第一話 ハズレスキル【清掃】
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第一話 ハズレスキル【清掃】
その日、俺――相馬 恒一、三十二歳は、会社を辞めた。
「相馬くんさ、悪いけど君、もう居場所ないよ」
上司のその一言は、妙に軽かった。
十年勤めた会社。
ダンジョン資源の回収・加工を行う中堅企業、東都マテリアル開発株式会社。
世界各地に突如として出現した“ダンジョン”。
そこから採れる魔石、希少鉱物、未知の植物――それらは社会を一変させ、日本経済の柱にまでなった。
だが、俺の授かった固有スキルは最底辺。
【清掃】
それだけ。
戦えない。
強化もない。
回復もない。
探索能力もない。
ただ、綺麗にするだけ。
入社後の俺の仕事は、探索者が持ち帰った装備の洗浄、ダンジョン汚染物質の除去、倉庫の清掃、現場の後片付け。
誰でもできる雑用。
そう思われていた。
「君の代わりなんて、いくらでもいる」
退職届に判を押しながら、俺は小さく笑った。
「……そうですね」
怒りは、不思議と湧かなかった。
ただ、空っぽだった。
翌日。
失業保険の手続きを終え、ぶらつくように都内第七码層ダンジョン――通称東京第七坑道の前に立っていた。
初心者向けの小型ダンジョン。
入場料三千円。
「最後に一回くらい、潜ってみるか……」
俺は会社員時代、一度も探索者になろうとは思わなかった。
戦闘スキルがないから。
向いてないから。
でも今は違う。
失うものが、何もない。
地下二層。
薄暗い洞窟の奥で、スライムがぬるりと現れる。
「うわ、本物……」
青黒く濁った身体。
初心者向けとはいえ、まともに食らえば骨折はする。
逃げようとした、その時。
足元に、黒い粘液が広がっているのが見えた。
ダンジョン汚染物質。
触れれば皮膚が腐食する危険物。
俺は反射的に手をかざした。
長年の癖だ。
「【清掃】」
次の瞬間。
――世界が、白く染まった。
床一面の黒い汚染が、一瞬で消滅した。
それだけじゃない。
目の前のスライムの身体からも、黒い濁りが抜け落ちる。
核だけが、ぽとり、と地面に落ちた。
そして。
スライム本体は、さらさらと砂のように崩れた。
「……え?」
手の中に残ったのは、透き通る青い結晶。
市場価格、三万円級の高純度魔石。
通常の十倍以上の価値がある超希少品だった。
さらに壁面を見ると、今まで見えなかった銀色の鉱脈が浮かび上がっていた。
不純物が除去され、純鉱石だけが露出している。
「待て……これ……」
汚れを取ってるんじゃない。
不要なものを世界から消している。
毒も。
呪いも。
不純物も。
穢れも。
もしかすると――
「敵の防御も、消せるのか?」
その瞬間。
地下深くから、咆哮が響いた。
本来、この浅層にいるはずのない存在。
災害級モンスター。
赤黒い巨体が、闇の中で目を開く。
周囲の空気が腐り、岩壁が溶ける。
普通なら、A級探索者でも逃げる相手。
だが俺は、なぜか確信していた。
勝てる、と。
右手をゆっくり前に出す。
「――綺麗にしようか」
赤黒い巨体が、洞窟の奥からゆっくりと姿を現した。
全長は五メートルほど。
犬のような四足獣の姿をしているが、その身体を覆う毛皮は黒い霧のように揺らぎ、額には禍々しい一本角が伸びていた。
口元から滴る唾液が岩を溶かす。
踏みしめるだけで地面がじゅう、と焼け焦げる。
明らかに、この浅層にいていい存在じゃない。
「……終わったかもしれないな、俺」
情けない声が漏れる。
本音を言えば、足は震えていた。
逃げたい。
今すぐ全力で走りたい。
だが、頭のどこかが妙に冷静だった。
目の前の化け物を見た瞬間、俺には“見えてしまった”のだ。
黒い霧。
角にまとわりつく赤黒い瘴気。
筋肉の表面を覆う硬質な膜。
それら全部が、ひどく――汚れて見える。
「……清掃」
思わず口にした。
白い光が手のひらから走る。
すると次の瞬間。
怪物の身体を覆っていた黒い霧が、一瞬で剥がれ落ちた。
「ギャオオオオオッ!?」
絶叫。
巨体がよろめく。
角の赤黒い瘴気が消え、岩を溶かしていた腐食液も透明な水のように地面へ落ちた。
そして見えた。
本体。
本来の、むき出しの姿。
筋肉の塊に見えた身体は、瘴気による強化が消えたことで一回り小さくなり、皮膚の硬化膜もなくなっていた。
「防御バフ……消した?」
いや、それだけじゃない。
凶暴性を増幅する呪い。
腐食毒。
身体強化。
瘴気鎧。
全部まとめて“汚れ”として落とした。
つまり俺の【清掃】は――
対象に付与された不要なものを根こそぎ除去する。
「なら……核だけ残せるか?」
もう一度、手をかざす。
狙うのは魔物そのものじゃない。
身体を構成している“余分”だけ。
「徹底清掃」
閃光。
巨体がさらさらと崩れた。
残ったのは拳大の真紅の魔石ひとつ。
そして角。
金属のように美しく輝く一本角。
見るからに高級素材だった。
「……え、これ何百万コース?」
震える手で拾い上げる。
魔石から感じる密度が、さっきのスライムとは比較にならない。
素人の俺でもわかる。
とんでもない当たりを引いた。
だが、その瞬間。
壁の向こうから声が聞こえた。
「誰かいるの!?」
女性の声。
切迫している。
直後、壁の亀裂から白衣の女性が転がり出てきた。
長い黒髪は乱れ、額に汗を浮かべ、眼鏡のレンズにはヒビが入っている。
背中の大型リュックからは資料が飛び出していた。
「た、助けて……追ってくる……!」
その背後の暗闇が、ぐにゃりと蠢く。
黒い泥の塊。
人の顔のようなものが無数に浮かび、低い唸り声を上げている。
見た瞬間にわかった。
あれは魔物じゃない。
ダンジョン深部の汚染そのもの――災厄級の存在。
そして俺には、あれが何に見えるか。
もちろん。
とてつもなく汚い。
白衣の女性が叫ぶ。
「逃げて! それは通常攻撃が一切効かない!」
俺は前に出た。
「大丈夫」
「え?」
「俺、そういうの専門なんで」
右手を向ける。
泥の怪物へ。
とてもシンプルな言葉を告げた。
「――綺麗にします」
白光が闇を呑み込んだ。




