scene18『敵』
間が空いてしまい、申し訳ありません。
カケルは紗麓が登校してきたことに、少なからず驚いていた。
昨夜は血を吐いたりと、結構なダメージを負っていたと思うのだが、もう動けるようになったのかと、半ば呆れる思いであった。【消音装置】には凄腕の医者でも居るのだろうか。勿論、完治しているはずもなく、顔だけでもガーゼやら包帯やらが目立つ。おそらく制服の下も、あちこち処置をされているのだろう。
昨夜【怪盗メインデイッシュ】――つまりは妹のサラと、【探偵】として戦った彼女は……治療のあとこそ痛々しいが、しかしあれだけの戦闘があったとは思えないほど、クラスメートたちと話している姿はそれなりに元気そうだった。
「いや、階段から落ちてな……」
今もクラスメートに囲まれて、怪我について質問責めにされている。しかし――いつもは嫌そう――少なくとも嬉しそうではなく対応しているが、今日はやけにハキハキと――少なくとも、心構えは――話しているように、見える。積極的に、話題も広げている。
無表情なカケルが言うのもおかしいが、いつもぶすっとしている彼女のそんな姿は――違和感がある――というより、印象が変わった、というべきなのだろうが。
彼女にあしらわれてきたクラスメートたちにしてみても、紗麓が自分たちを邪険にしないことが嬉しいのか、話は随分と弾んでいるようだ。
なにか心境の変化があったのか。
カケルと紗麓は、客観的に見ればやはり敵なのだろう。【怪盗】を辞めているとはいえ……妹も【怪盗】だし、姉も合法的とは言えない仕事をしており、対する彼女は【探偵】で、【消音装置】――法と秩序を守る組織の人間だ。
しかし少なくとも、学校ではただのクラスメートで、同じ部に所属している者同士。動けなくなるほどの怪我でないことに安堵し、人格の変化――それも多分、良い方への――に悪い気持ちがしなくても、良いだろう。
そもそも初めて対峙したときも、カケルは彼女に対し積極的に敵対する気にはならなかった。
平たく言えば――同情したのだ。己の【歪み】に目を背け、盲目的に法という後ろ盾を信じる姿が、まるで迷子のようだと――ありもしない【世界】を求めてさ迷うことに疲れた自分のようで……。
彼女はきっと、抗うことに決めたのだろう。
しかし、と思う。
【歪み】に抗うと言っても、そう簡単にはいかないものだ。
気負いすぎると――。
◇
授業中、織目紗麓はぼーっとしていた。
教科書すら出さずに、背もたれに背中を預け、腕を組み、目を瞑り、コロコロと口の中で飴を転がしている紗麓は、どう見ても教師の話を聞いている様には見えない――最も、高校の授業など彼女には聞く必要はないのだが――不真面目どころか、不良と言う方が合っている授業態度だ。
「織目さんがグレた……?」
「でも格好良いかも……」
「ため息出ちゃうわぁ……」
「俺達の織目さんがぁぁぁ」
これまで真面目な態度だった――少なくとも表面上は――紗麓の豹変振りがクラスメート(主に女子のファン)の間にさざめきを起こしていても、全く耳に入らない。
「えー、うん、まぁそういうわけで、世界が【歪】んだのはこの頃だとされておる訳でありましてぇ……」
自分の話をほとんど誰にも聞いてもらえない哀れな教師は、健気にも授業を続けていた。紗麓本人の様子を見ても、周りの様子を見ても、注意するのに気が引けたというのが、実の所ではあるのだが。
【歪み】に抗うと、諦めないと決めたは良いが、実際どうすれば良いのか、紗麓はずっと考えていた。
これまで、自分の【歪み】――【人間不信】に最適な処置は、自分を疑わないことだと思っていた。実際、能力を高め、経験を積み、暗示もかけることで、これまではなんとかなってきた。
だが、と思う。それは、【歪み】から目を背けているだけだ。抗っていることにはならないのではないか。
――【世界】に、抗う……一体、どうすれば……。
そもそも【歪み】とは一体何なのか。
いつの間にか飴を舐め終わっていることにも気付かず、紗麓は自らの【歪み】について、考え込んでいた。
◇
キンコンカンコン。
――五月蝿い
「織目さん授業終わったよ」
――わかってる
「織目さん大丈夫?」
――余計なお世話だ
「織目さんどうしちゃったの」
――耳障りだ
「織目さん」
――やめろ
「織目さん」
――私に構うな
「織目さん」
――放っておいてくれ
「体調悪いの?」
――お前達はなんとも思わないのか
「織目さん、なんかおかしいよ」
――おかしいのは……この【世界】だ
◇
「この【世界】は――【歪】んでいる」
「何を今更」
ハッとして、紗麓は隣を見た。部活仲間ではあるが、未だに何を考えているのか分からない、無表情で目立たない少年――心在カケルがそこにいた。
「ここは……中庭か?」
辺りを見回して、自分が中庭のベンチに座っていることに気付く。
「四限が始まった所だ」
「なんだ……一体何がどうしたというんだ?」
「君は授業中何か考え事をしてた。よっぽど深みにはまってたんだな。休み時間になってもまだぼーっとしていたから、クラスの連中が声をかけた。聞こえていないように見えたけど、周りで騒がれて君が――君の【歪み】が暴走しそうだったから、僕が連れ出した」
「暴走……そうか、私は、また……」
紗麓は俯いた。すると、ころ、と口の中で転がる感触に気付く。
「飴……」
「ポケットに入ってたから、ちょっと盗……失敬して、とりあえず突っ込んでおいた」
カケルは淡々と言った。
「そうか。助かった。礼を言う」
紗麓がそう言うと、カケルはちらと紗麓を見て、言った。
「君の【歪み】。都村先輩に聞いたけど、アレは嘘だろ。もっと深刻な……例えば、【他人を全く信じられない歪み】とか」
「っ!」
紗麓ははっとしてカケルを見た。
「正解か」
「貴様っ!?」
「暴走した君の毒舌を延々と聞いていれば察しはつく」
「………………」
紗麓の鋭い声にも動じず、淡々とカケルは言った。
「君に悪気がなかったとしても、久しぶりに少し凹んだよ。とにかく人間関係への配慮ってものをこれっぽっちも考えていない――人間同士の繋がりなんて微塵も信じていないって感じだった。聞いてる僕の方が人間不信になりそうだった。あのまま教室にいたら孤立どころの騒ぎじゃなかっただろうな」
抑揚の無い声でそんなことを言われ、紗麓は僅かに青ざめた。
「大方……【世界】でも疑ったのか」
「そこまで……わかるのか」
カケルの指摘が正確すぎて、紗麓は驚いた。
「この【世界】は【歪】んでいる。【歪】んでいるのに、僕らは何故かまだ生きている。【歪み】を抱えながら、それを受け入れてしまっている。人間とはもう呼べないかもしれないのに、人間の振りをしている……そんなの、生きてるって言えるのか……まぁ、分からなくも無い。誰でも一度は考えるんじゃないか」
君だけじゃない、とカケルは言った。そこにどんな感情があるのか、紗麓には分からない。
「そんなことまで考え出したら、ストレスで【歪み】が暴走しても仕方ないとは思うけどな。考えすぎだ」
「なら、どうすれば良いんだ。【歪み】に抗うなんて、どうすれば……」
「簡単だ。僕を疑えば良い」
カケルがきっぱりと言った言葉を、紗麓は始め理解できなかった。
「……は?」
どうにかそれだけが、口から零れる。
「他の人間はあまり疑わなくていい(・・・・・・・・・・)。だけど僕のことだけは、何があっても信じるな(・・・・・・・・・・)」
「何を……言っているんだ、お前は……?」
紗麓の理解が追いつかないまま、カケルは淡々と語る。
「そうだな、例えば……僕は絶対お前の【歪み】について誰にも口外しない。って言ったら、信じるか」
「いや、信じないが……」
「じゃあどうする」
「お前の息の根を止める」
「やめてくれ。あれ、うまくいかない……」
頭を抱えるカケルが何を考えているのかさっぱり分からず、紗麓は憮然として言った。
「……何が言いたい」
「僕に【歪み】のこと、あることないこと言われたら困るだろ。だったら簡単だ。僕に言われる前に、自分でみんなに言い触らしてしまえ」
「は?」
「『私は“人を見たら泥棒と思え”を地で行く性格ですがそれでもよければお付き合い下さい』って、言えばいいじゃないか」
「そんなことできるか! そんなことしたら私は……」
「孤立する、か。そうかもな。だけど腹に一物抱えながら、不特定多数に愛嬌を振り撒き続けるよりは、秘密を抱きながら不安と闘うよりは、遥かにその方が楽だ」
「………………」
「“みんな”に言うのが怖いなら……詩涌間は、どうだ」
「旋律に……?」
「彼女のことが、怖いか」
カケルの言葉に、紗麓は旋律の姿を、これまで過ごした日々を思い返した。喧嘩したままで居たくないと、思ったことも。
「詩涌間は――君のこと、知りたがっていたぞ。君は――どうだ」
「私は……」
紗麓の逡巡を、どう受け取ったのか。カケルは肩を竦めて言った。
「選ぶのは織目だ。僕は絶対に君のことを口外しないと、ここに誓おう。勿論、詩涌間にも」
そんな言い方をされれば、旋律には自分で言うしかないじゃないか、と紗麓は苦々しく思った。
「良くわかった。お前は、敵だ。お前のことは、絶対に信じない……お前は、性格が悪すぎる」
「良い性格、だろ」
「やっぱり今お前をコロス!」
カケルの首を掴み、ぐらぐらと揺らす。カケルは全く平気そうな顔ではあったが、その実必死に紗麓の腕をタップした。
「はぁ、何なんだ、お前は……旋律はどうして、こんな奴……」
そう溜め息をついてからふと、自分はどうしてこの男とこんな話をしているのだろうと思いながら、紗麓は横目でカケルの顔を盗み見た。
――相変わらず、何を考えているのかわからんな。
紗麓にとって心在カケルは、ただのクラスメート、部活仲間以上の存在では無かった。それはほとんど、無関係の他人と同義だった。それがどうやら自分を助けてくれたようで、こうして授業中だというのに二人でサボタージュしているというのは、どうにも不思議なものだった。
この男は、敵だ。そう思うと、何故だか心が軽くなった。
「君はすごいよ」
風に溶けてしまいそうな声で、ふとカケルが呟く。
「僕たちはみんな、自分のことで精一杯なのに、君は他人に目を向けようとしている」
「……それで失敗したんだから、世話はない」
「最初から上手くいく方が変だろ」
「そうかな……」
「あぁ」
頷くカケルの顔は、いつの間にか紗麓の方に向けられていた。
「自信家だと思っていたけど、案外そうでもないんだな」
淡々とした調子は変わらないが、紗麓にはこの無表情な男子が笑ったような気がした。それは錯覚だったが、自分がカケルをマジマジと見つめてしまっていることに気付いて、紗麓は慌てて顔を反らした。
「当たり前だ。私は自分のことだって信じられないんだ。いつも不安との戦いだ」
「そうか」
それっきり何も言ってこないのが気になって、紗麓は何故か話題を探してしまう。
「お、お前はどうなんだ」
「何が」
「お前はなんだか、目立つことを極端に避けているような気がする」
適当に言ったことではなかった。教室内や部活中の態度を見れば、そういう印象はあった。
「臆病だからな」
うそぶくように言われて、ごまかれているように感じた紗麓はむっとした。
「教室から女子と二人して抜け出すような奴が臆病とは、言ったものだな。こういうの、逢い引きというのだろう?」
「いや、そんなつもりはなかったけど」
若干早口になったのは慌てたということだろうかと思い、紗麓は少し愉快な気分になった。
「本当か? 自分ではよくわからんが、私は美人らしいからな。男子的には是非お近づきになりたいのだろう?」
「誰に吹き込まれたのかは知らないけど、それだけ聞くと本当に自信家だな……。本当にただの気まぐれだよ。君が美人なのは、否定しないけど」
普段から他人に美人と言われて嬉しかったことなどないが、真顔で付けたし程度に言われると尚更だった。
「ふん……大体、どうやったんだ。教室からここまで歩いた覚えなんてないぞ」
「人一人ぐらい、教室から盗……連れ出すのは訳無い。ちょっと注意を逸らせば良いだけだ。詳しくは言わないけど」
「いや、何を言ってるんだお前は……訳無い訳が無いだろ、って言葉も変だが……変なことしてないだろうな」
「誓ってしていないぞ」
「信じられないな」
「したかもしれない」
「なんだ、してないんだな。よしよし」
「そんなんで良いのか、織目……」
うんうんと頷く紗麓に、カケルは呆れた。
「まぁ話を戻せば、だ。お前、体育とかも手を抜いているだろう。大方の男子がそうといえばそうだが、出来るのにやらないのはお前くらいじゃないか」
「なんで君に僕の身体能力が分かる。運動が苦手だからとは思わないのか」
「思わないな。お前は見た目には細いが、鍛えて絞られた筋肉かどうか、見れば分かる」
「筋肉マニアなのか」
「違う。ただのクセだ」
「……だから、目立ちたくないからだよ」
カケルは降参、というように両手を挙げて言った。
「よく分からないな……世の中には目立ちたいというだけで、人様のものを盗もうという輩もいるというのに。普通は注目を浴びて称賛を受けたいものなんじゃないのか?よくわからんが、男子だったら、女子にモテたいんだろ?」
「人によると思うけどな。僕にはそんなのは虚しく思える」
「虚しいとは、また穏やかじゃないな」
「人はいつか消えるものだから。命自体も、誰かの記憶からも、そして記録からも。その存在の全ては、いずれ消滅してしまう」
紗麓はぎょっとした。いつものように、淡々とした口調ではあったが、その言葉にはどこか重みがあるように感じられた。
「……ちょっと大袈裟というか、無茶苦茶じゃないのか? 生きる意味を全否定する気か? そんなお前が、よく部活を手伝う気になったものだ」
「生きる意味、生きた証を立てたい僕もいるのさ」
「……矛盾しているというか、屈折しているな、お前は」
「【歪】んでいるんだよ」
「……そうか。そうかもな。だから誰も信じられない私も、誰かを信じたいと思うようになった」
カケルと紗麓は、何となく空を眺めた。雲一つ無い青空を見ていると、世界が【歪】んでいることなど、嘘のように思えた。
「僕らはこんなに【歪】んでしまっているけれど……それでも、人間らしくいたいんだ」
「あぁ……そうだな」
どこかでチャイムが鳴る。授業終了を告げるそれは、今はそれぞれの決意を祝福しているように聞こえた。
実は珍しい、この組み合わせ。楽しんでいただければ幸いです。
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