第1222話 クロスステッチの魔女、蝋引きを始める
無事に固まった蜜蝋の塊を家に戻し、少し擦る。完全に固まりきってしまっては引くことができないので、ほんの少しだけ溶かす必要があった。暖炉で炙ると溶けすぎてしまうから、温めた手でこする。それくらいでいいはずだ。
「普通に袋を縫うのにも、あった方がいいというか、ないと困るものね。ちょっと余計めにやっておきましょう」
氷柱鹿の骨粉で染めていた刺繍用の糸はまだもう少し時間がかかるので、先に染まりきって乾いている革と、あと、他の糸に使うことにした。袋の口や脇は普通に縫う必要があるから、そちらの糸も必要なのだ。最初から蝋が引いてある糸も何色か持っているが、せっかくなので、好きな色の糸に自分で蝋を引くことにする。
「糸の長さは……これくらいかな?」
大雑把な目測で、必要そうな糸の量を確認。鮮やかな赤に染めた色糸を鋏で切り、今切った分の糸の先端を蜜蝋の塊に当てがった。それから、表面のとろけた蜜蝋を塗りつけるように、力を込めてこすりつける。
「立て立て糸よ、ピンと立つまで、水を弾いて雨を防いで、蝋と心が溶ける日までー、っと」
いつかに誰かが歌っていた仕事歌を口ずさみつつ、糸がまっすぐ立つようになるまで蜜蝋をこする作業を続けた。こればっかりは相応の力と、あと、蜜蝋を少しばかり溶かせるような手の体温が必要な作業。《ドール》たちに代わってもらうわけにはいかないので、自分で頑張るしかない。
「キーラさま、お茶は飲まれますか?」
「もらうわ。そろそろ革の方は……うん、行けそうね」
外套や大きな幌に脂を塗り込むのは大仕事だけれど、水を入れる袋なら大した負担にはならない。それほど大きくもないから、さくさくと蝋を引いてしまうことにした。一緒に作った、もう少し大きな四角い蜜蝋の塊に持ち替えて、面を満たすように塗りつけていく。また歌を歌いながらやっているこの作業、糸に蝋を引く時より私は苦手としていた。理由は単純で、蝋が引き終わった糸は自分でまっすぐ立つ。それができていない場合、蝋が足りないとわかる。だが、革にはそれがない。少なくとも自分で立ったりはしないから、どこまで仕事ができたのかわかりづらいのだ。
「うーん、もう少し塗っておくべきかしら……?」
明かりに翳したり、傾けたりすると、蝋が塗られたところは反射して少し光る。それをなんとか頼りとしたいが、万全に塗り付けられているかの判断には少し弱くて。結局、さらにもう一度塗ることになるのだった。




