第五話 ダンジョン①
工房の前に止まった大きな荷車から降ろされたのは、二人がかりでも持ち上がらないほど巨大な剣だった。
長さは大人の背丈ほど。幅も広く、まるで鉄の塊をそのまま削り出したような無骨な造りをしている。
けれど、本来の姿は違ったのだろう。
刀身のあちこちに刻まれた紋様は、黒ずみの奥でかすかに金色の輝きを残していた。柄には高級そうな革が巻かれていた痕跡もある。
だが今は、見る影もない。
全身を覆うように、どす黒い瘴気がまとわりついている。
まるで長年一度も掃除していない換気扇の油汚れに、さらに泥と煤を塗り重ねたみたいな惨状だった。
……最高だ。
俺の口元が、自然と緩む。
「笑うところか?」
荷車から降りてきた鎧姿の男が、怪訝そうに眉をひそめた。
「いえ、ただ……」
俺は黒剣を見つめたまま答える。
「すごく掃除しがいがあるなって」
「変なやつだな」
呆れたように言いながらも、男の表情はどこか安堵していた。
本当に困っている人ほど、こういう“変わった自信”に救われたりする。
「この剣は、騎士団が保管していた封印武具だ」
男は剣の横に立つ。
「本来は魔を断つ聖剣に近い性質を持つ。だが百年前の大規模討伐で呪いを受け、以来ずっと封印されていた」
「浄化できなかったんですか?」
「何十人もの術師が挑んだ。だが誰も近づけなかった。触れれば侵される」
そう言って、男は自分の手袋を見せた。
革の表面が黒く腐食している。
触れただけでこれか。
相当しつこい。
でも――見える。
黒い瘴気の奥に、綺麗な芯がある。
汚れの奥に、本来の姿がちゃんと残っている。
「いけます」
俺が即答すると、その場にいた全員が固まった。
「……即答?」
「はい」
「本当に?」
横から九条が目を丸くする。
「かなり大物だよ?」
「大物ですね」
「怖くない?」
「怖いより、わくわくします」
月白が、ふっと笑う。
「職人だな」
俺は黒剣の前に立ち、深く息を吸った。
いつもより集中する。
表面の瘴気。
内部の呪詛。
金属に染み込んだ怨念。
そして核になっている、こびりついた“穢れ”。
層が深い。
普通に削れば本体まで傷つく。
だから順番に剥がす。
丁寧に。
でも容赦なく。
「【清掃】」
白い光が刀身を包んだ瞬間――
ギィィィィィンッ!!
耳をつんざくような悲鳴が響いた。
黒い瘴気が大きく膨れ上がり、人の顔のようなものをいくつも形作る。
怒り、憎しみ、苦痛。
そんな感情がぐちゃぐちゃに混ざった叫び。
工房の窓ガラスがびりびりと震えた。
「っ……!」
思った以上に抵抗が強い。
でも負けない。
汚れは抵抗するものだ。
こびりついたものほど、剥がれる瞬間に暴れる。
換気扇もそう。
焦げ付きもそう。
この呪いも同じ。
「綺麗にしろ」
自分に言い聞かせるように呟く。
「本来の姿に戻れ」
光が強くなる。
黒い瘴気が、一枚ずつ剥がれていく。
べりっ。
べりっ。
まるで長年貼りついた黒い膜を剥がすように、少しずつ。
そして最後の層に触れた瞬間――
ぱきん、と音がした。
刀身を覆っていた黒ずみが一斉に砕け散る。
現れたのは、眩しいほど白銀の刃だった。
金の紋様が淡く輝き、周囲の空気を澄ませていく。
先ほどまでの禍々しさが嘘のように消えていた。
「……綺麗になった」
思わず、ほっと息が漏れる。
その瞬間。
白銀の刀身が、キィン……と澄んだ音を鳴らした。
周囲にいた人たちの背筋が、ぞくりと震える。
「聖気だ……」
鎧の男が呆然と呟く。
「封印前より、強い……」
月白が刀身を見つめながら言う。
「詰まりまで消えたんだ。流れが完璧になってる」
九条はもう目を輝かせていた。
「相馬さん、国宝級まで掃除しちゃったよ」
「そんな軽いノリで言わないでください」
すると鎧の男が、俺の前で深く頭を下げた。
「頼みがある」
「え?」
「騎士団専属にならないか」
「え?」
「金は出す。地位も出す。屋敷も出す」
「急に条件が強い」
月白が即座に割って入る。
「断る」
「まだ俺、何も言ってませんけど」
「うちの清掃屋だ」
いつから。
でも、少しだけ嬉しかった。
この場所が、もう“居場所”になり始めている気がして。
そのときだった。
白銀に戻った大剣の紋様が、ふっと光る。
そして刀身の中央に、ひとつの地図が浮かび上がった。
地下へ続く、見たことのない階層図。
九条の顔色が変わる。
「これ……未発見領域の地図だ」
空気が変わった。
ただの掃除じゃない。
とんでもないものを起こしてしまったらしい。
白銀へと蘇った大剣の刀身に浮かび上がった地図を前に、工房の空気は張り詰めていた。
いつも飄々としている九条ですら、机に身を乗り出し、羊皮紙へ何度も図を書き写している。横顔は真剣そのもので、冗談を挟む気配すらない。
「……間違いない」
やがて彼女は顔を上げた。
「これは既存の探索記録にない。完全な未踏破領域だよ」
「未踏破って、そんな場所が今さらあるんですか?」
俺が尋ねると、九条は頷く。
「ある。正確には、“誰にも辿り着けなかった場所”かな」
地図には、現在知られているダンジョンの最下層よりさらに深い位置へ伸びる細い道筋が描かれていた。その先には、大きな円で囲まれた区域。そして古代文字で一言だけ刻まれている。
――浄域。
清らかな場所、あるいは清めるべき場所。
そんな意味らしい。
「どう考えても怪しいですね」
「うん、怪しい」
「危険ですよね」
「かなり危険」
「じゃあやめましょう」
「でも行きたいでしょ?」
即答だった。
図星を刺されて、思わず黙る。
未知の場所。
見たこともない汚れ。
埋もれているかもしれない道具や遺物。
そう考えただけで胸の奥がそわそわする。新しい洗剤を買ったときの妙な高揚感に近い。いや、もっと大きい。
月白が腕を組み、ふっと笑った。
「いい顔してる」
「してます?」
「してる。面倒な汚れを前にした職人の顔だ」
否定できない。
俺は椅子にもたれ、小さく息を吐いた。
「……行ってみたいです」
「だろうと思った」
月白はそう言うと、すぐ工房の奥へ消えた。数分後、大きな木箱を抱えて戻ってくる。
中に入っていたのは、一組の革手袋と、短い棒のような道具だった。
「新装備だ」
「俺の?」
「そうだ」
革手袋の掌には細かな魔導紋が刻まれている。はめてみると、不思議なくらい手に馴染んだ。まるで最初から自分の手だったみたいに、違和感がない。
「清掃の魔力を均一に流す補助具だ。今までより細かい作業ができる。こっちは――」
月白が棒を持ち上げる。
先端には柔らかな白い毛束がついていた。
「……刷毛?」
「清掃杖だ」
「そのままですね」
「名前は大事じゃない。使いやすさが大事だ」
柄の部分には金属の芯が入っていて、ほんのりと温かい。魔力を通しやすい素材らしい。
「広範囲清掃に向いてる。壁、床、大型装備向けだ」
「完全に掃除道具だ……」
「お前には似合う」
妙にしっくりくるのが悔しい。
横で九条が大きな鞄へ荷物を詰め込んでいた。紙束、保存食、薬品、ロープ、そして大量の昆布。
「昆布多くないですか」
「頭を使うと塩分が欲しくなるから」
「遠足じゃないんですよ」
「大冒険だよ?」
言い返せない。
そのとき、工房の扉が開いた。
振り向くと、見覚えのある顔が何人も立っていた。荒巻豪牙を先頭に、この店へ来た客たちだ。呪いを落とした探索者、装備を蘇らせた冒険者、守護のぬいぐるみを抱えた少女と母親までいる。
「見送りに来た」
豪牙がにやりと笑う。
「深層に行くって聞いたからな」
「情報回るの早くないですか?」
「この街は狭い」
少女がぬいぐるみをぎゅっと抱きしめながら言った。
「お兄ちゃん、がんばって」
その一言に、胸が少し熱くなる。
気づけば、自分には帰る場所ができていた。
待ってくれる人がいる。
応援してくれる人がいる。
無職だった頃には、想像もしなかったことだ。
「……行ってきます」
自然と、そんな言葉が口から出た。
月白が剣を担ぎ、九条が鞄を背負う。
「じゃあ出発」
「深層調査兼、大掃除だね」
「掃除が主目的みたいに言わないでください」
でも、たぶん間違っていない。
ダンジョンの入口へ足を踏み入れると、ひんやりとした空気が肌を撫でる。薄暗い石壁、湿った土の匂い、遠くから聞こえる魔物の唸り声。
なのに、少し違和感があった。
「……静かですね」
「うん」
九条が眉をひそめる。
「魔力の流れも変」
さらに進むと、その理由がわかった。
壁も、床も、天井までもが――異様に綺麗だった。
埃一つない。
苔もない。
ひび割れ一つなく、まるで誰かが磨き上げたみたいに整っている。
「なんだこれ……」
俺が呟いた、その瞬間。
奥の暗闇から、コツ、コツ、と規則正しい足音が響いた。
現れたのは、一体の人影。
白いエプロン。
白い手袋。
そして手には、長いモップ。
その目だけが、青白く光っていた。
『――清掃、未完了区域ヲ確認』
機械のような声が響く。
『外部清掃員、侵入認定』
青い瞳が、まっすぐ俺を見る。
『……業務引継ギヲ開始シマス』
「……え?」
どうやら深層には、俺より先に掃除していた“何か”がいるらしい。




