エルザの師匠
王都は王城を中心に六本の街道が放射状に伸び、街道同士を結ぶ道が一定の間隔で、それらと直交するように走っている。道が蜘蛛の巣のように編まれていると思ってもらえばいい。王都は三重の外壁に守られていて、一番内側の外壁の中が貴族の居住区、次が平民の富裕層の居住区、一番外側が庶民の居住区だ。ここは野外市場が開かれるような活気のある場所も多いが、最近はスラム化した区画も増えていて、土地勘のない者は用心しなければならない。
平民の旅行者は、最初の外壁を通る時に滞在予定日数を申告して通行税を払い、滞在許可書を入手する必要がある。俺たちの場合は子爵家の馬車に乗っていたおかげで通行税は免除、無期限の滞在許可証が与えられた。
六つの街道の内、南西に伸びている街道がコーネル子爵領を通っているもので、子爵の別邸もこの街道沿いにある。魔法学会は南東に伸びる街道の、貴族居住区の一番端、つまり外壁のすぐ内側にあり、街道をはさんで王立魔法学院と向かい合っている。
王都について三日目の昼の二の刻に、ケイトとエルザは古代語と現代語の併用詠唱に関する講演を行なった。ケイトは、古代語による詠唱こそが魔法の王道というアカデミックな風潮が強い学会では、今回の研究に反感を抱いている会員も多いのではないかと心配していたが、二人の講演を聴講する者は多く、反応も非常に好意的だった。
研究結果をかいつまんで説明すると、「古代語と現代語を併用して詠唱した場合の効果は、すべて古代語の詠唱の効果に対して約10パーセント減少する。この減少率は現代語を多く使おうがほとんど変わらない。詠唱時間短縮の観点では、言うまでもなく古代語の使用比率は高いに越したことはないが、古代語習得に有利なスキルをもたない魔法学習者にとって、併用詠唱を導入する利点は極めて大きい」といったところだ。
講演の後で、俺たちはエルザの師匠、つまり『レッド・ウイングス』の元リーダーと、学会の近くにある喫茶店で会うことになった。名はヒルデガルド。オースティン子爵家の妾腹の三女だが、冒険者になる際に生家とは絶縁し、今は家名を名乗っていない。今回の講演は彼女の口利きで実現したらしい。エルザにとっては半年ぶりの再会だ。店内に入ると、奥のテーブル席にいた二十代半ばの女性が、エルザに向かって小さく手を振った。
「エルザ、久しぶりだね」
「どうも……」
エルザの表情が少し硬い。ヒルデがパーティを離れた時どう思ったのか聞いたことはないが、何かすっきりしない気持ちが残っているのかもしれない。
「講演すばらしかったよ。さて、あなたがアンリさんだね、あたしはヒルデガルド、長ったらしいから、ヒルデでかまわない」
簡単な自己紹介を済ませて、俺たちはヒルデが予約していたテーブル席についた。
「まず、改めてエルザに謝らなくちゃね。この間は本当にすまなかった」
ヒルデはそう言ってエルザに頭を下げた。
「あんた達三人がそれぞれの問題を抱えていることは分かっていても、何をしてやればいいか見当もつかなかった。教え方を勉強したらなんとかなるんじゃないかと思って、母校に舞い戻ってはみたものの、正直な話、スキルに恵まれた坊ちゃん、嬢ちゃんのお守りをしたところで、何にもならなかった……。だから、やっかいなスキルを抱えてがんばってきた人のアドバイスが効いたと聞いて、なるほどと納得がいったんだ。アンリさん、あたしからも礼を言わせてもらう。ありがとう」
「いやいや、買いかぶりすぎです。にっちもさっちもいかない時に、やけくそでやったことが、たまたま上手く行ったってだけだ。俺は努力家でも何でもない。エルザやハンスのほうがずっと立派ですよ。俺が何かを教えてやったわけじゃない。二人とも自分で解決方法を見つけたんです」
「エルザ達の努力は認めるよ。でも、ハズレスキルだの当たりスキルだのって世間の常識を目の前でぶっ壊したアンリさんの存在は、やっぱり大きかったと思うな。そうそう、〈絵師〉のスキルのことを聞かせてもらっても構わないだろうか? まったく属性の違う聖獣を実体化したなんて聞くと、魔術師としちゃ、いてもたってもいられなくてね」
「ええ、いいですよ。逆に何か気づいたことがあったら教えてください」
エルザは筆に乗る〈力〉について、師匠のヒルデならもっとくわしいことがわかるかもしれないと言っていたのだ。
俺の一通りの説明を聞き終えると、ヒルデは俺のスケッチブックに目をやりながら、ストックしているリアライズ前の絵が見たいといった。
「これです」
俺がゴーレムのページを開いて差し出すと、ヒルデは絵の上に右手をかざして呪文を唱えた。
「ム・ア・ラ アナライズ」
ヒルデは青白く光る中指の先を描線に近づけると、輪郭をなぞるように動かしていった。
「確かに魔力が絵にこめられているね。しかも、無属性というか、四属性が全部乗っているというか…… 複雑な魔方陣が何層も重ねて描かれているようなもんだな。解析して再現できる代物じゃない……。発動できるのはたぶんアンリさんだけだ。スキルの助けをかりながら本能的にやっている、と……」
ヒルデは俺にスケッチブックを返してから話を続けた。
「ありがとう、すごいものを見せてもらった。アンリさんと言い、エルザと言い、『レッド・ウイングス』の今後が楽しみだ」
喫茶店を出ると、ヒルデは俺に後の予定を尋ねた。
「ヒッグス通りをぶらついてみようかと」
ヒッグス通りというのは、南に伸びる街道の貴族居住区部分につけられた名前で、王都きっての目抜き通りだ。冒険者の身なりで歩いたら浮いてしまうだろうが、今日は学会のために正装しているから問題ない。
「それじゃ、あたしが案内させてもらうよ。お勧めは三丁目の菓子店かな。ドルト伯爵が王妃さまに献上した菓子が評判になってる。何とかの舌っていう変わった名で、焼き菓子なのに口の中でほろりと崩れる食感が病みつきになるらしい」
確か、ドルト伯爵はコーネル子爵の上司だ。菓子の考案者の正体がわかった気がする。
「焼き菓子か、いいね。アイリーン、今日はずっとお利口にしていたから、ごほうびにお菓子を買ってあげるよ」
「本当?」
「もちろん、本当だとも」
講演の間、俺とアイリーンは控室に残っていた。思ったよりおとなしかったのは、子爵がプレゼントしてくれた人形のおかげだ。お孫さんが持っている人形と同じ作者のものだと聞いたが、頭が痛くなりそうだから、値段のことは考えないでおく。
「師匠、私も、お菓子が欲しい」と、ふいにエルザがヒルデに言った。
一瞬の沈黙の後で、ヒルデは微笑みながらエルザを見つめて言った。
「そうだね、口で謝っただけじゃ誠意が足りないな。買ってあげたら、許してくれるかい?」
「うん、ヒルデはやっぱり私の師匠……」
「ありがとう。それじゃ、『何とかの舌』が売り切れるとまずい。さっそく出発しよう」
エルザはアイリーンと手をつなぐと、ヒルデに続いて歩き出した。




