第六話 ダンジョン②
『――業務引継ギヲ開始シマス』
青白く光る瞳が、まっすぐ俺を見据える。
白いエプロン、白い手袋、手には長いモップ。どう見ても掃除の人だ。けれど、その全身から漂う気配はただ者じゃない。静かなのに圧がある。まるで巨大な神殿そのものが立ち上がってきたような威圧感だ。
「……何あれ」
九条が小声で呟く。
「古代自律機構……いや、魔導人形……?」
珍しく声が震えている。
月白も剣の柄に手をかけた。
「敵か?」
その問いに答えたのは、白エプロンの存在だった。
『同行者二名。危険度低。汚染付着軽微。通行許可』
次に、その青い瞳が俺へ向く。
『外部清掃員。適性確認』
白い手袋が、すっと俺の額へ伸びる。
触れた瞬間、頭の奥に光が流れ込んだ。
見えたのは膨大な景色だった。
空に浮かぶ巨大都市。
白い塔。
無数の人々。
その中心で働く、白衣やエプロン姿の人たち。
彼らは戦っていなかった。
磨いていた。
掃いていた。
洗っていた。
浄化していた。
けれど、彼らが道具を振るうたび、街を覆う黒い瘴気が消え、大地が蘇り、枯れた森が再生していく。
まるで奇跡みたいに。
『古代管理清掃技術――継承候補確認』
声が響く。
『職種分類:【清掃主任】』
「主任!?」
なんか急に役職がついた。
しかもそこそこ偉そうだ。
九条が興奮した顔で飛び跳ねる。
「主任!? 相馬さん、古代職だよ! 最上位職っぽい!」
「清掃に最上位も下位もあるんですか?」
「あるんじゃない!? 今できた!」
適当すぎる。
だが白エプロンは真剣だった。
『施設内部へ案内シマス』
そう言って歩き出す。
俺たちは顔を見合わせ、その後を追った。
進んだ先に広がっていたのは、信じられない空間だった。
巨大な白亜のホール。
床は鏡みたいに磨き上げられ、壁には見たこともない魔導機械が整然と並ぶ。天井には淡い光球が浮かび、何百年も閉ざされていたはずなのに埃ひとつない。
いや――違う。
綺麗じゃない場所もある。
ところどころに、どす黒い染みが浮いていた。
床の隙間。
柱の根元。
魔導装置の配管。
まるで排水溝のぬめりみたいに、黒い汚れがこびりついている。
俺の目が、思わず輝いた。
「……すごい」
「何に感動してるの」
九条が呆れる。
「掃除しがいがあります」
「職人だ……」
そのときだった。
ホールの奥で、どろり、と黒い染みが盛り上がる。
粘液の塊が膨れ、人の倍ほどある泥の獣になった。
目も口もない。ただ黒く濁った泥が、ぐちゃりと形を持っている。
『汚染獣。発生確認』
白エプロンが淡々と告げる。
『通常清掃工程、開始』
だがその瞬間、汚染獣が吠えるように身体を膨らませ、黒泥の槍を何本も撃ち出した。
「危ない!」
月白が前へ出る。
剣閃が走り、泥槍を一瞬で斬り払う。さすがに強い。けれど斬られた泥が床へ落ちると、そこからまた小さな泥塊が生まれた。
「増える!?」
九条が叫ぶ。
普通に斬るだけじゃ駄目だ。
あれは汚れだ。
汚れなら――
「俺がやる!」
新しい手袋をはめ、清掃杖を握る。
不思議としっくりくる。
まるで何年も使い込んだ掃除道具みたいに、手の延長になっていた。
「【清掃】!」
杖を払う。
白い光が大きく弧を描き、黒泥を包み込んだ。
じゅわっ、と音がして、泥の表面が泡立つ。
次の瞬間、汚染獣の身体が一気に崩れ落ちた。
泥が透明な水になって床へ流れ、最後にはきらりと小さな黒い核だけが残る。
『高効率清掃確認』
白エプロンの目が強く光る。
『主任適性、極めて高』
なんか褒められた。
嬉しい。
でも、それ以上に――
ホールの奥に見える巨大な閉鎖扉、その向こうからとんでもない汚れの気配がした。
黒く、重く、濃い。
今まで見たどんな呪いよりもひどい。
思わず唾を飲む。
そして、にやける。
……あれ、絶対すごく汚い。
掃除したい。
『中央浄化区画、汚染率九十二%』
白エプロンの古代清掃員が、巨大な封鎖扉を見上げながら静かに告げる。その無機質な声は淡々としているのに、どこか焦りのようなものが滲んでいた。
『本施設ノ中枢機能ハ長期停止状態。原因ハ、超高濃度汚染堆積物ノ固着』
「要するに……」
九条が腕を組み、少し考えてから言う。
「めちゃくちゃ汚れて止まってる」
「わかりやすい」
「相馬さん向け」
それは否定できない。
むしろここまで真っ直ぐ『掃除してください』と言われる場所も珍しい。ここまで来ると運命めいたものすら感じる。
月白は相変わらず腕を組みながら、扉の向こうを睨んでいた。
「気を抜くな。汚れが濃すぎる。あれはもう“生きる”」
その言葉に頷く。
見えるのだ。
扉の向こうで、黒く濁った何かが脈打っているのが。泥のようで、煙のようで、血管のようにも見えるものが、壁一面に張り巡らされている。
汚れというより、巨大な臓器みたいだった。
……すごく嫌な感じなのに、すごく掃除したい。
自分でもだいぶ職業病だと思う。
「開けます」
扉へ手を当てる。
新しい手袋に刻まれた魔導紋が淡く輝き、掌から白い光が流れ込んでいく。
ごごごご……と重い音が響き、何百年も閉ざされていた巨大扉がゆっくり開いた。
その瞬間。
「っ……!」
濃密な黒い空気が、一気に押し寄せてきた。
息が詰まる。
肺の中まで泥を流し込まれたような圧迫感。九条が咳き込み、月白が剣を抜く。
「ひどい……魔力そのものが腐ってる」
九条の声が強張る。
その先に広がっていたのは、黒い海だった。
床一面を覆う瘴泥。どろどろと粘り気を持って脈打ち、ところどころから泡のように黒い気泡を吹き上げている。壁には太い黒い根が絡みつき、天井からは呪いの雫がぽたり、ぽたりと落ちていた。
しかもその一滴が床に落ちるたび、ぐにゃりと泥が盛り上がる。
生まれてくる。
黒い獣が。
犬のような形をしたもの、蜘蛛のように脚が多いもの、蛇のように細長いもの。どれも輪郭が曖昧で、目だけが赤く濁って光っていた。
『汚染獣群、活性化』
「群れかよ!」
叫んだ瞬間、先頭の獣が飛びかかってくる。
だが、その前に銀閃が走った。
月白の剣だ。
一閃で二体を両断する。けれど斬られた泥は飛び散り、床へ落ちた場所からまた新しい小型の獣が這い出てくる。
「増える!」
「斬るだけじゃきりがない!」
九条が叫びながら護符を投げる。青白い光が炸裂し、数体を吹き飛ばすが、核が残っているせいでまた再生する。
汚れが核を残している。
つまり――
「表面だけじゃ駄目だ!」
俺は前へ出る。
清掃杖を握ると、手の中で心地よく熱を帯びた。まるで『使え』と語りかけてくるみたいに。
「根こそぎ落とす!」
杖を大きく払う。
「【清掃】!」
白い光が渦になって広がった。
光に触れた汚染獣たちの身体が、一気に泡立つ。表面の泥だけじゃない。奥に潜む核まで白く洗われていくのが見えた。
じゅうう、と嫌な音を立てながら、黒泥が透明な水へ変わる。
そして最後には、きらりと小さな黒い結晶だけが残った。
九条が目を丸くする。
「純化してる……!」
「純化?」
「汚れを落とした副産物。高級魔石になる!」
ぽろぽろと床へ落ちる黒結晶は、すでに宝石みたいに透き通っていた。
それが何十個も。
「……かなり儲かる?」
「かなりどころじゃない」
九条の目が金貨みたいに輝く。
「店、三店舗くらい増やせる」
「増やす前提なんですね」
「当然」
その会話の最中、白エプロンが深く頭を下げた。
『主任権限解放条件達成』
壁が振動する。
すると左右の壁面が静かに開き、中から白い台座がせり上がってきた。
その上に置かれていたのは、一振りの箒だった。
銀の柄に、淡く光る青い紋様。穂先は雪のように白く、一本一本が星屑を編み込んだみたいに輝いている。
ただ美しいだけじゃない。
近づくだけで、身体の奥の淀みがすっと軽くなる。
『神器【星浄の箒】』
九条が飛び跳ねる。
「出たぁぁ!? 神話級遺物!」
月白まで息を呑む。
「……こんなもの、文献でしか見たことがない」
俺はそっと手に取る。
軽い。
けれど、とてつもない力が流れてくる。
振るうだけで周囲の黒い空気が、さらさらと塵のように剥がれ落ちた。
床の瘴泥が白い床へ戻る。
壁の黒根が枯れて崩れる。
空気まで澄んでいく。
……気持ちいい。
掃除って、やっぱり最高だ。
だがその瞬間だった。
区画のさらに奥、巨大な壁面にびしりと亀裂が走る。
ずるり、と。
山のような黒い腕が、闇の中から伸びてきた。
今までの汚染獣とは比べものにならない。
黒く、重く、深い。
見ただけで本能が警鐘を鳴らすほどの、桁違いの“汚れ”。
『最終汚染核――覚醒』
白エプロンの声が、初めてわずかに震えた。
『施設存続率、三%』
その絶望的な数字を聞いても、不思議と俺の胸に湧いたのは恐怖じゃなかった。
ただ一つ。
――めちゃくちゃ掃除しがいがありそうだ。
思わず、口元が緩む。
「……綺麗にしよう」
星浄の箒を握る手に、力がこもった。




