scene10『彼の居る食卓』
前話の続きです。
旋律は、棗と共に火災のあったという部屋を見ていた。
「不思議よね……この部屋以外には燃え広がらなくて。消防署が来たときには、火が消えちゃってたの」
「ここって……竹薮くんたちの……」
「そうね。誰も使っていない部屋だったから良かったわ」
不自然な――現場であった。中にあったはずの勉強机やベッドは綺麗に消えて無くなっており、床や壁、天井に僅かな焦げ目がなければ、火災があったとすら分からない。
普通の火災ではこうはならない。
何らかの【歪み】による火災。そして、それが出来そうな【歪み】に、旋律は心当たりがあった。
「竹薮くん……」
「偶然だとは思わない? そんな顔してるわ」
「………………」
「私たちはあの子の【歪み】を知っている。そして燃えたものは全て、あの子たちに関するもの」
「………………」
旋律の脳裏に、幼い頃の少年二人の姿が浮かんだ。
「あの事件以降、あの子は変わった。それまでは拒んでいた里親探しを頼まれ、すぐにここを出ていった……」
「八桁くんは……まだ……」
「親友だったもの。それが突然死んでしまって、私たちの元には亡きがらも帰って来なかった。あの子にとって、それがどんなに大変な出来事だったか……私もあなたも、ショックから立ち直るのは随分時間がかかったものね」
「はい……」
「【先生】なんて呼ばせてるくせに、私はあなたたちに大事なことを何も教えてあげられない。ここだって、【桐生院】さんの保護が無ければとっくに潰れてたわ。特にあの子……八桁には、最後まで心を開いてもらえなかった」
棗は悲痛な表情で、悔いるように、呟く。
「【先生】……」
「最近噂になっているでしょう? 放火とか、不審火とか……あれは誰かに愛されなかった子が、世の中に復讐しているように感じるのよ」
「復讐……」
棗の言葉に、旋律は息を呑んだ。
「本当に、彼……なんでしょうか」
「わからないわ。でも、そういう子でしょう? 不安定で、罪悪感と不安を抱え込んで。貴女にも辛くあたって……。けれど私は止めなかった。それがあの子には必要なんだと思って、それすらも受け止めてしまえる貴女の優しさに、私は勝手に期待してたのね」
「【先生】……」
「ダメね、私は。本当なら、あの子がそんなことするはずないって、信じてあげなきゃいけないのに。【先生】失格だわ」
悲しげに苦笑する棗に、旋律は首を振った。
「そんなことないよ! 【先生】は私達みたいな子供達をこうして育ててくれてるじゃない。それこそ【先生】以外には出来ないことだよ。【先生】は、私達のお母さんなんだから」
「そういう【歪み】だもの。誰かの世話を焼いていないと、私は狂ってしまう。狂いそうになったことも……ある。本当は、私に【先生】をやる資格なんてないのよ」
棗は何かを思い出しているのか、浅く自分の身体を抱くようにした。
旋律はその手を取り、両手で温めるように握った。
「きっかけはそうでも……今は違うでしょ? 【先生】は、【先生】だよ」
「そう……そうかもね……私も、貴女だけじゃなく、ここで過ごした子達はみんな息子や娘だと思ってる。ありがとう」
棗が微笑むのを見て、旋律もにっこり笑う。
「さ、彼も待たせていることだし、早く戻って夕飯の仕度をしないとね」
「うん」
「愛情たっぷり込めるのよ」
「な、あ、愛情って、そんなんじゃないってば!」
「うふふ……」
「もう!」
旋律は一度だけ部屋に振り返ると、真剣な顔になった。
しかしすぐに向き直り、棗の後を追って階段を下りた。
◇
「ほら」
「すごーい! 今のどうやったのー!?」
「すっげー! わるものすっげー!」
「わぁ……」
食堂に戻ると、何やら歓声が上がっていた。
「あらあら」
「みんな、どうしたの?」
棗と二人で寄っていくと、カケルが子どもたちに囲まれていた。部屋を見ている間、世話を任せる形になってしまったが、意外と言うべきか、すっかり人気者になっているようだ。
「あ、姉ちゃん! わるもの、すごいんだぜ!」
「ね、ね、もう一回やって!」
「いいよ。見てろ……」
妹のナミがせがむと、カケルは一つ頷き、学ランの胸ポケットから何やらスカーフを取り出した。
まずはスカーフの両端をつまみ、ゆっくり両面を見せて、何もないことを示す。子どもたちが頷くと、左手にスカーフを被せ、右手の指をぱちん、と慣らすと、何もなかったはずのスカーフから花が現れた。
「ええ!?」
「まぁ」
子どもたちと一緒にまじまじと見入ってしまっていた旋律もこれには驚いた。何しろ手つきが鮮やかで、何がどうしたのかさっぱり分からない。隣で棗も目を丸くしている。
「きゃー、すごーい!」
「すっげ、わるものすっげ!」
子どもたちも大歓声だ。カケルが今出した花をナミの髪に挿してやると、ナミは真っ赤になった。
わるものだ! と旋律は思った。
「し、心在くん、すごいね」
若干引きつった顔で言えば、カケルは淡々とした顔で、
「まぁ、子どもの目を奪うくらいなら」
などと嘯いた。
「ねぇねぇ、トランプとかでも出来る?」
「出来るぞ」
いつも静かなコウですら興奮して、カケルの袖を引っ張る。カケルはすんなり了承して、ポケットからトランプを取り出した。いつも持ち歩いているのだろうか。
「これなら、任せておいて大丈夫ね」
「うん」
カケルの意外な特技を旋律ももう少し見ていたかったが、夕飯の準備を棗に任せる訳にもいかない。
せっかくの機会だし、と気合いを入れたのは――無意識に、とはもう言えないかもしれなかった。
◇
その日の夕飯の出来映えは、自分のことながらいつも以上に美味しく作れたと思っている。
カケルもいつもと変わらず無表情ながら、「美味いな」と言ってご飯を3杯もおかわりして、彼に線の細い印象を抱いていた旋律は、嬉しさと気恥ずかしさ、カケルも男の子なのだということを意識して、少し顔が赤くなった。
食卓もいつも以上に賑やかで、ナミなどはちゃっかりカケルの横に座り、甲斐甲斐しくあれもこれもと取って見せた。
そんな夕食が終わり、棗が子どもたちをお風呂に連れて行って、カケルと旋律は気付けば二人きりになっていた。
急に訪れた祭りの後のような静けさの中で、旋律はふと、今日在った出来事を思い出していた。それは火災のことではなく、その前……紗麓との喧嘩のことだった。
「詩涌間」
「心在くん……どうしたの?」
「いや……ぼーっとしてるから」
「あ……ごめん」
「織目と何かあったのか」
カケルも休憩から戻ってきた時の旋律と紗麓の様子を見ていたので、思い当たってそう聞くと、図星だったようだ。
「喧嘩……ううん、ちょっとすれ違っちゃって」
わざわざ言い直したのは、あれは喧嘩ですらないという思いがあったからだった。喧嘩は対等な関係でするものだ。自分は紗麓と喧嘩も出来ないのだと思うと、旋律はぽつぽつとカケルにあったことを話した。
「私なんかを、紗麓みたいなすごい人が頼ってくれるわけないのに、友達になってくれたからって、調子に乗ってた」
「……君って不思議だな」
大まかなことを話し終わり、曇った顔でこぼす旋律に対して、カケルはそう言った。
「え?」
「悩みを聞いてあげたいって思いを無下にされたことを怒るんじゃなくて、自分に落ち込んでるのか」
「怒るなんて……紗麓は一杯一杯なのに、責めようなんて思えないよ」
「僕には友達いないから、あまり大したことは言えないけど……気持ちの上で対等じゃないのに、友達とは言えないんじゃないか。君は織目を持ち上げすぎている気がする。卑屈になってるってこと」
「卑屈……そうなのかな。だって、紗麓は綺麗で、背も高くて格好良くて、頭も良くて……私とは全然違う……」
脳裏に浮かぶ紗麓の姿は、凛としていて、旋律の憧れであった。紗麓が急に遠く思えて、旋律は悲しくなる。
だがカケルはそうは思っていないのか、いつも通り平淡な声で言う。
「君は織目の教室での姿を知らないからな」
「あ……心在くん、同じクラスだもんね。教室での姿って?」
「教室での織目は仏頂面で、あんまり周りと話そうとしない。壁を作ってるというか……僕の目には、あれは他人を怖がっているように見える」
「怖がってる? 紗麓が?」
その評価は旋律にとっては意外だった。
「いくら優秀でも、織目は同年代の集団の中で過ごすのは初めてなんだろ。他人が怖くても不思議じゃない」
「あ……」
カケルの言葉は、旋律が忘れていたことだった。
「でも、君と一緒にいるときの織目は、とてもリラックスしているように見える。よく話すし、よく笑う。多少ぎこちなくても、普通の女子とそう変わらないと僕は思う。それが織目にとってどういう意味を持っているのか……友達になってくれたって君は言ったけど、君の方が、織目にとってそういう存在かもしれない」
「紗麓が……」
友達になりたいと言ったときの、紗麓の驚き、嬉しそうになった顔を思い出す。
「でも……私じゃ紗麓の【歪み】は分かってあげられない」
「人が人の【歪み】を分からないのは、誰だってそうだ。君だけじゃない」
「心在くんの言いたいこと、分かるよ。でも、私だけ楽してるって、思うこともあるの。【歪み】を抱えたみんなの、友達の辛さがわからないのは、時々嫌になる……」
胸が苦しくなり、旋律は俯いた。
だがその顔を、カケルの言葉が上げさせる。
「君は、優しいな。それに、強い」
「え……?」
あまりにも自分には似合わない評価だと思い、旋律は目をぱちくりさせた。
「君はいつも、誰かの為に思い悩めるんだな。君は織目をすごいというけど、僕は君の方がよっぽどすごいと思う」
「心在くん……そ、そんなことないと思うけど」
「すごいよ。僕にはそういう生き方は出来ない」
「心在くん……?」
「君がうらやましい。【歪み】がないことじゃなくて、君の考え方とか、性格とか――存在が。尊くて、美しいと思う」
胸が熱くなって、頬が上気する。
いつかもこんな想いをくれた人がいた。
思い出したことを、思い出すままに言葉にする。
「昔ね、なにもかも嫌になっちゃったことあるんだ。なんで私だけ、って。でも、泣いてた私に言ってくれた人がいたんだ。『世界を恨むんじゃなくて、【歪み】に抗え』って。私、素敵だな、って思った。私と変わらないぐらいの子だったのに、なんでこんなに強いんだろって。だから頑張って、あの人みたいに強く生きたいって思った」
「………………」
カケルが僅かに目を見開いたことに、滔々と語る旋律は気付かない。
「それに、私には家族もいる。みんなといると、私は幸せだっていつも思う。心在くんが私のこと強いって思ってくれるんだったら、きっとその人と、孤児院のみんなのお陰だよ」
「そうか……そうだったのか」
「心在くん?」
「……なんでもない。さっきの話だけど。【歪み】は、他人とは分かち合えない。それは、【歪み】を持っている者同士でも、変わらない」
「やっぱり、そうなのかな……」
旋律は俯きそうになって、続くカケルの言葉に、顔を上げた。
「だからと言って、理解しようと歩み寄ることが、無駄だとは僕は思わない」
「心在くん……」
「友達なんだろ。友達の悩みを聞いてあげたいと、力になってあげたいと思うことは……きっと、“普通”のことだと思うから」
どうして。彼はいつも、自分の背中を押してくれるのだろう。欲しい時に、欲しい言葉をくれるのだろうと、いつになく饒舌なカケルに旋律は思った。
「それに、【歪み】を理解するってことも、君になら出来るのかもしれない。人は自分の【歪み】で手一杯で、とても他人の【歪み】までは背負えない。でも君なら、体の痛みはわからなくても、【歪み】がわからなくても、織目の心の痛みなら分かってやれるんじゃないか。人が人を理解するっていうのは、そういうことなんじゃないか」
「痛みを、分かってあげる……」
「織目にとっては、普通の、君の自然な優しさがきっと救いになる」
カケルの真っ直ぐな言葉が、旋律の心を強く打った。
「心在くん……私、明日もう一度紗麓と話してみるよ」
救いなどとは思えないけれど。
知りたいから。
何かをしてあげたいから。
友達――だから。
「あぁ。それで良いんじゃないか」
「うん……よし!」
穏やかに頷くカケルに、旋律は決意を新たにした。両手を握りしめ、頷き返してみせる。
「心在くん、ありがとう。すごく元気出たよ……えへへ」
「別に。君が元気ないと、演劇部が居心地悪くなるから」
「そんなことないと思うけど……でも確かに今日は女良先輩怒らせてばっかりだったから、明日からまた頑張らないとね!」
「それがいい」
会話が一瞬途切れ。旋律はふと、思ったことを呟いた。
「心在くんって、紗麓のこと結構見てるんだね」
「ん……いや」
敵だからなぁとは言えず、カケルは僅かに口ごもった。言葉尻に僅かに拗ねるような気配を感じて、若干の焦りを感じながら、目を泳がせて言葉を探す。
「あいつの【歪み】は、僕と似ているところがあるから、かな……」
「そう、なんだ……心在くんの【歪み】って……」
旋律がそう問いかけたとき、カケルは急に立ち上がった。
その視線の先には、付けっぱなしにしていたテレビがあった。有線しかないとはいえ、テレビは情報の発信源としてはこの世界でもやはり重要な機能を持っている。
『先ほど入ってきました情報によりますと、今晩、C県桃源町の桃源タワーに、【怪盗メインディッシュ】が現れるとの予告状が出されたとのことです。予告状には、【怪盗メインディッシュ】は、現在桃源タワー内の特別展示室にて展示されている、“斜陽”を狙うとのことで……』
――聞いていないぞ。
『さっき出て今夜とは、また急ですねぇ。いつもなら前日には予告状が出ているのに』
「詩涌間。ごめん、帰る」
嫌な予感がカケルの脳裏を過ぎり、焦燥とともにそう告げる。
「え、あ……うん」
旋律は急な言葉に、怒らせてしまったのかと顔を青くしたが、その反応もよそに、カケルは鞄を掴み足早に玄関に向かう。旋律も慌てて付いてくる。
「夕飯ごちそうさま、子どもたちにも、よろしく」
「う、うん。お粗末様です。あの子たちの面倒見てくれて、ありがとうね」
「あぁ。また明日、部活で」
「うん。また、明日……」
その返答を聞くが早いか、カケルは玄関をぱっと飛び出して行った。
後に残された旋律は、玄関の扉が閉まっていくのを見ながら、挨拶を交わしてくれたので怒らせた訳ではなさそうだと思ったが、いつになく焦った様子のカケルが心配だった。
せめて交差点までは見送ろうと、閉まりかけた扉を開くと。
「え――?」
カケルの姿は既になかった。
玄関の先には門もあり、どんなに急いで開けたとしてもまだ背中くらいは見えるはずなのに。
慌てて門まで駆け寄り道に出ても、やはりその背は見えず。
一瞬で消えたとしか言い様がない、不思議な現象に、旋律の胸中に不安が募る。
「心在くん……」
ぽつりと呟いた名は、彼の姿と同じように、宵闇に消えていった。
タイトルで食卓と言っておきながら食事風景はカットするという。
詰め込みすぎたかなぁ。
カケルは悪い男です。(2回目)




