第二話 清掃屋、はじめました
白い光が闇を呑み込む。
黒泥の怪物は、抵抗する間もなくさらさらと崩れ去った。
あとに残ったのは、拳ほどの大きさの透明な結晶だけ。
ガラスみたいに澄んでいるのに、内側では金色の粒子がゆっくりと流れていた。
「……綺麗だな」
思わず口から出た。
高そうとか、すごそうとか、そういう感想より先に、ただ綺麗だと思った。
「綺麗だな、じゃありません!」
白衣の女性が飛び起きた。
髪はぼさぼさ、眼鏡はずれかけ、膝は土まみれ。
なのに目だけが妙に輝いている。
「それ、超高純度魔核です!」
「超高純度?」
「普通の探索者が命がけで倒しても、不純物だらけの核しか残らないんです! でもあなたのこれは違う! 完全精製済み! 信じられない!」
勢いのまま両肩を掴まれた。
「あなた、何をしたんですか!?」
「いや……清掃を」
「最高です!」
「え?」
「その答えが最高!」
変な人だった。
安全地帯まで戻ってから、改めて自己紹介をした。
「相馬 恒一です。三十二歳。昨日会社を辞めました」
「私は九条 澪。ダンジョン生態の研究者です」
白衣のポケットから名刺を出そうとして、なぜかスプーン、メモ帳、乾燥昆布、小さな石ころが出てきた。
ポケットの中が自由すぎる。
「あ、名刺どこいったかな……」
「もう大丈夫です、九条さんで」
「そう? じゃあ九条で」
軽い。
距離感が近い。
でも悪い感じはしなかった。
むしろ話しやすい。
「相馬さんの【清掃】、面白いですね」
「面白い、ですか?」
「はい。普通の人は“汚れを落とす能力”と思う。でも違う」
九条さんは地面に枝で図を書き始めた。
丸をひとつ描く。
その周りに黒く線を塗る。
「魔物」
次に、黒い部分だけを消す。
「あなたの能力」
中心に小さく残った丸を指差す。
「核だけ残る」
「つまり……」
「不要なものだけを取り除いてる」
言われてみれば、そうだった。
スライムのときもそう。
角の獣のときもそう。
黒泥の怪物もそう。
俺は敵を壊してるんじゃない。
余計なものを掃除してる。
「だから素材の純度が高いんだ……」
「そう! それ!」
九条さんがびしっと指をさす。
「相馬さん、戦うより稼げます」
「え?」
「深層素材を精製して売れば、とんでもなく儲かる」
現実的な話だった。
「ちなみにこれは」
さっきの透明な核を見て言う。
「最低でも五百万」
「……五百万?」
「最低で」
「……」
「競売なら一千万もある」
「……」
俺は無言で核を両手で持ち直した。
急に赤ちゃんみたいに大事になった。
「どうします?」
九条さんが聞く。
「研究協力でもいい。素材販売でもいい。深層探索でもいい」
少し考えて、俺は答えた。
「ひとつ、やりたいことがあります」
「何?」
「掃除屋をやります」
「掃除屋?」
「ダンジョン専門の」
毒の除去。
呪いの浄化。
装備の洗浄。
素材の精製。
汚染地帯の浄化。
魔物の核の抽出。
俺にしかできない仕事が、山ほどある。
「探索者じゃなく?」
「裏方です。でも――」
俺は笑った。
「世界で一番、綺麗に稼げる」
九条さんが吹き出した。
「いいね、それ。乗った」
「え?」
「私も一緒にやる」
「なんで!?」
「面白そうだから」
この人、たぶんかなり自由人だ。
でも不思議と、悪くないと思った。
会社を辞めた次の日。
俺は人生で初めて、自分の仕事を始めることになった。
肩書きは――
ダンジョン清掃屋。
勢いで口にした職業名だったが、不思議とその響きは胸の奥にすっと馴染んだ。
探索者でもない。
戦闘職でもない。
けれど、俺にしかできない仕事だと思うと、昨日まで空っぽだった胸の奥に、小さな火が灯るような熱が生まれる。
「いい名前だと思う」
隣で九条さんが、満足そうに何度も頷いた。
「響きがいい。わかりやすい。あと清潔感がある」
「職業名に一番大事なの、そこですか?」
「大事だよ。汚いより綺麗の方がいい」
研究者っぽい理屈のようで、ただの感想だった。
でも、その雑なくらい真っ直ぐな言葉が、妙に九条さんらしい。
変な人だ。けれど、一緒にいて肩の力が抜ける。
「でも仕事って、どうやって取るんです?」
現実問題として、そこは大事だった。
名前だけ立派でも、依頼がなければ食っていけない。五百万の魔核があるとはいえ、一発屋で終わる可能性だってある。
俺の問いに、九条さんは迷いなく答えた。
「あるよ、仕事。むしろ山ほどある」
「そうなんですか?」
「ダンジョン関連の困りごとは、大体“汚れ”が原因だから」
そう言って、すっと指を一本立てる。
「まず、呪われた装備」
二本目。
「瘴気汚染された素材」
三本目。
「毒化した薬草」
四本目。
「汚染区域の浄化」
五本目。
「探索者の体内に残る微量毒素」
そこで一度区切ると、九条さんは真顔で言った。
「もっとある」
「そんなに?」
「世の中、思ってるより汚れてる」
なんだろう。深いようで、たぶんそこまで深くない。でも妙に納得してしまう言葉だった。安全地帯を抜けて地上へ戻ると、夕暮れの空がやけに明るく見えた。
ほんの数時間前まで、俺は失業しただけの元会社員だった。明日からどうしようかと頭を抱え、人生が終わったみたいな顔をしていた。
それが今は、ポケットに数百万どころか一千万級かもしれない魔核を入れて歩いている。
人生、何が起こるかわからない。
「とりあえず換金しよう」
「この核を?」
「うん。でも普通の買取所はダメ」
「なんで?」
「騒ぎになるから」
たしかに、その通りだった。
無名の男が、いきなり超高純度の素材を持ち込む。下手をすれば、目立つどころの話じゃない。余計なトラブルを呼び込む未来しか見えない。
「じゃあ、どこへ?」
「知り合いのところ」
九条さんはスマホを取り出し、慣れた手つきで電話をかける。
「あ、もしもし。私」
第一声が雑すぎる。
「うん、生きてる。で、お願いがあるんだけど」
数秒、相手の声を聞きながら、九条さんの眉がぴくりと動いた。
「は? 無理じゃない。できる。私を誰だと思ってるの?」
なんか揉めてる。
俺が横で見守っていると、九条さんはさらに押し込むように続けた。
「いいから店開けといて。すごいの持ってく」
その一言だけ残して、通話終了。
画面を閉じる顔は、なぜか満足げだった。
「……話、まとまったんですか?」
「押し切った」
「交渉じゃなかった」
「結果が全て」
強い。
この人、理屈っぽいのに、最終的に勢いで全部突破するタイプだ。
案内されたのは、ダンジョン街の外れにある小さな工房だった。
通りから一本入った静かな場所に建つ古い建物で、表の看板には年季の入った文字でこう刻まれている。
月白メンテナンス工房
扉を開けると、金属と油、それにどこか薬品のような匂いが鼻をくすぐった。壁一面には武器や防具、工具が整然と並び、奥の作業台には一人の女性が腕を組んで立っている。
銀髪のショートヘア。鋭い目つき。作業着姿。
かなりの美人なのに、近寄りがたい空気がある。
その女性は、俺たちを見るなり眉をひそめた。
「……また面倒事か、九条」
「人聞き悪いなあ」
「毎回そう」
即答だった。
九条さん、信用がない。
「で、今回は?」
九条さんは俺を前に押し出した。
「この人」
「人を持ってきたの?」
「違う。この人がすごい」
紹介が雑すぎる。
銀髪の女性の視線が俺へ向き、そのまま俺の手元――透明な魔核へと落ちた瞬間、その瞳がぴたりと止まった。
「……は?」
たった一言。
それだけで空気が変わる。
わかる。これは職人の目だ。価値のあるものを見抜く人間の目だ。
「それ、どこで手に入れた」
「俺が……作りました?」
「作った?」
「清掃して」
「清掃?」
理解不能、という顔をされる。
そりゃそうだ。俺だって、まだ自分の力を完全には理解していない。
銀髪の女性は魔核を受け取ると、ライトにかざし、専用器具に載せ、何度も角度を変えながら測定した。工房の中に静かな時間が流れ、やがて彼女がぽつりと呟く。
「……化け物か」
「俺が?」
「スキルが」
そこで初めて、ほんの少しだけ口元が上がった。
「面白い。仕事を頼みたい」
「仕事?」
彼女は棚の奥へ歩いていき、しばらくして一振りの剣を持って戻ってきた。
黒ずんだ刀身には深い刃こぼれが刻まれ、柄の革はひび割れ、鍔の装飾も鈍くくすんでいる。長い年月を放置されてきたことが一目でわかる、見るからに痛々しい姿だった。
「これを綺麗にしてみろ」
「ただ磨けばいいんですか?」
「違う」
彼女の目が、試すように細くなる。
「――その剣にかかった、三十年物の呪いごとな」
言われて改めて意識を向けると、刀身の周囲にどす黒いもやがべったりと絡みついているのが見えた。油汚れなんて生易しいものじゃない。長年積もり積もった怨念や瘴気が泥のようにこびりつき、刃そのものの輝きをすっかり覆い隠している。
ひと目見ただけでわかる。
――とんでもなく汚い。
けれど、不思議と嫌な感じはしなかった。むしろ職人が頑固な汚れを前に腕が鳴るような、そんな感覚に近い。
これは掃除しがいがある。
そう思うと、自然と口元が緩んでいた。
「了解です」
俺は静かに一歩前へ出て、右手を剣へとかざす。
「綺麗にします」




