第六十七話
蓮はナクタの背に乗り、街の中を駆け抜けていた。
向かう先はベルがいるはずの孤児院だ。
「ベルちゃん!ベルちゃん返事して!」
孤児院についた蓮は声を上げながらベルの部屋に入る。
「いない……いったいどこに……」
「蓮!こっちだ!下に降りる階段がある!」
ナクタの声を聞き、蓮はそちらへ急いで向かう。
そこは蓮も入ったことのある応接室だった。
ソファが横にずらされ、絨毯が捲られた場所に、地下へと続く階段があった。
「行こう。」
蓮は隠されていた地下室へ続く階段へと足を踏み出した。
長い階段を降りると、目の前に装飾の施された扉が現れた。
「これは、蠅?」
扉には蠅と思わしき彫刻が彫られている。
「……今はいいや。中に入ろう。」
蓮はその扉を押し開ける。
すると中から強烈な臭いが漂ってきた。
「うっ……。」
「……血と腐った肉の臭いだ。」
中に入るとその臭いは遥かに強烈感じる。
蓮はその臭いを我慢して奥へと進んでいく。
すると、淡い光に照らされた場所が見えた。
「……きて、しまいましたか……」
そこに居たのは、不気味な本を片手にこちらを向いているトルネウスだった。
「トルネウスおじちゃん……ベルちゃんはどこ?」
トルネウスは目を瞑り、なにも言おうとしない。
「ベルちゃんをどこにやった!答えろ!」
怒号を上げる蓮に、トルネウスはようやく口を開いた。
「……ベルは……ベルは今、準備をしているのですよ。」
「準備?それって悪魔と合成するとか言う馬鹿げたやつのことを言ってるの?ベルちゃんに何をしたの?
トルネウスは観念したように大きなため息をついた。
「……そこまで知られてしまっているのですね……。ゴルギオスさんは捕まってしまいましたか……」
「そんな事は今どうでもいいんだ。ベルちゃんがどこにいるか教えて。」
トルネウスはすっと横にずれた。
すると、奥に一つの檻が置かれているのが目に入る。
「こりゃぁ……」
「ベル、ちゃん……?」
おどろき目を見張るナクタ。
蓮はその隣で呆然と立ち尽くす。
「……レン君。……君にはこんな姿は見せたく無かったんだ。ベルは本当に君のことを好いていたからね。完成した姿で会ってもらいたかったよ……。」
蓮の視線の先にある檻の中。
そこにはベルの面影を持つ異形の存在があった。
真っ赤な大きな複眼に、背中からは二枚の昆虫のような羽が生えている。
それはくちゃくちゃと音を立てながら血の滴る肉を貪っていた。
「悪魔と合成するには段階を踏む必要があるんだ。先に魔物と合成することによって、身体を魔に馴染ませる必要がね。生命力を多く必要とするベルには、なんでも食べられる蠅の魔物と合成するのが一番よかったんだよ。……心配しなくても大丈夫。食事が終われば、すぐに悪魔と合成して魔力生命体として元の姿に戻れるようになるから。本当は念のため魔書を二冊用意したかったんだけどね……。」
トルネウスはつらつらと説明するが、蓮の耳には全く入っていない。
蓮はゆっくりとベルのもとへと近づいて行く。
頭の中ではベルの朗らかな笑顔がぐるぐると回る。
「ベル……ちゃん……」
『……グチャ、グチャ……イダダギマズ……グチャ、グチャ……オイジイ、オイジイヨ……グチャグチャ……』
檻の前で座り込んでしまった蓮。
何度もベルに呼びかけるが、反応はない。
「ベルちゃん……ねぇ、ベルちゃん……答えてよ……ベルちゃんってば……」
蓮はぎこちない笑みを浮かべているが、大粒の涙が頬を伝い、ポタポタと地面を濡らしている。
「てめぇ……自分の娘にこんなことしやがって……」
ナクタの怒りを込めた低い声にもトルネウスは平静を保ったまま返答する。
「これはベルの為なのですよ……。ベルが苦しまずに生きる為には、こうするしか無かったのです。……この子の母親もね、同じ病で苦しんだ末に命を落としました……。この子には、同じ苦しみを味あわせたくはないのです……。命を落としてほしくは無いのです……。」
「だからってこれは——」
「私だってこんな事はしたく無かった!」
トルネウスはナクタの言葉を遮り、慟哭する。
「……散々調べたんです。高名な治癒師にも見てもらいました。研究も、しました。でも、他に方法が見つからなかったのです……。この可能性に賭けるしか、私には残されてなかったのですよ……。」
トルネウスはその手に持つ魔書を胸元で力強く抱きしめる。
「生命力を失い、魔力のみが過剰に増幅していく。それが治せないなら、魔力のみで生きられる体に変えるしか無いのですよ……」
顔を上げたトルネウスの目には暗い、昏い狂気の色が宿っていた。
「そんなの、間違ってるよ……」
蓮は立ち上がり、トルネウスに語りかけた。
「……ベルちゃんはね、言ってたんだよ?こんな体で、後どれくらい生きられるか分からないけど、お父さんと少しでも楽しい時間を過ごしたいんだって。だから、僕の回復魔法でもう少し良くなったら、一緒にお出かけするんだって……。それなのに……それなのに!お前は!自分が悲しむのが嫌だからって!ベルちゃんを無理矢理こんな体にして!」
「わ、私はベルの為に——」
「お前はベルちゃんの事を何もわかってない!こんな事の研究をするぐらいだったら、少しでもベルちゃんの側にいてあげるべきだったんだ!」
『……レン……グン……?』
蓮はバッと後ろを振り返る。
『レ、ン……グン……』
「ベルちゃん!僕だよ!蓮だよ!」
『レ、ン、グ、ン……』
「そうだよ。ベルちゃん、僕がわかるんだね。」
「蓮!よせっ!」
蓮はナクタの声を無視して檻に手を入れ、ベルの頬にそっと触れる。
「すぐにそこから出してあげるからね。その体も僕がどうにかしてあげるから……だから——」
『ゴロ、ジデ……』
「——そんな事、言わないでよ……お願いだから……」
『レ、ン……グ、ン……ワダジヲ……ゴロジデ……』
赤い複眼から零れ落ちる涙が、ベル頬に触れた蓮の手を濡らす。
「成功だ……。意識を保ったままの合成に成功した!これで次の段階に進める!ベルを悪魔と——」
「もう、お前の好きになんてさせない。」
「ガッ……グッ……。レン、くん……どうして……」
トルネウスの腹部を貫いた蓮の白い槍が、そこから流れ出る血で赤く染まる。
「ベルちゃんを苦しめるお前に、ベルちゃんを好きにはさせない。」
感情の抜け落ちた表情でトルネウスの目を見つめる蓮。
その目にはトルネウスのそれとも異なる、狂気の炎が宿っていた。




