35階層
Bランク昇進の条件である40階層の踏破に向けて、俺たちは35階層のボスに挑戦することにした。聖獣に合わせて事前に用意した作戦が、どのくらい効果を発揮するか見極めるのが狙いだ。指揮はハンスが取る。作戦を継続すべきか変更すべきかの判断など、〈見切り〉のスキルが役立つ機会は多いはずだ。
俺たちは洞窟の形をしたボス部屋の入口前で、ボスの行動パターン、部屋の形状、作戦の流れなどを再確認した。ボスや部屋に関する情報は初めてボス討伐に成功したパーティからギルドに伝えられ、パーティは情報と引き換えに高額の褒賞金を得ることができる。
「それじゃ、行こう」とハンスが言った。
この階層のボスは巨大なハサミムシの姿をしていて、尾についているハサミの攻撃が強力だ。洞窟内は薄暗い岩場で、体の平たいボスは岩の下の隙間などに身を潜めている。
「フレッド、頼むぞ」
「あいよ。さーて、どこにいるのかなっと……」
フレッドは岩を蹴ったり、剣を岩の隙間に差し込んだりしながら歩き回っている。ボスをおびき出すのが彼の役目だ。彼が左から四つ目の岩の前に差し掛かった時、不意に背後の岩陰からボスが飛び出してきて、まっすぐに立てた尾を丸めながらハサミを振り下ろした。
「うひょー、おっかねー」
フレッドはジグザクに走りながら、俺たちの方に近づいてくる。
「もう少し……。今だ」
ハンスの合図で、杖を構えていたエルザが呪文を唱えた。
「ミ・ア・リ 闇を滅せ フラッシュ!」
ボスの目の前で閃光がひらめき、光に弱いボスはギイギイといううなり声を上げながら岩場の方に逃げ戻っていった。
「逃がさない。イ・ア・キーリ・ス・ム・コル 闇を穿て フレイム」
杖の先から噴き出した炎は、岩の下に潜る直前のボスの全身を包みこんだ。
「よし、やった。エルザ、ナイス!」
「ギ、ギ、ギ、ギ……」
ボスは弱々しい鳴き声を立てながら、細かく全身を震わせた。
「来るぞ、作戦はフェーズ2に移行!」
「了解」
俺はスケッチブックを開き、〈狩る者〉をリアライズした。一応言っておくと、絵に名前を付けることにしたのは、複数の絵をストックするようになり、リアライズする対象をはっきりさせる必要が出てきたためだ。エルザの考えでは「名づけ」の効果で能力が上がる可能性があるらしい。ということで、決して格好つけてるわけじゃない。愛称じゃなくて、能力を説明した名前が良いと言ったのも彼女だ。俺が考えた名前をエルザが古代文字に直し、俺がそれを真似て絵に書き込んでいる。
〈狩る者〉もボス同様に昆虫タイプで、体長は10センチ程、ボスに見つかることもないだろう。黄色と黒の縞模様があり、胸と腹の間が大きくくびれている。マッケンジー神父なら、「農耕の民ロネ族が婚礼で使う徳利の如き……」とでも言うだろうか。
「お前は上空で待機」
俺がそう命じると、〈狩る者〉は網目模様のある四枚の薄い翅を開いてふわふわと舞い上がった。
「そろそろ来るぞ。エルザ、バリアを頼む」
「わかった。ソ・ル・ナ バリア!」
ボスの身震いが止まり、背中の短くて硬い鞘翅が左右に開くと、折りたたまれていた、虹色に光る薄い翅が広がった。幅約10メートルで、体長をはるかに上回る。薄いがカミソリのように鋭利で、冒険者がボスを倒したつもりになっていると切り刻まれてしまう。やはり、事前情報はありがたい。
右の翅が俺たちをなぎ払おうとするかのように猛スピードで向かってきたが、エルザのバリアが軽々と跳ね返した。
「今だ。降りて来い!」
俺がそう命じると、〈狩る者〉は翅を捨ててボスの背中に飛び乗った。
「よし、成功」
翅による奇襲に失敗したボスは、弱ったふりをするのを止めて飛び上がった。この上空からの攻撃もなかなか厄介だ。ここは洞窟のわりに天井が高い。
「さて、耐久力向上訓練開始。フレッドはランニング?」
「おう!」
「まあ、バリアの後ろでじっとしてるのは、性に合わないだろうからな。エルザ、フレッドにバフを頼む」
「イ・ムル・ゴ 疾く走れ ヘイスト!」
「サンキュ、じゃ、行ってくるぜ」
エルザの呪文で敏捷性が上がったフレッドは、そう言い残すと猛スピードで走り去った。
「相変わらず落ち着きのないやつだな」とハンスがため息まじりに言った。
「みんなでバリアの後ろにかたまって、あのハサミで延々と突かれ続けるってのも、きっと気が滅入るからさ。ヘイトを稼いでくれるなら感謝しておこう」
先日の話しぶりだと、フレッドは〈蛮勇〉のことをかなり気にしているようだったが、戦闘中の振る舞いはいつも通りだ。ハンスとの連携も特に問題ない。
「それはまあ、そうですね」
〈狩る者〉は小さいが、肢に鋭い鉤爪がついていて、一度獲物に取りついたら振り落とされることはない。獲物の体表を隅々まで這いまわりながら神経節を探し出し、尾の先についた毒針で、一つまた一つと突いてゆく。針は細く、獲物に気づかれることはない。勝負はすでについているのだ。
「そろそろ効いてきたかな」と俺はハンスに言った。
麻痺の最初の兆候は、あの大きな翅にあらわれた。ぴんと張っていた右の翅が不意にくしゃくしゃになり、ハサミムシ(ボス)はくるくると回転しながら落下した。
「おやまあ、自慢の翅が台無しじゃないか」
フレッドはそう言いながらゆっくりとボスに近づいていった。
「最後に毒を吐いてくるからな、油断するなよ」とハンスが声をかけた。
「わかってるって」
フレッドが足を止めた時、ボスの前肢、中肢、後肢が順に縮んで動かなくなり、ボスは仰向けにひっくり返った。
「それじゃ、止めを刺すぜ」とフレッドがハンスの方を振り返って言った。
「ああ、頼む」
「了解」
ボスの頭部は大きいが、胸部と接続している頸にあたる部分は割と細く、フレッドは難なく頭部を切り落とした。
「アイテムのドロップはなし。魔石だけ」
「よし、作戦完了」とハンスが宣言した。




