意外な申し出
そんなわけで、俺はモーリ男爵の肖像を描くことになり、一日おきに経理の仕事を早退して彼の執務室に通った。といっても、別に彼がカンバスの前でポーズを取るわけじゃない。男爵は普段通りに仕事をこなし、その合間に少しばかり俺と雑談する、それだけだ。俺が描きたくなったらすぐ取り掛かれるように、色々な画材が用意されている。まだ、何を使って描くかも決まっていない。完成の期日も決められてはいないのだ。
男爵の仕事ぶりを見れば見るほど、彼が俺の知っているお貴族様とはかけ離れていることがはっきりした。部下がある案件を持ち込むと、まず意見を聞く。疑問があれば問いただすし、助言も与えるが、一方的に命令することはない。まあ、部下全員が恐ろしく有能だからできることではある。能力鑑定スキルを持っているんじゃないかという気がする。だが、部下にまかせきりというわけではない。彼は組織がどの方向に向かっているかを常に把握している。わずかでもそこにブレが生まれると、部下に短い質問をする。相手がブレに気づくには、それで十分だ。男爵自身の考え方、方針にブレがないからこそできる芸当なのだろう。
四度目の訪問の時、男爵の柔軟さとその奥底にある芯の強さ、ブレのなさを絵に描いてみたいという考えが浮かんだ。のびのびと活躍する部下の姿に目を細めながら、同時にはるか彼方を冷静に見通している人物……。俺は空色と赤のチョークで男爵の線画を描いた。
「いいですね……。アンリさんの絵には何というか、味がある」
モーリ男爵は俺が一時間ほどで描いた線画をしばらく見つめてからそう言った。
「そんなもんですかね。マッケンジー神父なら『狩猟の民、ナパボ族が洞窟に描いた壁画のごとき……』とか言いそうだと思いますが」
「確かに! でも、あなたは私を実によく見ていらっしゃる。題名はさしずめ、『二重の眼差しをもつ者』といったところでしょうか……。さて、報酬ですが、金貨二枚でいかがでしょう?」
金貨二枚? 俺の給料が月金貨一枚だってのに、何だその途方もない額は!
「いや、素人のなぐり描き程度の絵で、そんなにいただくわけには。先日褒賞金をいただいたばかりですし」
「それとこれとは別ですよ。依頼した当人が気に入っているんだから、どうぞお受け取りください。それに、素人とおっしゃいますが、私が生まれた国だったら、アンリさんの絵はかなりの人気になると思います。最高値をつけた画家の口癖が、『常識をぶっこわすのが芸術だ』というものでして」
「その画家さんとは仲良くなれそうな気がします」
「芸術家は芸術家を知る、ですね。まあ、愛人が十人いて、彼女等が争うのを面白がって眺めているような人物ですが、会っていて退屈はしないでしょう」
なるほど、常識ってやつの中には、〈倫理観〉も含まれているわけだ……。
「どうやら、作品を通した交流に留めておいたほうがよさそうな方ですね」
「ははは、確かに」
「あの、男爵閣下は何という国のお生まれなんですか?」
「ご存じないとは思いますが、極東のエドウという国です。広大な魔獣の森で隔てられておりまして、以前は抜け道があって細々とした交易も行われていたんですが、近年は魔獣の勢力が増して、帰省もままなりません」
「そうでしたか。それは寂しいですね」
「両親は亡くしましたが、友人たちは残っておりますのでね。いつか帰りたいとは思います」
皮肉な話だが、高い地位を得てしまったせいで、帰省はますます困難になっている。しかし、これほど有能な人物がこの町に来てくれたことは、俺たち領民にとってはありがたい限りだ。コーネル子爵も、彼は絶対に手放せないと考えたのだろう。
「さて、ここからが本題なんですが、アンリさん、ダンジョンに入ってみるつもりはありませんか?」
「ダンジョン、ですか?」
「ええ。別に冒険者になることをお勧めしているわけではありません。〈絵師〉のスキルを使いこなし、レベルを上げる手立てとして、ダンジョン探索が有効なのではないかと考えた次第です。ワイバーンを倒した状況を考えると、そのスキルが発動するのに最も重要なのは、何かを実現したいと心から願うことではないかと思います」
「なるほど、それでダンジョン……。しかし、モーリ様ほどお忙しいかたが、ハズレスキル育成のためになぜそこまで?」
「私は当たりスキル、ハズレスキルという線引きがそもそも間違いだと考えています。例えば、剣士、魔術師はいわゆる当たりスキルで、多くの優秀な冒険者たちがその恩恵に浴していますが、実はSランク、SSランクに到達した冒険者の中に、これらスキルの持ち主は見当たりません。そんなレベルに到達した者がそもそもごくわずかなんですが、彼らのほとんどがハズレスキルと言われているスキルの持ち主なんです。要するに、ハズレスキルというのは、真価や発動条件、育成方法が知られていないスキルのことだと考えられます。〈絵師〉の場合で言えば、授かった者はまず絵を描く技術を磨こうとしたことでしょう。でも、そこに落とし穴があった。いくらそっくりに描いてもオリジナルは越えられない。いい絵とは本物そっくりの絵のだという、この国の常識がわざわいしたわけですね。」
「なるほど……」
「繰り返しになりますが、私はアンリさんのスキルに大きな期待を抱いています。いかがでしょう、とりあえず二週間、低階層のダンジョン探索に加わってみては? ギルドマスターに相談して、安全確保には最大限の配慮をさせていただきます」




