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会社を辞めた俺、ハズレスキル“清掃”でダンジョン最深部を独占する  作者: tsu
白銀都市ルミナス編

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第三話 最初の稼ぎ

「綺麗にします」


 右手をかざした瞬間、どす黒いもやがぴくりと震えた。


 まるでこちらの意思に反応したみたいに、刃へまとわりついていた瘴気がじわりと蠢く。三十年ものあいだ剣に染み込み、絡みつき、澱のように積み重なってきた呪いが、剥がされることを本能的に拒んでいるのがわかった。


「……へえ」


 思わず声が漏れる。


 汚れにも、意地があるらしい。


 けれど――だからこそ、掃除のしがいがある。


 俺は意識を集中させた。


 見るべきは剣そのものじゃない。


 こびりついた“不要なもの”だけを見る。


 刃に染み込んだ怨念。

 長年蓄積した瘴気。

 金属の表面を覆う腐食。

 内部に溜まった不純物。


 全部、汚れだ。


「【清掃】」


 白い光が静かに溢れた。


 今までみたいに派手な閃光じゃない。雑巾で丁寧に磨き上げるみたいに、薄く柔らかな光が剣を包み込んでいく。


 すると、黒いもやがじゅう、と音を立てて蒸発し始めた。


 いや、蒸発じゃない。


 剥がれ落ちている。


 長年こびりついた油汚れを落とすように、厚く積もった呪いの層が一枚ずつめくれ、砕け、消えていく。


 そのたびに、剣の姿が少しずつ変わっていった。


 黒ずんでいた刀身に、淡い銀色の光沢が戻る。


 欠けていた刃先が、金属が記憶を取り戻すように滑らかに繋がっていく。


 ひび割れていた柄革はしなやかさを取り戻し、鈍くくすんでいた鍔の紋様には、美しい蒼の装飾が浮かび上がった。


 まるで、長い悪夢から目を覚ますみたいに。


 剣が、本来の姿へ戻っていく。


「……嘘だろ」


 銀髪の女性が、ぽつりと呟く。


 その声には、驚きよりも畏れが混じっていた。


 九条さんはと言えば、案の定という顔でにやにやしている。


「だから言ったでしょ。すごいって」


「すごい、で済ませるな」


 珍しく強い口調だった。


 それだけ衝撃なのだろう。


 やがて最後の黒い澱が、ふっと消えた。


 工房の空気が変わる。


 今まで重く沈んでいた空気が、山奥の朝みたいに澄んでいた。


 そして――


 キィン……と、澄んだ音が響く。


 剣そのものが、呼吸をしたみたいに小さく震えたのだ。


「……綺麗になりました」


 俺が手を下ろすと、そこにあったのは別物だった。


 白銀の刀身。


 流れるような蒼い紋様。


 光を受けるたび、水面のように揺らぐ刃。


 ボロボロの剣の面影は、どこにもない。


 銀髪の女性が、震える手で剣を取る。


 そして、ほんのわずかに横へ払った。


 ヒュン、と軽い風切り音。


 次の瞬間。


十メートル先の金属棚が、音もなく真っ二つになった。


「……は?」


 俺の声が漏れる。


 触れてない。


 斬ってもない。


 風圧だけで切れた。


 銀髪の女性は、呆然と剣を見つめている。


「戻った……いや、違う」


 彼女は首を振った。


「戻ったんじゃない。これは……眠っていた性能まで目覚めてる」


「そんなことあるんですか?」


「普通はない」


 きっぱり言う。


「だが起きた」


 彼女の鋭い視線が、まっすぐ俺へ向く。


「お前、自分の価値をわかってるか?」


「いえ、全然」


「だろうな」


 彼女は大きく息を吐き、作業台へどかっと腰掛けた。


「自己紹介がまだだった」


 腕を組み、少しだけ口元を上げる。


「私は月白つきしろ 蓮華れんか。装備修復と魔導加工をやってる」


 それから、真っ直ぐ俺を見る。


「相馬。うちと組め」


「え?」


「お前が浄化する。私が仕上げる。九条が売り先と分析を担当する」


 九条さんが手を挙げる。


「賛成」


 いつの間にか話に入っていた。


「待ってください、決まるの早くないですか?」


「早くない」


 月白さんが即答する。


「こういう逸材は、迷ってる間に他に取られる」


「でも俺、今日仕事始めたばっかりですよ?」


「だからいい。変な常識がついてない」


 それ、褒められてるんだろうか。







 戸惑う俺をよそに、月白さんは工房の奥へ向かい、大きな布袋を持って戻ってきた。


 どさっ、と重たい音。


「開けろ」


 中を見る。


 そこには、黒ずんだ短剣、ひび割れた指輪、くすんだ首飾り、呪いの染みついた鎧の欠片――


 見るからに汚いものが山ほど詰まっていた。


 そして、俺は思ってしまう。


 ……宝の山だ。


 口元が、にやける。


 月白さんがその顔を見て、初めてはっきり笑った。


「いい顔するじゃないか、清掃屋」


 その日、俺は知った。


 ダンジョンには、まだ誰にも見つかっていない“汚れた財宝”が山ほど眠っていることを。


 そして――


 それを一番綺麗に磨けるのは、たぶん俺だけだ。






 布袋いっぱいに詰め込まれた、黒ずんだ短剣、ひび割れた指輪、くすんだ首飾り、鎧の破片。どれもこれも、一見すれば価値のないガラクタにしか見えない。


 けれど俺の目には違って見えた。


 表面にまとわりつく黒いもや。

 染み込んだ瘴気。

 奥深くに沈殿した不純物。


 どれもひどく汚れている。


 そして同時に――綺麗になれる余地がある。


「……すごい量ですね」


「三年分だ」


 月白 蓮華さんが腕を組んだまま言う。


「修復を試した。呪術師にも頼った。浄化師にも持ち込んだ。でも駄目だった。汚れが深く染み込みすぎて、本来の性能を取り戻せない」


 その横で、九条 澪さんがひょいと黒い短剣を摘まみ上げる。


「でも相馬さんならいける」


「そんな簡単に言います?」


「簡単じゃないよ」


 九条さんはにこっと笑った。


「できるって信じてるだけ」


 その言葉は、不思議と胸にすっと入ってきた。


 昨日までの俺には、そんなふうに言ってくれる人はいなかった。


 だからだろうか。


 ただの一言なのに、妙に力が湧いた。


「……やってみます」


 俺は布袋の中から、一番手近にあった黒ずんだ指輪を手に取る。


 銀色だったはずの土台は煤けてくすみ、中央にはめ込まれた石は黒く濁りきっている。触れた瞬間、指先にざらつくような嫌な感覚が走った。


 汚れが染みついている。


 かなり深い。


 けれど――見える。


 どこが汚れていて、どこが本来の形なのかが、なんとなくわかる。


「……これ、掃除の前に分別が必要だ」


「分別?」


 九条さんが首を傾げる。


「うん。なんでもかんでも消すと、素材そのものまで傷つく気がする」


 黒ずみの中には、ただの劣化もあれば、呪いもある。瘴気もあれば、金属の中に染み込んだ異物もある。全部まとめて雑に消すんじゃなくて、ちゃんと分けて落とす。


 焦げ付きには焦げ付きの洗剤。


 水垢には水垢の落とし方。


 油汚れには油汚れ用。


 十年の雑用仕事で染みついた感覚が、妙にしっくりくる。


「なるほど……」


 九条さんの目が輝く。


「清掃理論だ」


「大げさですよ」


「大げさじゃない。汚れの種類を見極めて最適解を選ぶって、すごく高度なことだから」


 横で月白さんも、小さく頷いた。


 「職人に近い感覚だな」


 そう言われると、少し嬉しい。


 俺は指輪へ静かに手をかざした。


 意識を向けるのは、黒い澱の中でも“不要なもの”だけ。


 呪い。

 瘴気。

 異物。

 腐食。


 本来の銀と石を残し、それ以外を丁寧に取り除く。


「【清掃】」


 白い光が指輪を包み込む。


 今度は力任せじゃない。


 磨くように、撫でるように、少しずつ。


 すると、黒ずみがするするとほどけるように剥がれていった。


 濁っていた宝石の中心に、淡い青い光が宿る。


 煤けた銀は、月光みたいな柔らかな輝きを取り戻した。


 最後に、カチリ、と小さな音が鳴る。


 まるで指輪が目を覚ましたみたいに。


「……綺麗になった」


 ぽつりと呟く。


 月白さんが無言でそれを受け取り、専用の測定器に載せた。


 数秒後、珍しく目を見開く。


「魔力増幅率……三倍?」


「そんなに?」


「元の性能の三倍どころじゃない。内部回路が完全に通った上に、詰まりがなくなって効率が跳ねてる」


 九条さんが手を叩く。


「大成功!」


「……待ってください」


 俺はあることに気づいた。


「これってつまり――」


 月白さんが口角を上げる。


「ああ。ガラクタが、一級品になった」


 九条さんが続ける。


「しかも量産できる」  

 

二人の視線が俺へ集まる。


 そして声を揃えた。


「稼げる」


 妙に圧がある。


 そのとき、工房の奥で古びたベルが鳴った。


 カラン、と軽い音。




 入口に立っていたのは、全身に傷を負った大柄な男だった。背中の大剣はひび割れ、左腕には黒い痣のようなものが広がっている。


 顔色も悪い。


 見るからに普通じゃない。


「……蓮華、頼む」


 低い声で男が言う。


「呪いが、腕から離れねぇ」


 その黒い痣を見た瞬間、俺にはわかった。


 あれは病気じゃない。


 呪いの汚れだ。


 しかもかなりしつこい。


 べったりと、深く染みついている。


 ――でも、落ちる。


 俺の口元が、自然と緩んだ。


 月白さんが、その表情を見て笑う。


「ちょうどいい。清掃屋、最初の客だ」


 九条さんが俺の背中をばんっと叩く。


「開店だね」


 昨日まで無職だった俺は、その日、初めて客を迎えることになった。


 肩書きは、ダンジョン清掃屋。


 仕事は――


 世界の汚れを落とすこと。

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