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会社を辞めた俺、ハズレスキル“清掃”でダンジョン最深部を独占する  作者: tsu
白銀都市ルミナス編

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第四話 掃除屋の評判

工房の入口に立つ大柄な男は、まるで限界をぎりぎりのところで踏みとどまっているように見えた。


 肩で息をし、額には脂汗が浮かび、左腕を押さえる右手には強く力が入っている。その左腕に広がる黒い痣は皮膚の表面だけじゃない。肉の奥、骨の周囲、さらに魔力の流れにまで、べったりと黒い泥のようなものがまとわりついているのが俺には見えた。


 ……ひどく汚れている。


 しかも、ただの汚れじゃない。


 粘つくような執着がある。まるで「ここから離れない」と意志を持って食らいついているみたいだ。


「座ってください」


 俺が椅子を勧めると、男は怪訝そうな顔をした。


「……あんたがやるのか?」


「一応」


「新人に見えるが」


「今日開業しました」


「今日?」


 眉がひそむ。


 そりゃそうだ。俺だって逆の立場なら帰る。


 だが横から月白 蓮華さんがきっぱり言った。


「信用しろ。こいつは本物だ」


 続けて九条 澪さんが満面の笑みで頷く。


「すごく本物」


 説明が雑だ。


 でも、その二人にそこまで言われた男は、深く息を吐いて椅子へ腰を下ろした。


「……名前は?」


「相馬です」


「俺は荒巻 豪牙。B級探索者だ」


 聞いた瞬間、九条さんがぴくりと反応した。


「あ、知ってる。ソロで中層まで潜る人」


「昔の話だ」


 豪牙さんは左腕を見つめる。


「三か月前、深層寄りの区画で変な魔物を斬った。倒したと思ったら、返り血みたいに呪いが飛んできた。それ以来だ」


 黒い痣がじわりと脈打つ。


 そのたびに、豪牙さんの顔がわずかに歪む。


「日に日に広がる。腕が重い。力も抜ける。浄化師に何人も見せたが、誰も駄目だった」


「理由は単純です」


 九条さんが腕を組む。


「普通の浄化は表面しか削れない。でもこれは根っこまで絡みついてる」


「木の根みたいに?」


「もっと悪質。血管と魔力回路に沿って侵食してる」


 かなり深い。


 でも――見える。


 汚れの輪郭が、俺にははっきり見える。


 黒い根が、どこから入り、どこへ伸び、どこに澱んでいるのか。まるで長年放置された排水管の詰まりを見るみたいに、構造がなんとなくわかった。


「相馬さん、いける?」


 九条さんが聞く。


 俺は少し考えてから、頷いた。


「落ちます」


 豪牙さんが顔を上げる。


「本当か?」


「ただし、少し痛むかもしれません」


「構わん」


「かなり痛むかも」


「それでもいい」


「ものすごく痛いかも」


「脅すな!」


 思わず笑ってしまった。


 豪牙さんも、少しだけ口元を緩める。


 少し空気が和らいだところで、俺は左腕へ手をかざした。


 表面だけじゃない。


 皮膚の下、筋肉の奥、骨の周囲、魔力の流れ――根を張る呪いを一本ずつ見極める。


 雑に剥がせば身体まで傷つく。


 丁寧に。


 慎重に。


 でも確実に。


「【清掃】」


 白い光が、豪牙さんの左腕を包み込んだ。


 次の瞬間。


 「――ぐっ、ぁぁあああっ!?」


 豪牙さんが椅子を軋ませるほど身体を反らした。


 黒い痣が生き物みたいにうねり、皮膚の表面を這い回る。逃げ場を探すように暴れたかと思うと、指先から黒い煙となってぶわっと吹き出した。


 工房の中に、腐った泥みたいな臭いが広がる。


「うわ、くさっ」


 九条さんが鼻を押さえる。


「本当に汚れだった」


「そこ感心するところです?」


 月白さんが呆れ顔になる。


 やがて黒煙が完全に消えると、豪牙さんの腕から黒い痣は跡形もなく消えていた。


 むしろ、以前より肌艶がいい。


「……軽い」


 豪牙さんが腕を握る。


 開く。


 回す。


 力を込める。


 そして拳を握った瞬間――空気が鳴った。


「戻った……!」


 その声は震えていた。


「三か月ぶりだ……ちゃんと、力が入る……!」


 大柄な男の目に、うっすら涙が浮かぶ。


「ありがとう」


 たった一言。


 でも、その一言が胸に深く響いた。


 役に立てた。


 本当に、人の役に。


 その実感が胸の奥をじんわり温める。


 豪牙さんは立ち上がり、大剣を背負い直すと、にやりと笑った。


「この恩は広める」


「広める?」


「命を預けられる清掃屋がいるってな」


 そう言い残して去っていく背中は、来たときよりずっと大きく見えた。


 その背を見送りながら、九条さんがにこにこ笑う。


「相馬さん」


「はい?」


「明日、忙しくなるよ」


 その予言が、本当になるとは。


 このときの俺は、まだ知らなかった。







翌朝。


 工房の扉を開けた瞬間、俺はその場で固まった。


「……なんで?」


 目の前に、人の列ができていた。


 ざっと見ただけでも三十人近い。探索者風の男もいれば、壊れた装備を抱えた女性もいる。腕や足に黒い痣のような呪いの跡が浮かんでいる者、黒ずんだ魔石を布に包んで大事そうに抱える老人、何かの鉢植えを持ってきているおばあちゃんまでいた。


 朝の静かな路地に、人のざわめきが満ちている。


 しかも全員、こっちを見ていた。


「……え、怖い」


 思わず本音が漏れる。


 隣で九条 澪さんがけらけら笑った。


「大丈夫、大人気ってことだよ」


「昨日始めたばっかりなんですけど」


「口コミの広がり方を甘く見ちゃだめ。特に探索者界隈は速いから」


 そのとき列の前方から、聞き覚えのある大声が飛んだ。


「おお! 来たか兄ちゃん!」


 荒巻 豪牙さんだった。


 昨日まであれだけ苦しそうだったのに、今日は顔色がまるで違う。血色がよく、目に力があり、立ち姿に芯がある。


 なにより――元気すぎる。


「見ろ!」


 そう言って背負っていた大剣を片手で軽々と持ち上げ、ぶんっと一振りした。


 空気が裂ける音が響く。


 周囲からどよめきが起こった。


「片手で振れるようになった!」


「いや、それ昨日より元気になってません?」


「腕だけじゃなく全身軽い! 体の奥に溜まってた淀みまで抜けた感じだ!」


 豪牙さんは胸を張り、列の人たちを振り返る。


「俺が保証する。この清掃屋は本物だ!」


 その一言で、ざわめきがさらに大きくなった。


「本当に黒呪侵食を治したのか……」


「腕だけじゃなく体調まで?」


「俺の呪われた鎧も見てもらえるか?」


「魔石の黒ずみもいけるのか?」


「植物の呪いも……」


 最後の人だけジャンルが違う。


 困惑していると、後ろから肩をぽんと叩かれた。


 振り向くと、月白 蓮華さんが腕を組んで立っていた。


「ぼさっとするな。開店だ」


「開店って」


「もう店だ」


「昨日始まったばかりですよ?」


「客が並んだ時点で店は成立する」


 理屈はわかるけど、心が追いつかない。


 その横で九条さんがぱん、と手を叩いた。


「はい整列ー! 予約順に受付しまーす! 呪い系、装備系、素材系、植物系で列分けてくださーい!」


「植物系なんてカテゴリ作るんですか」


「必要そうだったから」


 見ると鉢植えを持ったおばあちゃんが嬉しそうに頷いていた。


 順応が早い。


 そのとき、列の後ろから小さな声がした。


「あ、あの……」


 振り向くと、小さな女の子がいた。


 両手で大事そうに抱えているのは、泥だらけのぬいぐるみ。片目のボタンは取れかけ、耳の縫い目もほつれ、長いあいだ大切にされてきたのがわかる。


「これ……綺麗になりますか?」


 その声に、周囲が静かになる。


 俺はしゃがみ込み、ぬいぐるみをそっと受け取った。


 泥汚れ。


 染み。


 古いほこり。


 そして、ほんのわずかな呪いの残滓。


 でも同時に見える。


 本来の、綺麗だった姿が。


「もちろん」


 笑って答えると、少女の顔がぱっと明るくなる。


 俺はぬいぐるみを膝に乗せ、そっと手をかざした。


「【清掃】」


 白い光がふわりと包み込む。


 泥が落ちる。


 くすみが消える。


 ほつれた糸が整い、潰れていた綿がふっくら戻る。


 最後に、片目のボタンがころんと外れ――代わりに内側から、澄んだ青い小さな魔石の瞳が現れた。


「……え?」


 九条さんが目を丸くする。


 月白さんも珍しく驚いていた。


「魔道具か」


「え?」


 俺が聞き返すと、月白さんがぬいぐるみを見つめる。


「かなり古い守護の付与が入ってる。長年の汚れで埋もれていたんだろう」


 少女がぬいぐるみを抱きしめる。


 すると、ふわっと淡い光の膜が少女を包んだ。


 転びそうになった小石が弾かれる。


 近くを飛んでいた虫まで寄ってこない。


「……守ってくれてる」


 少女の母親らしき女性が口元を押さえ、涙ぐんだ。


「亡くなった夫が残してくれたものなんです……こんな力があったなんて……」


 周囲がざわつく。


「ただ綺麗にするだけじゃないのか」


「本来の性能まで戻るのか……?」


「いや、むしろ眠ってた力が起きてるぞ」


 視線が一斉に俺へ向く。


 なんか急に期待値が上がってる。


「……プレッシャーがすごい」


「大丈夫」


 九条さんがにこっと笑う。


「相馬さんは、汚れを見ると目が輝くタイプだから」


「言い方」


 でも否定できない。


 実際、列に並ぶ黒ずんだ装備や呪われた道具を見ると、少しわくわくしてしまう。


 どれも綺麗になれる。


 本来の輝きを取り戻せる。


 そう思うと、胸が高鳴る。


 そのとき――


 通りの奥から、重たい車輪の音が響いた。


 大きな荷車だ。


 幌付きの頑丈な荷台には、黒い布で覆われた何か巨大なものが積まれている。


 止まった瞬間、周囲の空気がずしりと重くなった。


 見ただけでわかる。


 あれは、とんでもなく汚れている。


 しかも、今までで一番ひどい。


 荷車から降りてきた鎧姿の男が、工房を見上げて低く言った。


「ここに、“呪いを落とす清掃屋”がいると聞いた」


 そして黒布が外される。


 現れたのは――黒く変色し、禍々しい瘴気を放つ巨大な剣。


 まるで、剣そのものが憎悪を吐いているみたいだった。


 俺はそれを見て、思わず口元が緩む。


 ……すごい。


 ものすごく汚い。


 掃除しがいがありそうだ。


 清掃屋の二日目は、どうやら大仕事から始まるらしい。

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