scene7『苛立ち』
今日もこのぐらいの時間で。短めです。
「むー……」
私立聖桜学園中等部、二年A組。教室の中央の席で、怪物が唸っていた。
障らぬ神に祟り無しとばかり、周囲の生徒はなるべく声の主を見ないように、かつ寝た子を起こさぬよう小さな声で談笑していたが、唸り声が大きくなる度に一様にびくりと体を震わせ、恐る恐る怪物の様子を探り、何事も起きていないことに胸を撫で下ろし、再び談笑に戻る。そんなことをずっと繰り返していた。
そんな周りの様子に気付きもしない怪物――いや心在サラは、小柄な体躯に似合わぬ威圧感を周囲に撒き散らしながら、窮屈な机に突っ伏していた。
納得がいかなかった。彼女の兄のことだ。
突如の引退宣言は、サラにとって青天の霹靂だった。
『なんで?』
そう問い質したサラに、あの万年仏頂面の兄は、
『疲れた』
と答えただけだった。それ以上追求されるのが煩わしいと言わんばかりの淡泊さで。
「あーもー!!」
思い出して苛立ち、吠える。クラスメートが慌てて距離を取るのを気にも留めない。
サラには友達がいない。ただ、人気はある。抜群の運動神経と優秀な成績、美少女の類に入る容姿、それに彼女の【歪み】によって、何をやっても目立つサラは、どうしても周囲の注目を引く。良くも、悪くも。人気はあるが、敵も多いのだ。そしてそんなサラに向けられる感情は、尊敬と畏怖が入り混じったものになる。いわば、遠い存在。孤高のアイドル。そんな存在であるが故に、彼女と対等と言える友達もまた、いなかった。かといって、サラに不満や寂しさはない。彼女にとって周囲の人間は、観客か、せいぜいが引立て役といった認識であった。好意的な視線は気持ちが良いが、それだけだ。悪意や学校内での敵など無論、全く相手にする気にならないし、実際相手にならないのだ。
サラにとって、だから【怪盗】としての活動は特別なものだった。悪党から獲物を奪い、遮る警官隊を薙ぎ倒すのは、楽しい。町の住民は【MD】を喝采で迎え、讃える。
周囲には全く正体を感づかれることもなく、【怪盗】稼業を営む自分が誇りだった。それは当然彼女の姉や兄も共有している感情だと信じて疑っていなかった。
なのに、あの兄は。
『【怪盗】はお前に任せるから』
なんだというのだ、全く。お気に入りのおもちゃで一緒に遊んでいた友達が、“飽きた”と言って帰ってしまったような気分だ。もちろん、サラにはそんな経験はないが。
ともかく、普段散々サラのことを【怪盗】らしくないと馬鹿にしておいて、自分は疲れたから辞めるなんて、了承出来るはずもない。
――あのバカ兄、帰ったら今度こそ、とっちめてやる!
「ふふふふふふ……」
不気味な笑い声で周囲を引かせながら、サラはそう決意した。
サラは気付いていなかった。
それらの憤りの根本がどこにあるのか。
一人で【怪盗】を全うしなければならないことへの不安。【怪盗】としての兄への尊敬と失望。
それらの感情は小さすぎて、サラが意識する前に彼女の【歪み】に潰されてしまっていた。
◇
「あの、心在さん……」
誰もがサラを避ける中、果敢にも、だが怖ず怖ずと声をかける女子がいた。
「ふっふっふ……ん?」
肩を叩かれたら流石のサラも気付く。隣に立つその女子は、サラの大きな瞳に見つめられ、びくりと肩を震わせながらも、なんとか会釈してみせた。
「あぁ、いいんちょー。どうしたの?」
意識しなくても、サラの声はよく通る。結果意図せずにクラス委員長であるその女子生徒を怯えさせた。だがこの場合は、彼女の内気さにも非があるといえる。ずれてもいない眼鏡を直すふりをしながら、女子生徒――弓入心安は鼓動を落ち着けた。
「え、えっとね? みんな怯えてるから、ちょっと、抑えて欲しいなー、なんて……」
押し付けられた自覚はあった。内気な自分にクラスをまとめる役割を期待されているとは思えない。心安はサラにひそかに憧れていた。背丈は同じくらいなのに、サラはいつも堂々と胸を張り、背筋を伸ばしているのに対し、自分は背を丸めているから余計に低く見える。そんな些細な違いの一々が、サラへの憧れに繋がっている。卑屈で目立たない彼女にとって、自信に満ち溢れ輝いているサラはまるで、物語に出てくるヒーローだった。
「抑えるって、何を?」
「え、えっと……なんていうか、そのう……」
【歪み】を、という言葉は直接的すぎて、かといって存在感を、とも説明しにくい。心安はまごついて、結局、
「やっぱりなんでもない、あはは……」
そう笑ってごまかす。
彼女が自分を恐れていることを、サラはなんとなく察した。他人の行動など、普段は気にも留めないサラだが、今朝はその卑屈な態度が妙に癪にさわった。
「言いたいことがあるなら、言えばいいじゃん」
眉を潜めて鋭く言い放つと、心安は猛禽類に睨まれた小動物が如く畏縮し、青ざめた。
「ひっ! いやあの、本当になんでもないからっ」
脱兎の如く逃げ出す。
「……なんだよ」
心安に限らず、大抵の同級生はこういう態度だ。いつものことで、取るに足らないこと。その筈なのに、今朝は何故かチクリと胸を刺した。
「何委員長いじめてんのよ、あんたは」
また別の女生徒がサラに話しかける。上品な金に輝く長い髪を片手で払いながら、睫毛の長いキレ長の目を呆れたように細めている。町を行けば誰もが振り返るであろう美少女だ。しかしサラは、
「虐めてないし……あんた誰」
覚えていなかった。
「んなっ!? 勉強に運動に張り合ってきた、あんたのライバルの御鷹マリでしょうが! クラスメートだし、こんな美人忘れる、普通!?」
妙に説明口調だが、どうやらそうらしい。
「ライバルねぇ……」
サラは興味なさそうにちらっとマリを一瞥し、頷いた。
「やっぱ覚えてない」
そういうと、マリは目をぱちくりさせた。まさか本当に覚えられていないとは思っていなかったらしい。
「ぬぬぬ……おのれ心在サラ……! ちょっとあたしより目立ってるからって、調子乗ってるんじゃないわよ!」
「五月蝿い」
ぴしゃりと、重みのある声でサラがしかめっ面で言うと、
「ふ、ふんだ。覚えてらっしゃい!」
マリは額に青筋を浮かべてそう言うと、席に戻っていった。
――だから、覚えるつもりないし。
目立つことの何が彼女にとって気に食わないのか、サラには分からない。他人のことなど、心底どうでも良かった。マリに対し完全に興味を無くしたサラは、そろそろ授業始まるなーと別のことを考えながら、しかし妙な苛立ちだけが残っていた。いつもならすぐに消え去る小さなしこり。心安への苛立ち同様、今日に限って何かともやもやする。
「うっさいな」
この苛立ちも全てあの兄のせいだ、とサラは思う。
カケルが【怪盗】を辞めて以来、ニスイがサラの方の仕事も入れずにいるのも気にくわない。【消音装置】というのがこの町に入ってきたというのは聞いているが、自分の敵ではないはずだ。いつも通りに、ぶっ飛ばすだけでいい。何をそんなに警戒しているのか。サラだけでは頼りないとでも言うのか。
――いいもん。だったら、ボク一人でも出来るって、証明してやる。
その思いつきは、素晴らしいことのように思えた。
その時。
サラの胸の内に一瞬、ニスイが用意した舞台でもなく、同じ日にカケルが働いていない状況下での仕事に不安が過ぎったが、彼女の【歪み】は、そんな小さな不安を飲み込み、消し去ってしまっていた。
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