第八話 古代都市
転送門をくぐった瞬間、空気が変わった。
ひんやりとしているのに冷たくはない。澄みきっていて、肺の奥まで洗われるような感覚がある。さっきまでいた中央浄化区画の空気とはまるで別物だ。
目の前に広がっていたのは――街だった。
白い。
ただ白いだけじゃない。磨き上げられた大理石のような白さと、柔らかく光を返す乳白色の金属、透明な水晶のような素材が組み合わさっていて、建物ひとつひとつが上品に輝いている。
高く伸びる塔。
整然と並ぶ街路樹。
石畳の広い道。
街の中心を巡る水路。
小さな橋。
噴水広場。
壁面を流れる淡い光の紋様。
人の気配はないのに、不思議と死んだ街には見えなかった。
ただ静かに眠っている。
そんな印象だ。
「……すご」
九条がぽかんと口を開ける。
「古代文明って、ここまで凄かったの……?」
月白も珍しく素直に感心していた。
「鍛冶設備があるなら見てみたい」
職人らしい感想が最初にそれか。
でも、俺の目に最初に入ったのは別のものだった。
白い石畳の隙間にこびりつく黒ずみ。
噴水の縁に付着した灰色の膜。
街灯の根元に溜まった黒い粉塵。
……汚れてる。
しかもかなり嫌なタイプの汚れだ。
その瞬間、視界に青白い文字が浮かぶ。
【区域】:旧管理都市ルミナス・第一街区
【汚染分類】:粉塵沈着系+魔力劣化系
【区域汚れ度】:A+
【状態】:長期放置による機能低下
【推奨清掃】:広域払拭→循環路洗浄
【備考】:埃っぽい。かなり気になる。
最後の一文だけ、妙に共感した。
かなり気になる。
すごく気になる。
白い街に黒ずみは目立つ。
ものすごく掃除したい。
「相馬さん、顔」
九条が苦笑する。
「かなり掃除したい顔になってる」
「……なってます?」
「なってる」
月白まで頷く。
否定できない。
そのときだった。
広場の石畳が、ざり……と音を立てて動く。
灰色の粉塵が渦を巻き、人の形を作った。
一体。
二体。
十体。
そしてさらに増える。
ぼろぼろの外套を纏った人影。けれど中身は空洞で、身体は灰と埃だけで形作られている。目の部分だけが青白く光っていた。
視界に文字が浮かぶ。
【名称】:灰衣霊ダストレイス
【種別】:粉塵霊体
【汚染分類】:乾燥粉塵系+魔力残滓系
【汚れ度】:A
【特徴】:群体化/視界阻害/呼吸阻害粉塵
【推奨洗浄】:湿式固定→一括払拭
【備考】:舞う。とても舞う。
「舞うのか……」
「何の感想!?」
九条が突っ込む。
でも重要だ。
乾いた埃は舞い上がる。いきなり払うと広がる。掃除の基本として、まず湿らせて固めるのが正解。
「月白さん、斬らないでください」
「またか」
「広がるので」
「汚れ基準で戦術が決まるのか……」
俺は星浄の箒を構えた。
「【清掃】――散水」
白い光が霧になって広がる。
ふわふわ漂っていた灰が、しっとりと重くなった。舞わない。固まった。
「今です!」
月白の剣が閃く。
今度は一撃で粉塵体を薙ぎ払っても飛び散らない。
塊のまま崩れる。
そこへ九条の拘束式。
「固定!」
最後に俺が箒を払う。
「仕上げ!」
白い光が塊を洗い流し、透明な結晶へ変えていく。
ぽろぽろと大量に落ちる。
九条の目がまた金貨になった。
「これ、高級浄霊結晶だ……!」
「売れる?」
「かなり」
「いいですね」
掃除して儲かる。
最高だ。
だが次の瞬間、街の奥から重い振動が響いた。
どん、どん、と石畳が揺れる。
巨大な影が、建物の向こうから姿を現す。
灰色の巨人。
全身を厚い埃の鎧で覆い、頭部には王冠のような角を持つ異形。
ひと目で分かる。
強い。
そして、とんでもなく汚れてる。
【名称】:灰冠獣グレイロード
【種別】:上位粉塵獣
【汚染分類】:鉱物粉塵系+蓄積堆肥系
【汚れ度】:SS
【特徴】:高硬度外殻/粉塵嵐/重量踏破
【推奨洗浄】:表層軟化→重点洗浄
【備考】:かなり頑固。隙間汚れ多め。
「隙間汚れ多めってなんだ……」
灰冠獣グレイロードは、その巨体に似合わぬ素早さで腕を振り下ろした。
轟音。
広場の石畳がまとめて砕け、衝撃と同時に大量の灰が爆風のように舞い上がる。視界が一瞬で白く濁り、喉の奥にざらつく痛みが走った。
「ごほっ……!」
九条が口元を押さえる。
「これ、吸うとまずい……!」
その瞬間、俺の視界に文字が浮かぶ。
【名称】:灰冠獣グレイロード
【種別】:上位粉塵獣
【汚染分類】:鉱物粉塵系+長期蓄積堆積系
【汚れ度】:SS
【特徴】:高硬度外殻/粉塵嵐/重量踏破/隙間への深部沈着
【推奨洗浄】:広域散水→粉塵固定→重点清掃
【追加注意】:乾いたまま触ると広がる
【備考】:かなり頑固。掃除のしがいあり。
最後の一文で少し笑いそうになる。
でも本当にそうだ。
かなり頑固。
そのぶん落とせたときの達成感は大きい。
「月白さん!」
「わかってる!」
銀の閃光が走る。
月白が地面を蹴り、一瞬でグレイロードの懐へ潜り込んだ。下から斜めへ振り抜いた斬撃が灰の装甲を深く裂く。
――が、硬い。
刃は途中で止まり、火花を散らした。
「中まで届かん!」
そこへ巨大な拳が振り下ろされる。
月白は横へ飛んで回避するが、着地の瞬間に足元から灰の杭が何本も突き出した。
「ちっ!」
連続回避。
速い。
巨体のくせに動きがいやらしい。
さらに口が開く。
内部から濃密な粉塵流が吐き出された。
「来る!」
九条が護符を投げる。
「防壁展開!」
青白い結界が広がり、粉塵流を受け止める。だが一瞬で表面がざらつき、結界そのものが劣化していく。
「結界まで汚すの!?」
厄介すぎる。
でも、構造は見えた。
視界の奥にさらに文字が浮かぶ。
【重点汚染箇所】
・肩関節内部
・胸部循環炉
・背部排気口
【攻略のコツ】
外側ではなく、詰まりを落とす
「なるほど」
表面を削るだけじゃダメだ。
本当に汚れてるのは内部。
配管の詰まりみたいなものだ。
「月白さん! 肩の継ぎ目を開けて!」
「了解!」
銀閃。
一撃。
二撃。
三撃。
鋭い斬撃が関節の隙間を正確に裂く。
「九条さん、その中に!」
「軟化式、注入!」
青い術式が内部へ流れ込む。
ごごご……と音を立て、長年固着していた灰の塊が柔らかく崩れ始めた。
今だ。
俺は大きく踏み込み、星浄の箒を振り抜く。
「【重点清掃】!」
白い奔流が関節内部へ流れ込む。
灰が剥がれる。
汚れが落ちる。
長年詰まっていた排気路が一気に通る。
瞬間、グレイロードの全身から灰が吹き飛んだ。
白い風が広場を吹き抜ける。
厚い灰の鎧が、一枚、また一枚と剥がれていく。
そして現れたのは――
白銀の巨兵だった。
精緻な紋様。
青く光る魔導回路。
胸部中央に澄んだ青核。
まるで守護神像のように美しい。
青い瞳が静かに灯る。
『……浄化確認』
『第一街区守護機兵グレイロード、正常復帰』
巨兵はゆっくりと膝をついた。
『主任へ敬礼』
「主任って俺?」
『はい』
「やっぱり?」
その瞬間、街全体へ光が走る。
噴水が勢いよく吹き上がる。
水路へ清流が巡る。
街灯が次々と灯る。
建物の窓に暖かな光が宿る。
眠っていた街が目覚めていく。
静かな歓声みたいに、街そのものが喜んでいる気がした。
そして広場中央の白塔が開く。
中には一人の女性が眠っていた。
長い白髪は月光を編んだみたいに滑らかで、透けるように白い肌には人形めいた整い方がある。閉じられた瞼は静かで、その佇まいは神秘的だった。
やがて睫毛が揺れる。
蒼い瞳が開いた。
まるで深い湖の底みたいに澄んだ色。
彼女は静かにこちらを見て、すっと膝をつく。
『管理者権限確認』
『清掃主任認証完了』
『旧管理都市ルミナス統括補佐官――ルナ=エルシア』
鈴のように澄んだ声が響く。
『以後、主任の業務を全面支援いたします』
完璧な美人だ。
神秘的で、知的で、近寄りがたいほど整っている。
……が。
『なお、東通り第三区画に微細な黒ずみを確認』
「第一声それ?」
『優先清掃案件です』
「自己紹介より先?」
『汚れは待ちません』
「正論!」
九条が吹き出す。
月白も肩を揺らして笑う。
見た目は完璧なのに中身が完全に清掃特化だ。
なんか親近感がある。
ルナが指先を上げると、空中へ街の機能一覧が浮かんだ。
【浄化工房】
呪い除去/洗浄触媒生成/浄化液精製
【純化炉】
汚染物→高純度魔石へ変換
【古代鍛冶炉】
古代金属加工/神器級装備鍛造
【魔導図書館】
失われた古代魔術/技術保管庫
【大転送門】
外界との安定接続
九条の目が輝く。
「住む」
即答だった。
月白も真顔で言う。
「鍛冶炉を見せろ」
職人の目だ。
俺も理解する。
これは店どころじゃない。
ここを拠点にすれば、もっと大きなことができる。
そんなとき。
街の最上層にある白塔の頂で、どくん、と黒い脈動が走った。
空が一瞬だけ濁る。
視界に文字。
【名称】:???
【種別】:未確認超高濃度汚染体
【汚染分類】:解析不能
【汚れ度】:測定不能
【危険度】:極大
【備考】:今はまだ、手を出さない方がいい
珍しく弱気な備考だった。
つまり、本当に危ない。
けれど同時に思う。
……どれだけ汚れてるんだろう。
どれだけ綺麗になるんだろう。
想像しただけで少し笑ってしまう。
ルナが静かに頭を下げる。
『主任。ルミナスには、まだ多くの清掃案件が残っています』
「はい」
俺は星浄の箒を肩へ担いだ。
「順番に綺麗にしていきましょう」
白い街に風が吹く。
新しい拠点。
新しい仲間。
そして、まだ見ぬ最高の大掃除へ向けて――物語はさらに大きく動き始めていた。




