scene17『帰還』
連続投稿ラストです。
いつの間にか、咆哮は聞こえなくなっていた。タワーの崩落音も、どこか遠くに聞こえる。
血を失いすぎたのか、何だか身体が、ひどく、寒い。
助かる方法はなさそうだな、と紗麓はぽつりと思った。自分がそもそも動けないし、巡査部長も気絶しているようだし、誰かが来てくれることもないだろう。
「こんな時まで、何も信じられないとはな……今輪の際に、神にすら祈れない。私は……私は生きたと言えるのだろうか……なぁ、」
脳裏に浮かんだ、呼び掛ける相手は、学校の演劇部で知り合ったばかりの女の子だった。今際の際に思い出すほど、彼女を大切に思っていたことを思い知らされる。二人で話した最後の記憶が、喧嘩してしまったあの時の情景であることが、悲しかった。
「お前だけは……信じられそうだったのにな……」
血の混じったパイプからは、もはや清涼感は感じられない。紗麓の口から、パイプが零れ落ちた。
「会いたいな……あいつに……会って、謝りたい……」
紗麓が思い浮かべるのはそれだけではなかった。まだまだ始めたばかりの演劇、遠ざけてきたクラスメート。幼い頃から多くの時間を共にしてきたパートナーにも、ひどいことを言ってしまった。彼にも謝りたかった。
「ふ、ふ……未練だらけじゃないか、私は」
自分は思っていたよりも生に執着していたのだと気付き、紗麓は力なく笑った。
「でもそれも、もう……」
瞼が、落ちて――
「諦めるのか」
不意に聞こえた、静かな声。いつしか建物の崩落音に変わっていた轟音の中にありながら、それは確かな存在感を持って、紗麓の耳に――心に響いた。
「……?」
「君が手に入れたかったものは、そんな簡単に諦められるものなのか」
その問いに、心が熱を持って、瞳から溢れ出す。
「諦めたく、ない……」
溢れた心が、頬を伝って流れていく。
「なら、諦めるな。自分に、【歪み】に。運命に――抗え」
諦めるな。
抗え。
二つの言葉が、紗麓の胸に、十字に刻み込まれていく。
「とはいえ……まぁ。今は寝てても良いさ」
「お前は……」
誰何は最後まで言えずに、紗麓の意識は闇に落ちた。
◇
「【X】ぅ~。こっちは大分落ち着いたけど、早くしないとぼくの【歪み】でも限界だよ~。タワーが持たないよ~」
アイマスクをして黒マントを身に纏った女が、気を失った【メインディッシュ】の肩を支えていた。
「分かってる」
【X】は紗麓の体を抱き抱えると、揺れて足場の悪いホールを苦もなく歩き、【メインディッシュ】ともう一人の女――【怪盗ダブルドロップ】――の元へと寄っていった。
「ふーん?」
【ダブルドロップ】が、【X】が抱えている紗麓を見て口元を歪ませた。「お姉ちゃんは分かってるよ」とでも言いた気な、意地悪げな笑みだった。アバラがイってるようなので負担をかけないようにしているだけで、全然ちっともそう言うことではないのだが、言っても通じまい。
「これで全部だ」
「お疲れ~。でも多過ぎない?」
辺りを見回し、【ダブルドロップ】が言う。
見れば、紗麓だけではない。気絶していた警官隊が、互いの手を握らされ、一繋ぎの帯状に自分たちの周りに横たえられていた。辺りが崩落する中で、その空間だけが切り取られたかのように無事であった。
「やるさ」
「そっか。頑張れ~」
建物が現在進行形で崩落しかけているというのに、どうしてそんなに呑気にしていられるのか。【X】はため息を一つ吐いて、【ダブルドロップ】の手を掴むと、
「行くぞ――【騙し絵】」
その場にいる全員がかき消えた直後、最後まで残っていたその広い床面は、天井からの崩落に巻き込まれて崩れ去った。
◇
「離してください、紗麓が!!」
「もう無理です、間に合いません!!」
崩れ落ちていくタワーの外で、突入しようとしていた和は栗栖に抱き留められながらも、展示室のあった場所に向けて必死に手を伸ばす。その横で、継人は腕を組み瞑目していた。
「紗麓――!!」
和が叫ぶ目の前で、タワーは轟音と地響きを立てながら、完全に崩壊した。
「そんな……」
絶望とともに、力を失った手が垂れた。
その瞬間。
彼らを始めとする【チーム】と警官隊の目の前に、突然大量の人間が出現した。
「!?」
その場に居た者は、あまりに突然の出来事に腰を抜かしそうになった。いや、気の弱い栗栖だけは実際に腰を抜かしていた。
「紗麓!?」
その中心に立つ、二つの黒い影。そのうちの一人が、失ったはずの彼女を抱きかかえているのに、和は気付いた。
「紗麓!!」
紗麓を抱き抱えている仮面の男は、その声に反応し、歩いてきた。駆け寄る和に、そっと紗麓を渡す。
「紗麓……紗麓っ!!」
「無事……とは言えないが、今は気絶しているだけだ。あの辺の連中と一緒に、さっさと病院に搬送した方が良い」
気絶している紗麓を傷つけないように、そっと、しかし力強く抱きしめる和に、仮面の男は仮面で僅かにくぐもった声で、淡々と言った。
「お前は……」
呆然と自分を見上げる和に、【X】は答えた。
「【怪盗X】」
表情のない、白黒の仮面。漆黒の衣装。
和は初めて対峙する【怪盗】に、緊張しながら問う。
「なんで紗麓と警官たちを助けた?」
「【怪盗】は人を殺さない。まぁ、【メインディッシュ】が迷惑をかけたからな。ついでだ」
「……礼は言わないぞ」
淡々と言う【X】に、和は憮然とした表情で言った。
「当たり前だ。僕たちは敵同士だろう」
仮面越しに、【X】と和は目を合わせた。
しばらくそうしてから、【X】はマントを翻しながら踵を返す。
「じゃあ、退散させてもらう。……見逃してくれると有り難い」
「あぁ、行けよ。でもお前のことは確かに覚えたからな。いつか【探偵】と僕たちが、お前を追い詰めるぞ」
「そうか。お手柔らかに」
涼しげな調子でそう言って、【X】はもう一人の女の元へ歩いて行く。
◇
【X】と和がそんな会話をしている横で、継人はもう一人の【怪盗】の背に声をかけていた。
「【ダブルドロップ】……」
【ダブルドロップ】は少し逡巡してから、殊更明るい声で言った。
「やぁ、【消音装置】さん。今宵は【メインディッシュ】が迷惑かけたね~。今後はこういうことが無いようにするから、よろしくね~」
「【ダブルドロップ】。俺は……俺は今でも、お前を……」
続く言葉は、何だったのか。
それは、背を向けた【ダブルドロップ】が一瞬で振り返り、継人の唇を紅いドレスグローブを着けた指先で塞いだことで、分からなくなった。
「その先は、聞かない方が良いと思うから。ね?」
仮面越しに、視線が合う。その瞳がどんな色を映しているのかは、仮面に阻まれ継人には見えなかった。
そこに、和との話を終えた【X】が近付いてきて、【ダブルドロップ】は【メインディッシュ】を抱えたまま歩き出した。
すれ違い様、
「継人君。“発砲音に気を付けて”」
と耳に囁いて。
一瞬遅れて反応した継人が、何、と振り返ると。
夜闇に溶けたように、【怪盗】たちの姿は消えていた。
その夜桃源町を震わせた、【怪盗メインディッシュ】最大の事件は――こうして、幕を閉じたのであった。
お付き合いいただきありがとうございました。
【探偵】vs【怪盗メインディッシュ】、いかがでしたでしょうか。
少しでも面白いと思ってもらえたなら幸いです。




