……。
「エルザちゃん、もちろん俺は魔法のことなんてわからない。ただ、経理部門には、几帳面な女の子がよく配属されてきてね、そんな子たちが複雑な計算をしていと、慎重になりすぎて、堂々巡りに陥ってしまうことが結構あるんだ」
エルザはじっとこちらを見ている。話を聞こうとしてくれているようだ。
「そんな時に言うのは、膨大な計算を端からコツコツやっていくことだけが丁寧さじゃないってことなんだよ。やろうとしていることを整理して、カッコなどを使って、部分部分に分けていく。一人当たりの必要量を算出している部分、人数を算出している部分、とかね……」
「ブロック処理……、アンリさん、天才ですか!」
不意にエルザの目の色が変わった。
「全部古代語で詠唱する必要はないのかも……」
エルザは理の杖を夜空に向けると、古代語と現代語が入り混じった呪文を唱えた。
「イ・ア・キーリ 迸り ム・コル 闇を穿て フレイム」
杖によって増幅された中級魔法の威力はすさまじいものだった。優に直径一メートルはある火柱が渦を巻きながら吹き上がり、夜空を赤々と染め上げた。
「できました……」
エルザは構えていた杖を下ろすと、その場にへたり込んだ。
「やったね、エルザちゃん」
俺が声をかけると、彼女は少し頬をふくらませて言った。
「〈ちゃん〉はいらないです……」




