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会社を辞めた俺、ハズレスキル“清掃”でダンジョン最深部を独占する  作者: tsu
白銀都市ルミナス編

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第九話 浄化工房と魔導図書館

ルミナスに拠点を移してから三日。


 俺は朝から落ち着かなかった。


 理由は単純だ。


 目の前に、とんでもなく大きな“作業場”があるからだ。


「……広い」


 思わず漏れた声が、白い天井へ反響する。


 ここはルミナス中央区画にある【浄化工房】。


 街の中心に建つ大施設で、外から見ても巨大だったが、中へ入るとさらに規格外だった。


 吹き抜けの天井は五階建ての建物ほど高く、壁面には淡く光る魔導管が何本も走っている。中央には透明な水が満ちた巨大な浄化槽、その周囲には大小さまざまな洗浄台、乾燥棚、純化抽出器、魔力循環装置が整然と並んでいた。


 まるで夢の工房だ。


 いや――掃除好きにとっての楽園だ。


「主任」


 隣に立つルナが静かに告げる。


「本施設は古代文明における最上級浄化設備です」


「最上級……」


「神器級呪物の浄化、都市規模の瘴気循環洗浄、汚染核の分離処理、魔力沈着の再結晶化などが可能です」


「スケールがでかい」


「なお」


 ルナが少し間を置く。


「床の隅に微細な埃を確認」


「最初にそこ見るの?」


「重要です」


 ぶれない。


 この人、いやこの管理者、本当に清掃第一だ。


 でも嫌いじゃない。


 むしろ分かる。


 こういう綺麗な床の隅に、ちょっとだけ残る埃って気になるんだよな。


 すごく分かる。


「相馬さん」


 九条が目を輝かせて駆け寄ってくる。


 両腕いっぱいに資料を抱えていた。


「見て! 浄化工房の古代記録! この設備、呪われた装備の浄化だけじゃなくて、“汚染そのものを資源に変える”みたい!」


「資源?」


「つまりゴミが宝になる!」


「それ最高ですね」


 掃除して綺麗になって、おまけに儲かる。


 理想的すぎる。


 すると月白が奥の扉から出てきた。


 顔がいつも以上に真剣だ。


「……大変だ」


「どうしたんです?」


 「鍛冶炉が凄すぎる」


 深刻そうな顔で言うことが職人。


「古代鍛冶炉、温度制御が完璧だ。魔力伝導率も桁違い。あれがあれば、今まで不可能だった鍛造ができる」


「へえ」


「寝る暇が惜しい」


「かなり気に入ってる」


 その時だった。




 工房の奥から、ガリ……ガリ……と嫌な音が響く。


 床を引っかくような重たい音。


 白い壁の一角に、黒い筋が走った。


 亀裂ではない。


 黒ずみだ。


 いや――動いている。


 ぞわり、と壁面の汚れが膨らみ、人型を作る。


 次の瞬間、複数の影が一斉に這い出てきた。


 黒い塊。


 細長い腕。


 顔の位置に空洞。


 全身から油のようなぬめりを滴らせている。


 視界に青白い文字が浮かぶ。



【名称】:油喰鬼オイルグール

【種別】:中位汚染霊

【汚染分類】:油膜付着系+粘着沈着系

【汚れ度】:A+

【特徴】:高粘着/滑走移動/装備汚染/再付着

【推奨洗浄】:高温分解→界面浄化→拭き上げ

【備考】:ぬるぬるして非常に不快



 本当に嫌だ。


 見た目からしてぬるぬるしてる。


 床まで滑る。


 しかも足跡が黒い。


 綺麗な床を汚すな。


 その瞬間、少しだけ腹が立った。


「主任」


 ルナの目が僅かに細くなる。


「工房の床が汚れます」


「許せないですね」


「許せません」


 初めて完全に意見が一致した。


 オイルグールが滑るように突進する。


 速い。


 しかも動きが読みにくい。


 月白が前へ出る。


「斬る!」


 銀閃。


 しかし剣が触れた瞬間、刃に黒い油膜が絡みついた。


「重い……!?」


 切れ味が落ちる。


 汚染による性能低下だ。


 厄介だな。


 でも対処法は見えている。


「高温!」


 俺が叫ぶと、九条が即座に術式を組む。


「火炎符、展開!」


 赤い炎がオイルグールたちを包む。


 表面の油膜が熱で緩み、粘度が落ちた。


 そこへルナが片手を掲げる。


『浄化工房補助機構、起動』


 天井から白い霧が降る。


 浄化洗剤……いや、浄化粒子だ。


 熱で緩んだ油膜へ浸透していく。


「今だ」


 俺は星浄の箒を大きく振るう。


「【界面清掃】!」


 白い波が床を滑るように広がり、オイルグールの身体を包み込む。


 ぬるりとした黒が剥がれる。


 内側から透明な核が現れる。


 さらに一振り。


「仕上げ!」


 光が弾け、汚染が消えた。




 ぽとり、と床に落ちたのは黄金色の液体結晶。


【浄化素材】:精製魔油結晶

魔導機構の潤滑材として超高級品


 九条の目がまた金貨になった。


「売れる!」


「また?」


「かなり売れる!」


 だろうな。


 でも問題は別にあった。


 工房の奥の扉が、ゆっくり開く。


 その先は地下へ続く白い階段。


 冷たい風が吹き上がってくる。


 そして視界に新しい表示。


【新規解放区画】:地下循環炉区画

【汚れ度】:SS+

【警告】:長期未清掃

【備考】:かなり詰まっている


 俺は少し笑う。


 詰まり。


 いい響きだ。


 掃除のしがいがある。


「行きますか」


 そう言うと、ルナが静かに頷いた。


『はい、主任。次の清掃案件です』


 ――ルミナスの奥は、まだまだ深い。







地下循環炉区画へ向かう前に、俺たちは一度足を止めることになった。


 原因はもちろん九条だ。


「お願い、相馬さん! 一回だけ! 本当に一回だけ魔導図書館を見たい!」


 両手を合わせ、珍しく本気で頼み込んでくる。


 いつもの理知的な雰囲気はどこへやら、完全に目を輝かせた子どもみたいな顔だ。


「一回ってどれくらい?」


「……二時間」


「長い」


「一時間半!」


「誤差ですよね?」


「五十分!」


「刻み方が雑」


 横で月白が肩をすくめる。


「好きにさせればいい。どうせ連れていかなくても勝手に行く顔だ」


「行く」


 即答だった。


 正直すぎる。


 するとルナが静かに一歩前へ出る。


『主任。魔導図書館の再起動は優先度A判定です』


「そんなに重要なんですか?」


『知識の再解放は、今後の清掃効率を大幅に向上させます。また古代浄化術式の閲覧権限も含まれます』


 それは大きい。


 掃除の効率が上がるなら話は別だ。


「よし、寄りましょう」


「やった!」


 九条が小さくガッツポーズする。


 その姿に少し笑ってしまいながら、俺たちは街の西区画へ向かった。


 そして見えてきた【魔導図書館】は――想像を軽く超えていた。


 白い円形の巨大建築。


 外壁は滑らかな石ではなく、磨き抜かれた陶磁器のような質感で、表面には淡い青の紋様が波紋のように広がっている。巨大な柱は一本一本が透明な結晶でできていて、その内部を青い光が血流のように巡っていた。


 入口の扉は十メートル以上ある。


 なのに重厚さよりも、どこか神殿のような静謐さがあった。


 中へ入る。


 その瞬間、思わず息を呑んだ。


「……すごい」


 言葉がそれしか出ない。


 天井が見えない。


 いや、あるのかどうかすら分からないほど高い。


 壁一面を埋め尽くす本棚が何層にも積み重なり、その間を白い橋が複雑に渡されている。さらに空中には無数の発光する本がゆっくりと回遊していて、まるで魚の群れみたいに棚と棚の間を泳いでいた。


 中央には巨大な蒼い結晶球。


 脈打つように光り、館全体へ知識の光を流している。


 静かだ。


 けれど完全な無音ではない。


 紙がめくれる音。


 本が棚へ戻る微かな音。


 どこかで自動司書機構が歩く足音。


 古い紙とインクの香り。


 そこに混じる、少しだけ湿った埃の匂い。


 ――良い匂いだ。


 でも。


 少し気になる。


 俺の視界に文字が浮かぶ。


【区域】:魔導図書館・中央書庫

【汚染分類】:古紙粉塵系+魔力カビ系+胞子付着系

【区域汚れ度】:A+

【状態】:長期封鎖による空調停止

【推奨清掃】:換気→除菌→乾燥→高所払拭

【備考】:本棚の上がかなり気になる


 分かる。


 ものすごく分かる。


 高い本棚の天板って埃が積もるんだよな。


 しかも放置期間が長いと、普通の埃じゃなくて、ちょっと湿気を吸って重くなった嫌なタイプのやつになる。


 かなり気になる。


「相馬さん」


 九条が呆れたように笑う。


「また掃除目線になってる」


「いや、棚の上が……」


「見なくていいです」


 でも見える。


 気になる。


 そのときだった。




 天井近くの本棚の隙間が、もぞりと動く。


 黒い影が一つ。


 そして二つ。


 十。


 二十。


 次々と這い出してくる。


 本の形をしていた。


 けれど表紙には牙のような裂け目があり、ページが羽のようにばさばさと開閉している。そのたびに黒い胞子が霧のように舞った。


 視界に表示。



【名称】:呪頁獣スペルモルド

【種別】:魔導寄生獣

【汚染分類】:古紙粉塵系+胞子汚染系+知識侵食系

【汚れ度】:A

【特徴】:胞子拡散/魔導書寄生/群体行動/再生核共有

【推奨洗浄】:除菌固定→胞子除去→核洗浄

【備考】:本を汚すのでかなり悪質



 その瞬間。


 九条の顔つきが変わった。


 普段の柔らかさが消え、目が本気になる。


「……許さない」


 低い声だった。


「本を汚すやつは絶対に許さない」


 怖い。


 ちょっと怒りの温度が高い。


 スペルモルドの群れが一斉に飛ぶ。


 黒い胞子の雨。


 吸えば危険だと直感で分かる。


 だがルナが即座に対応する。


『館内防菌膜、展開』


 透明な膜が広がり、胞子を空中で固定する。


 黒い粒子がぴたりと止まり、雨のように落ちた。


「今!」


 月白が棚を蹴って跳ぶ。


 銀閃。


 空中で幾筋もの光が走り、十数体をまとめて両断する。


 しかし裂けた本の中から黒い核が飛び出し、別の本へ潜り込む。


 増殖した。


「核共有型か!」


 厄介だ。


 でも見える。


 視界の奥に赤い点がいくつも浮かぶ。


 汚染の中心。


 本棚の奥深くに巣がある。


【重点汚染箇所】

・第六書架上段

・中央結晶核裏

・禁書棚最奥


【攻略のコツ】

表面ではなく巣を掃除


「根こそぎ行きます!」


 俺は星浄の箒を握り締める。


 新しく手に入れた感覚が、頭の中へ流れ込んできた。


 都市浄化の術式。


 広域循環。


 使える。


「【浄化術式・広域循環】」


 白い光の風が館全体を巡る。


 棚の上。


 隙間。


 奥。


 届かない場所まで一気に流れ込む。


 黒い胞子が剥がれる。


 巣が崩れる。


 潜んでいた核が一斉に浮かび上がった。


「そこだ!」


 九条の拘束式。


 月白の斬撃。


 最後に俺の一振り。


「【仕上げ清掃】!」


 白光が弾ける。


 館中の黒ずみが、一瞬で消えた。



 古びていた本が新刊みたいな艶を取り戻す。


 結晶球が強く脈打つ。


 蒼い光が館を満たす。


 そして中央の台座が開く。


 中には、一冊の白い本。


 触れた瞬間、表示が浮かぶ。


【古代技能書】

《浄化術式・広域循環》正式解放

効果:都市規模一括清掃

副次効果:空調浄化/菌除去/魔力循環改善


「強すぎる……」


 九条が呆然と呟く。


 俺も同意見だ。


 そのとき。



 図書館最奥の禁書区画の扉が、ぎぃ……と僅かに開いた。


 中は真っ暗。


 なのに、その闇だけがこちらを見ているような感覚がある。


 背筋が寒くなる。


 視界に文字。



【名称】:禁書蟲アーカイヴイーター

【種別】:未確認上位侵食体

【汚染分類】:知識侵食系+精神汚染系

【汚れ度】:SSS

【危険度】:極大

【備考】:本好きを本気で怒らせるタイプ。かなり悪質。



 横を見る。


 九条が無言だった。


 笑っていない。


 逆に怖い。


「……倒しましょう」


「静かに怒ってる」


 でも、俺も少し同意だった。


 本を汚すのは良くない。


 かなり良くない。


 ルミナスの奥には、まだまだ大きな清掃案件が眠っている。


 俺は白い本を抱え、禁書区画の闇を見つめた。

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