scene15『怪物』
第三弾です。
「はぁ、はぁ……」
紗麓は倒れ伏した【メインディッシュ】の傍らで、刀を支えに膝を付き、血の混じった荒い息を整えようとしていた。
終わった、と思う。この町での【チーム】の大きな目的の一つが、これで達成された。
もしかしたら、この町を去ることになるかもしれない。
それでも良いと、思った。
こうやって、命を削るような戦いを、これからもしていくのだろう。
【探偵】として。
たった一人で。
――本当に、それで良いの?
「五月蠅い……げほっ、げほ」
ただでさえ【歪み】を解放した後で、紗麓の【歪み】はかなり不安定になっていた。少女の幻影が、霞む視界から離れない。
「お疲れさん。まさか、倒しちまうとはなぁ……おじさん、びっくりだ」
逃げ出すタイミングを失い、紗麓と【怪盗】の戦いをずっと見ていた金浅が、無精鬚をさすりながら歩いてきた。
「こうして見ると、お嬢ちゃんも【怪盗】もただの女の子なのになぁ……【歪み】って奴は、本当に、難儀なもんだねぇ……」
中年の巡査部長は、威圧感が失せて元の小柄な体躯でしかない【メインディッシュ】と、すっかりぼろぼろになっている展示室内を見回して、しみじみと呟いた。
「ほら、【探偵】さん。立てるか?」
「私は、良い。早く、【メインディッシュ】を……」
金浅が手を差し出してくるのに紗麓が首を振ったとき、それは起こった。
どくん、と。
一瞬、広い展示室中に得体の知れない気配が漂う。
「……今の、は」
「ま、まさか……」
紗麓と金浅が、倒れている【メインディッシュ】を見る。
どくん。
気配が、膨らむ。
びりびりと。
床が、壁が、天井が、タワー全体が。その存在に怯え、震えている。
「巡査部長! 早く、【手錠】を――!?」
紗麓が金浅に叫んだが、遅かった。
【歪み】を解放した状態で、サラが意識を失ったことにより。彼女を繋ぎ止めていた、最後の堤防が――壊れた。
倒れ伏していた【メインディッシュ】の身体から吹き出た何かが、彼女の身体を宙に吊り上げていく。
紗麓と金浅は吹き飛ばされ、壁に叩き付けられた。フロアの窓という窓が割れ、展示物が自壊し、床板はめくれあがり、天板が砕ける。
「が……か、【解放】、いや、暴走か……!!」
全身を砕かれたような衝撃に血を吐きながら、紗麓はそれを見上げた。
それは展示室の天井を突き抜け、上層を突き抜け、何十メートルもの巨大な人影を成した。
『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
【怪物】が、咆哮を上げる。
――その日、桃源町の人々は。
町のシンボルであったタワーの上に、巨大な【怪物】を見た。
◇
【怪物】がその場でがむしゃらに拳を振るうだけで、破壊が撒き散らされていく。そう時間が経たない内に、桃源タワーは崩落するだろう。
これが町に放たれれば。
――旋律。
紗麓の脳裏に、一人の少女が浮かぶ。
震える手で拳銃を握り、引き金を引く。放った銃弾は、【怪物】の身体に辛うじて当たりはしたが、何の痛痒も与えていない。それでも紗麓は、弾の続く限り引き金を引き続けた。
やがて最後の弾を撃ち尽くし。引き金からかちり、かちりと乾いた音が聞こえるようになって、紗麓はだらりと手を下ろした。手からこぼれ落ちて、からからと転がった拳銃が、崩落する床と共に階下に消えていった。
もう、手に力は入らない。
「はぁ、くそ……また、勝てなかった。負けてばっかりだな、私は。敵にも……自分にも」
段々と霞みゆく視界の中で叫ぶ【怪物】を見ながら、紗麓は悪態をついた。【怪物】はもはや頭を抱えて天に向かって何かを叫ぶだけだったが、その威圧感は留まる所を知らず、肥大していく存在感がタワーを崩壊させていく。
ああなってしまっては、もはや対抗手段はなさそうだ。紗麓も、どこかに吹き飛ばされた金浅も、気絶していた警官たちも、これではタワー諸とも、全員潰れて死んでしまうだろう。あるいは、【メインディッシュ】自身すらも。
「【メインディッシュ】……お前は、泣いているのか?」
【怪物】の胸の辺りにぽつりと浮かぶ、意識はもうないであろう、【歪み】に支配された少女の成れの果てに、紗麓は語りかけた。アイマスクは取れていたが、霞んだ視界では顔を見ることは出来ない。しかし何故か紗麓には、彼女の頬に涙が流れていることだけは分かった。
「悪かったよ。お前の【歪み】は、確かに本物だ」
――だがお前は分かっていたのか? 強い【歪み】を持つことは、社会の中では孤立することだと言うことを。だから私は……
その時ふと、いつかの月夜に対峙した、もう一人の【怪盗】のことを思い出した。彼の言葉は、楔のように、十字の傷となって紗麓の胸に刻まれていた。
彼は、紗麓を自分と同じだと、言った。
でも、と思う。
――お前はきっと、【歪み】に抗っていたのだろう? 今も諦めようとしている、私とは違って。
「【歪み】に抗う、か……難しいな」
どんな偶然か、近くにパイプが転がっているのが見えた。紗麓は、痛む身体で手を伸ばし、それを掴むとまたもたれかかって、最後の一服とばかりに口に咥えた。
僅かな清涼感の中で、紗麓の心は穏やかになっていった。
少女の幻影は、もう見えない。
まだまだ行きます。




