イレギュラー
その後、俺たちは順調にダンジョン探索を続け、二週間で50階層のボス挑戦に漕ぎ着けた。ここのボスは猿の身体にコウモリのような羽毛のない翼を持つ魔獣が二体一組で、それぞれが火と地の属性を持っている。しかも、この属性が時間ごとに入れ替わるのだ。こいつらの大きさは人間とほとんど変わらないが、部屋の中を自由に飛び回りながら、火属性の時は炎、地属性の時は毒による攻撃を仕掛けてくる。属性が入れ替わる度に一瞬だけ動きが止まるので、その瞬間を狙って火属性には水弾や水渦弾、地属性にはファイヤーボール系の攻撃魔法をぶつけるのが倒し方のセオリーだ。俺は水属性魔法の使える聖獣〈水弾の射手〉をストックしていて、火属性を帯びている方の飛び猿の攻撃を受け持つことになっていた。
ボス部屋の奥には大理石で作られた祭壇のようなものがあり、左右の太い石柱の上に例の飛び猿が一匹ずつ、翼をたたんで座っていた。両目を閉じているので眠っているかのようだったが、俺たちの背後で扉が閉じた瞬間に血走った目を開け、猿が敵を威嚇する時のような吼え声を上げながら柱から飛び立った。
俺たちの作戦は、まず相手に攻撃させて属性を見極め、属性の入れ替わるタイミングで反撃に出る、というものだった。フレッドは右の柱から飛び立ったほうの飛び猿を挑発し、ハンスは盾で左の方の魔獣の攻撃を防ぐ。戦闘が始まっていくらも経たないうちに、右が火属性、左が地属性を帯びていることが判明した。作戦は順調に進行中だ。俺は攻撃に備えて〈水弾の射手〉をリアライズした。水龍ではなく、竜の落とし子の姿をしている。ホースのような口の先から水弾を飛ばすことが名前の由来だ。
「そっちの奴が動きを止めたら攻撃だ」と俺は左の飛び猿を指差しながら聖獣に言った。
「ん、やけに切り替わりが早いな。まだ10打くらいしかたっていない……」
(※打/時間の単位。1打はおよそ1分30秒)
ハンスがそうつぶやいた時、エルザと〈水弾の射手〉がほとんど同時に左右の飛び猿を攻撃した。だが、エルザが攻撃した右の飛び猿は風魔法で炎の方向を変えて身を守り、左の方は水弾を翼で難なく防いで聖獣に雷撃を見舞った。苦手な雷魔法の直撃をうけた〈水弾の射手〉は、あっけなく姿を消した。
「まずい、属性変化のタイミングが違うし、纏う属性の種類が増えている。イレギュラー発生。プランBに変更!」とハンスが叫んだ。
「了解」
俺はハンスの言葉に従って、囮の亡霊〈彷徨う鎧〉をリアライズした。〈彷徨う鎧〉は鎧をまとった戦士の姿をした亡霊で、攻撃能力はゼロだが、魔法攻撃も物理攻撃も効かない。奴らが魔法攻撃に失敗して接近戦をしかけてきたところをフレッドとハンスが倒すというのがプランBの内容だ。
「奴らが囮にひっかかるのは多分一度だけだ。しくじるなよ」とハンスがフレッドに言った。
「まかせとけって! 俺は左のやつをやるぜ」
エルザが張ったバリアの後ろで剣を構えながら、フレッドが答えた。
幸い、飛び猿たちの知能は、コカトリスほどではないが低いという事前情報の通りだった。〈彷徨う鎧〉に魔法攻撃が効かないことがわかると、やつらは左右の鋭い牙を剥いて吼えながら上空で旋回し、挟み撃ちを狙って左右から亡霊に飛び掛かった。
「よし、エルザ、バリア解除」
「せーの!」
フレッドとハンスはタイミングを合わせて飛び猿たちの首筋めがけて斬りかかった。だが、やつらの全身を覆う剛毛が邪魔をして、かすり傷ひとつ負わせることができなかった。やつらの毛はしなやかだが鋼のように強くて剣でも切ることが出来ず、数が多い上に毛足が長いせいで、打突の衝撃までが完全に吸収されてしまうのだ。
「やばい、こいつ、ムチャクチャ堅え」
「退避!」
フレッドとハンスが戻ると、エルザはすばやくバリアを張り直した。
「こいつらに剣の攻撃が通らないなんて話は、どの報告書にもなかった……」
俺はハンスの言葉にうなずいた。
「ああ、これもイレギュラーだな。何が起きているんだ?」
「攻略された階層のボスのレベルが上がったなんて話は、一度も聞いたことがない……。とにかく今は、どうやって生き延びるか、それだけを考えないと」
ハンスの言う通りだ。ありえないだの信じられないだの、愚痴ったところで何も状況は変わらない。だが、どうする? 相手は報告書の半分の時間で属性を変える。しかも、どうやら地・火・風・水の四属性すべてありらしい。物理攻撃は通らず、翼で自由に飛び回る。
「とにかく、まずやつらの動きを止めないとまずい」
確かに、このパーティには弓などの飛び道具が使える戦士がいないし、エルザは腕を上げているが、敵を追尾する上級攻撃魔法はまだ使えない。飛行タイプの魔獣を倒すには、まず相手の飛行能力を奪いたいところだ。だが、囮が失敗したとなると、他にどんな手が……。仮に敵が鳥だとして、倒す矢が無い。防御がやたらと堅いせいで、待ち伏せが失敗、となると、相手にダメージを与える罠が要るってことか。罠? そうか、これがあった!
俺はスケッチブックを開けて、黄と黒のチョークで聖獣〈潜み捕らえる者〉を描き始めた。
「アンリ、何気に蜘蛛の絵が上手……」と絵を覗き込んだエルザが言った。そう、俺は割と蜘蛛やトカゲが好きで、子供の頃からこいつらの絵は山のように描いてきた。もちろん、ケイトやアイリーンの前では描かないが……。ちなみに、エルザにとって、蜘蛛やトカゲは可愛い生き物の範疇に入るらしい。以前、蜘蛛とトカゲを同時に飼ったら、蜘蛛の獲物をトカゲの餌にまわして楽ができないだろうかとハンスに話しているのを聞いた覚えがある。ハンスは蜘蛛が苦手なので、この相談(?)を持ちかけられた時の表情といったらなかった。まあ、少し天然気味なエルザのことだ、特に悪意はなかった、だろう……。
俺は絵を描き上げると、フレッドに見せながら計画を説明した。
「フレッド、この絵をあの祭壇の奥のあたりに置いてきてくれないか? その後は、連中を引きつけながら逃げ回ってくれ。で、リアライズした聖獣が網を張り終えたら」
「奴らが網に引っかかるように誘導っすね! まかせて欲しいっす!」
俺は聖獣に折り目がつかないように用心しながら絵を小さく折りたたんだ。
「たたんだままでもリアライズできるから、そのまま置いてくれるだけでいい」
「了解っす」
「エルザ、フレッドにバフを」とハンスが言った。
エルザの魔法で走力と敏捷性がアップしたフレッドは、飛び猿二匹の攻撃を軽快なステップとジャンプでかわして、難なく祭壇に到達し、奥の暗がりに絵の描かれた紙を投げ込んだ。
「お見事!」
俺が声をかけると、フレッドは右手で力こぶを作って見せた。
「調子に乗りやがって」
「おバカ……」
本当に容赦ないな。確かに調子に乗るとやらかすタイプだが……。とにかくフレッドが祭壇から離れた機を捉えて、俺は聖獣をリアライズした。
「〈潜み捕らえる者〉、リアライズ!」
聖獣が程なく姿を見せると、エルザが声を上げた。
「おー、カッコいい」
体長は二メートルを越えているだろう。飛び猿より一回り大きい。ハンスは一瞬だけ聖獣に目をやったが、すぐ目を閉じた。なぜ蜘蛛の姿の聖獣だけこんなにリアルなんだと考えているに違いない。
「悪いね、頭に浮かんだ通りに描かないと〈力〉が乗っていかないんだ」
「いいんですよ。聖獣が味方になってくれているんだから、文句を言う筋合いなんてどこにもない」
「とりあえず、罠作りの進み具合は見ておくから」
「すみません、お願いします。足の多さもですが、あのずらっと並んだ目が苦手で……」
「宝石みたいで、きれいなのに」
「エルザ、ものの見方、感じ方は人それぞれなんだよ」
そして、どちらかと言えば、俺やエルザのほうが少数派だ。
「あんなにたくさんの目で睨まれたら、絶対逃げられないって感じがするだろ。光っているから余計にだめなんだよ」とハンスがエルザに言った。
「そうか、目の多さが……。もしかしてセミも苦手?」
「え? セミの目って二つじゃないんですか?」
「あ、ごめん、余計な話だった。忘れてくれ」
「………」
〈潜み捕らえる者〉は縦糸をつたって二本の柱の間をせわしなく往復している。あの体を支えられるんだから、飛び猿に網を破られる心配はないだろう。それに、驚くほど仕事が早い。中心から放射状に伸びる八本の縦糸をすでに張り終えた聖獣は、螺旋状に横糸を張りめぐらせる作業に移った。あの網にかかって、糸でぐるぐる巻きにされ、八つの目で見つめられる……。ハンスの言う通り、絶望するしかないかも知れない。味方でよかったとつくづく思う。ハンスは蜘蛛型の魔獣に襲われた経験があるのか? ふとそんな疑問が浮かんだが、もちろん口にはしなかった。これ以上トラウマを刺激するメリットなんて、あるわけがない。
罠を完成させた聖獣は、左側の柱の陰に身を潜めた。
「よし、フレッド、柱の間に網が張ってある。そいつらをうまく誘い込んでくれ」
「お任せっす!」
フレッドは攻め込まれているふりをしながら、祭壇の方にじりじりと後退していった。
「うん、うまく誘導している」
「ハンスがフレッドをほめてる。ちょっと、不吉……」
エルザがつぶやくと、ハンスが少しあわてたように言った。
「妙なことを言うなよ。いい仕事をしてたらほめるだろ普通」
かかとが祭壇の縁に触れるところまで後退したフレッドは、剣を構えたまま後方に跳んで祭壇に立とうとしてバランスを崩した。左右に分かれて襲いかかる機会をうかがっていた飛び猿は、すかさず同時にフレッドに向かって急降下した。
「待ってたぜ」
フレッドはぎりぎりのところで左に倒れ込みながら身をかわし、勢いあまった飛び猿は柱の間に張られた網に突っ込んだ。
「やった!」
俺が思わず声を上げた時、ハンスがフレッドに向かって叫んだ。
「まずい、フェイントだ。上方注意!」
本当に突っ込んできたのは右手側にいた飛び猿だけで、一方はすぐに旋回して元の位置に戻っていたのだ。残ったやつはフレッドを見下ろしながら一声勝ち誇ったように吼えると、大量の毒液を吐きかけた。毒は皮膚からも吸収されるタイプらしく、フレッドの顔は見る間に青みを帯びた紫に変色し始めた。
「早く解毒しないと。エルザの治癒魔法が届く位置まで移動。俺がガードする」
ハンスがそう言った時、フレッドが唸り声をあげながら立ち上がった。毒のダメージのせいでバーサク状態になったらしい。
「とりあえず毒状態の進行は止まるか……。ただ、こうなったら、作戦の段取りなんて覚えてないだろうな」とハンスが言った。
「そうだね、あらためて指示を出しても聞き入れるかどうか……」
「ヘイトはフレッドに向くだろうから、エルザの攻撃魔法で遠距離攻撃ってところですかね」
俺たちは残りの飛び猿を倒すには、作戦の立て直しが必要だと考えていたのだが、まったく無用の心配だった。飛び猿は突然高まったフレッドの闘気を警戒して攻撃をためらっていたのだが、その慎重さが逆に命取りになった。なかなか戦闘が始まらないことにいらだったフレッドが、いきなり背後の石柱を踏み台にジャンプして切りかかったのだ。不意をつかれた飛び猿は、かろうじて体をかわしたものの、右の翼をばっさり切り落とされて墜落し、聖獣の網に絡めとられた。
〈潜み捕らえる者〉は糸を吐きかけながら二匹の獲物をくるくると回転させ、頭だけが見える糸団子のようなものを作りあげた。
「勝負ありだな」
俺の言葉にハンスがうなずいた。
「ええ」
魔力を完全に吸い尽くされた飛び猿の顔はひからびてしわくちゃになり、程なく崩れて粉々になった。糸団子は今や単なる糸の束だ。
フレッドはしばらく雄たけびを上げていたが、突然エネルギーが切れたように動かなくなった。
「エルザ、フレッドに治癒魔法を頼む」
ハンスはエルザにそう言った後、つぶやくように付け加えた。
「それにしても、バーサーカーのパワーは反則級だな……」
「エル・イ・キュア」
エルザが治癒魔法をかけると、紫色だったフレッドの顔色が普段通りの肌色に戻った。解毒が成功したようだ。バーサク状態の反動が出たのか、フレッドは放心したようにその場に座り込んだ。
「蜘蛛さん、バイバイ……」
エルザは姿が消え始めた聖獣にそう言って手を振ると、祭壇の上に落ちていた幅広の大剣を拾い上げた。
「う、重い」
「ドロップアイテムか?」とハンスが声をかけた。
「バーサーカーの剣……」
「初耳だな、そんなアイテムあったっけ?」
「でも、柄にそう書いてある」
エルザは両手で革製の鞘の真ん中あたりをつかむと、柄の方をハンスに差し出した。
「古代文字で名前が? ますます聞いたことがないぞ!」
その時、ガコンという何かが外れたような音が響き、祭壇の真ん中に穴が開いた。おなじみの次階層への入り口ではない。そっちはすでに奥の壁のところに出現済みだ。
「こんなところに隠し通路が? ん、エルザ、来てくれ。また古代文字だ」
穴の中を覗きこもうとしたハンスが、穴の縁の大理石に刻まれた文字に気づいて声を上げた。
「何て書いてある?」
「ええと、『最深へと至れ』」




