第五十六話
「月夜の旅人ですか……」
トルネウスは俯いたまま、膝に乗せた拳を握りしめている。
「最初、この孤児院に多額の寄付をしてくれたのです。思えばあれが悪夢の始まりでした……。」
ある日、孤児院に多額の寄付を持ってきたのは月夜の旅人のクランメンバーと名乗る男だったそうだ。
その後も度々食料や衣類などを寄付してくれていたので、トルネウスも心を許していたそうだ。
そんなある日、いつもの男が孤児院を訪れた際、トルネウスは娘の事を話したと言う。
「その娘さんは?」
「今も奥の部屋で寝ています。……病気、なのです。生魔変換症と言うとても珍しい病気でして、生きるために必要な生命力を強制的に魔力に変えてしまうのです。症状を抑える薬と、体に過剰に貯まっていく魔力を吸い取る魔道具が無いと生きることが出来ない。そう言う病です。」
トルネウスがその事を男に打ち明けた翌日、クランマスターを名乗る人物が訪ねて来てトルネウスにこう言った。
「今まで貸した金と売った分の代金を支払え。払えないなら娘の薬もそれに使う素材も全てうちで買い占める。って……」
トルネウスは必死に抗議したが全てが無駄であった。
ギルドに報告すれば娘も、そして孤児院の子供達も皆殺しにすると脅され、トルネウスには支払う以外の選択肢が無かったのだ。
「それで借金として今も取り立てられていると……」
「えぇ……。なんとか子供達だけは街から逃がす事ができましたが、それもバレてしまって……」
「トルネウスさんと娘さんは、逃げる事ができなかったのですね。」
ルーの言葉にトルネウスは深く頷いた。
「全て私の責任です……。私があんな奴らに騙されなければ……」
トルネウスは握りしめた拳をプルプルと震わせ、大粒の涙を流した。
暫くして落ち着きを取り戻したトルネウスは眼鏡を外し、ハンカチで涙を拭った。
「何度も申し訳ありません。」
「いえ、こちらの事はお気になさらず。……今回の依頼はもしかして。」
「はい。娘の薬を作るのに必要な素材です。」
「薬はあなたが?」
「……以前、研究所で働いていた事がありまして、調薬の心得は多少ありますので。」
ずっと黙って話を聞いていた蓮が口を開いた。
「あの、……その子に会わせてもらえないかな?」
「娘に、ですか?……それは構いませんが……」
「一度会ってみたいんだ。」
真剣な顔でトルネウスの目を見つめる蓮。
トルネウスは頷き、ソファから腰を上げた。
「では、ついて来てください。娘の部屋まで案内しますので。」
蓮達も立ち上がり、トルネウスについて部屋を出た。
廊下を歩き、家の奥へと向かう。
鼠が行き交い、所々に蠅の死骸が落ちている。
そんな中を進み、一番奥の部屋へとやってきた。
「ここが娘の部屋です。うまく話す事はできないと思いますが、どうかご容赦ください。」
そう言ってトルネウスはドアを開けて中へ入った。
それを追うように蓮達も中へと入る。
「ベル、君にお客さんだよ。」
部屋の中には殆ど物がなく、大量の皿が積み重なった机と、ベッドが一つあるだけだ。
ベッドの上にはベルと呼ばれた幼い少女が横になっていた。
トルネウスと同じ金髪の少女。
トルネウスの声に反応して開いた瞳も髪と同じ金色をしていた。
「おとう、さん……わたしに……おきゃく、さん……?」
「あぁ、そうだよ。ベルの薬の材料を取って来てくれた冒険者さん達さ。」
ベルはトルネウスの助けを借り、ゆっくりと上体を起こした。
かけられていた布団を退かし、あらわになった身体はガリガリに痩せており、背丈に合わせたサイズの服がぶかぶかになっている。
「こん、にちは。わたしのために、わざわざありがとう、ございます。」
少しだけ頭を下げるベル。
それだけの動きでも表情は少し苦しそうだ。
蓮はゆっくりとベルに近づきベッドの上に力なく置かれた手を取った。
「こんにちは、ベルちゃん。僕は蓮って言うんだ。よろしくね。」
優しい笑顔でベルに微笑みかける蓮。
その微笑みはどこかルーに似ているようだ。
蓮に手を握られたベルは、少し目を開いて驚いた様子を見せる。
「具合が悪いのにごめんね?僕が無理言って会わせてもらったんだ。」
「レン、くん?……どうして、わたしに……」
「僕は、回復魔法が使えるんだ。だからもしかしてと、思ったんだけど……。ごめんなさい。僕にはベルちゃんの病気は治せないみたい。でも、少しは楽にできるかもしれない。」
蓮は驚き目を見張るトルネウスに視線を向ける。
「トルネウスさん、ベルちゃんに回復魔法をかけてあげてもいいかな?」
「え……、いえ、そんな……。あ、す、すみません。お願い、できますか?」
蓮は力強く頷き、優しくベルの手を握った両手に魔力を込める。
「『癒しを』」
その瞬間、ベルの体が淡い緑の光に包み込まれた。
数十秒続いた光はゆっくりと薄れていき、中からベルが姿を現した。
頬は痩け、身体はガリガリのまま。
しかし、血色は随分良くなっている。
「おとうさん……わたし……」
顔の前に持ってきた自分の手のひらを眺めながら、力のこもった声でトルネウスを呼ぶベル。
トルネウスはベッドの脇に膝をつき、ベルが眺めていた手を握る。
「べ、ベル。身体の具合はどうだい?良くなったかい?」
「うん、体が軽い……。昔に戻ったみたい……」
トルネウスはゆっくりと割れ物に触るようにベルを抱きしめた。
「良かった……良かったね、ベル……」
「うん……うん……おとうさん……うわぁぁぁん……」
ベルの泣き声とトルネウスの鼻を啜る音が部屋の中に響き渡った。




