scene6『妹と、姉と』
いつもより早いですが投稿します。
「ただいま」
玄関で発されたカケルの声は静かなものだったが、住人には十分なものだったらしい。間髪入れず、体格や体重の割にドタドタと大きな足音を立て、リビングから妹が姿を現した。
――足音は普段からなるべく小さくするように言ってるんだけどな……
【怪盗】として以前に女の子として気をつけて欲しいとも思っているのだが、一々口に出さないのは、彼女の【歪み】がそれに余り向いていないことを知っているからだ。
今はそれ以外にも、姉に似た小さな顔に、兄の帰宅に対してあまり好意的とは言えない表情が浮かんでいることもあった。
「おかえり」
一応、という感じで返された挨拶は、表情を裏切らないぶすっとした声に彩られていた。
「………………」
睨むような視線を受けながら靴を脱ぎ、妹の前に立つ。あまり広くない廊下の真ん中に仁王立ちされて、横をすり抜けるのは可能であっても憚られて、他にどうしようもなかった。
「………………」
無言の間は長くは続かなかった。彼の妹は我慢が苦手なのである。
「カケ兄、最近帰り遅いよね」
「……そうだな」
「カケ兄、なんか隠してる」
「………………」
「【怪盗】辞めて、何やってるの」
「………………」
「答えてよ! なんで【怪盗】を辞めたの? 自分には【怪盗】をやることが必要だって言ってたじゃん!」
興奮するサラの瞳には、苛立ち以外の感情があった。
それは失望か、あるいは――不安か。
カケルは僅かに目を細めると、淡々と言った。
「疲れたから」
その端的な答えに、サラはいよいよ怒気を募らせた。
「なんで……それじゃ全然わかんないよ! ボクには散々、もっと【怪盗】らしくなれとか言っておいて、なんで自分だけ勝手に辞めちゃうの?! 納得行かない!!」
尚も食い下がるサラの背後から、音も立てずに人影が迫る。
「玄関で騒いでる子、だ~れだ」
「ひぇ!? ちょ、ニスイ姉……」
人影――ニスイに突然耳元で囁かれ、サラは飛び上がった。
ニスイはその結果に満足したように、ニヤケ面のままカケルに言った。
「カケル君、おかえり~。ご飯出来てるから、鞄置いてきなよ~。冷めないうちに食べてくれないとね~」
「ニスイ姉! ニスイ姉だって、最近のカケ兄はおかしいって思わないの?」
話を遮られ、サラは憤懣やるかたない様子だ。
「サラちゃん、カケル君だって年頃の男の子だよ? ぼくらに言えないことだってあるって」
「そんなことで、」
「とにかくご飯にしようよ~。せっかくぼくやる気出して作ったのに、冷めちゃったらやるせないよ~」
「……あとでもっかい聞くからね」
「………………」
姉に肩を掴まれてリビングに押されていく妹の睨みを受け、カケルは一つ嘆息すると、後を追った。
◇
「部活? 今更?」
サラの剣幕にいよいよ逃げ切れないと観念したカケルが白状すると、サラは怪訝そうに眉をつり上げた。
「登録してた演劇部から呼び出された。人手が足りないから出てくれって」
「なんで? カケ兄演劇出来るの?」
カケルの無表情をよく知るサラには当然の疑問だ。
「舞台には出ない。裏方」
「そんなの、カケ兄じゃなくったって……」
「裏方はいくら人手があっても足りないからね~。それに転校生を二人もとっておいて、幽霊部員の存在を許してたら、他の部に文句言われちゃうもんね~」
「………………」
ニスイのフォローはありがたいが、何故転校生二人を取ったことまで知っているのか。ニスイの情報収集能力に恐ろしいものを感じ、カケルは絶句した。この調子だと、その二人が【消音装置】の人間であることまで把握済みなのだろう。いや、むしろそちらの線から得た情報と考える方が自然か。
「ぼくは賛成だよ~。部活なんて学生のうちにしか出来ないんだし~」
ニスイがそう言うと、サラは拗ねたように口を尖らせた。
「ボクだって、カケ兄が部活やるのに反対する訳じゃないもん。なんで【怪盗】辞めたのかって、それが聞きたいだけ。部活をやりたかったから辞めたの?」
「違う。辞めたところに、誘いがあったから」
「じゃあなんで……まさか疲れたからなんて、本気で言ったんじゃないよね?」
「本当だよ」
「っふざけないでよ!」
ばん、と激昂したサラが食卓を叩くと、食器ががちゃりと音を立てた。醤油が零れて、テーブルの上に濁った玉模様を作る。
「サラちゃん、お行儀が……」
「カケ兄にとって、【怪盗】ってその程度のものだったの? それじゃボクは、何のために……!」
ニスイの茶化すような注意も遮って、サラは拳を震わせる。
ニスイはその様子に苦笑すると、飛び散った醤油を拭き取ると、真面目な顔になり、諭すように言った。
「サラちゃん。カケル君は、心在としては異例の早さで【怪盗】になった。ぼくが舞台を降りてから、カケル君は長いこと【怪】を背負って頑張ってたんだ。そろそろ休みたいって思うのは当然なんだよ。それにね、【怪盗】としてはサラちゃんがきちんと目立ってるし、本当は同じ時に二人も居る必要はないんだよ。カケル君だって、サラちゃんに任して大丈夫だと思ってるから、安心して休めるってもんでしょ?」
「嘘だ! 二人ともいっつもボクのこと叱るじゃん!」
「それは、ぼくらがサラちゃんに期待してるからだよ。サラちゃんは【怪盗】としては歴代の誰よりも……強い、【歪み】を持ってるんだから。それとも、カケル君がいないと不安かな?」
「な、ち、違うもん! もう良いよ! カケ兄はボクに全部任して、部活でもなんでもやればいいじゃん!」
ニスイが見透かしたようなことを言うと、サラは動揺をごまかすように大声で吐き捨て、リビングから出て行った。
◇
「……勝手すぎたかな」
サラが出て行ったリビングのドアを無表情に見つめながら、カケルはぽつりと呟いた。
「なんで~? 良いじゃない、部活。青春じゃん~」
いつものニヤケ面に戻ったニスイは、頬杖を突きながら、緩く弧を描いた線のような目でカケルを見つめた。
「そういうんじゃない。部活を始めることになったのは偶然だ。丁度良いと思ったんだ。良い言い訳が出来たと思った。本当は、僕はただ逃げたかっただけなんだ。妹に全部押し付けて。情けない、兄だ。サラもそれが分かってるから、怒らせてしまった」
いつになく口数の多いカケルは、目を閉じた。ニスイにはそれが、悔いているように見える。
けれどニスイは、カケルがせっかく自分たち家族以外と関わりを持ったことを、嬉しく思っている。後悔して欲しくはなかった。
「サラちゃんは頼られるの大好きだから、そういうことで怒ってるんじゃないんだよ。ただね、【MD】にとって、【X】の存在は、他の誰よりも大きいんだよ。憧れであり、ライバルだった。それがいきなり自分一人になってしまって、取り残されたみたいで、やっぱり不安なんだよ。本人は否定してたけどさ」
「いや、それは……」
「カケル君、分からないフリは頂けないね~。あの子はいつも評価を気にしてる。それは世間の【MD】に対する評価であり、【X】に対する評価であり、何より【X】の【MD】に対する評価だ。新聞の【X】に関する記事を、あの子は君よりも気にしてたでしょう? 君だってあの子が心配だから後悔してるのに、サラちゃんが、カケル君が自分に遠慮して【怪盗】を辞めたんじゃないかって思うのを否定出来ないでしょ? もちろんそんなことを思うのはあの子の覚悟が足りないからで、それは心在の意味を教えていないぼくらにも、その意味を背負うに足りないあの子自身にも責任がある」
「……あぁ」
ニスイはやっぱり自分たちのことをよく見ているな、と思いながら、カケルは頷いた。
「だからって謝っちゃダメなのは分かってるよね。君には謝る理由はないし、【怪盗】になると自分で決めた以上、あの子に謝られる理由はないんだから」
「……そう、だな」
「カケル君が悪くないのは間違いないよ。本当は全部ぼくの責任なんだから」
そう断言するニスイには、いつものふざけた様子は全くなく。
カケルと同じくらいに、感情が読み取れなかった。
「ニスイ姉……」
「ま、いずれにしろサラちゃんにはそろそろ心在の意味を知ってもらわなくっちゃいけなかったからね。良い頃合いだよ。君に責任があるとしたら、部活を一生懸命やることだよ」
「あぁ」
いつにない、姉の優しい微笑みに、カケルも出来るだけ口角を上げながら頷いた。
それに満足すると、ニスイは一気に脱力し、いつものニヤケ面に戻ると、面白そうにカケルに質問した。
「でも、なんで演劇部にしたの~? 仮入部してたのは知ってたけどさ~」
「……誘ってくれた子がいたから」
これは良くない流れだと思いながら、カケルは正直に答えた。
「女の子でしょ~」
「まぁ、そうだけど」
ニヤニヤと笑うニスイは、悪魔か何かに思える。カケルは居心地が悪くなり、顔を逸らした。
「向こうから来たんでしょ?」
「まぁ」
「不思議だねぇ~。部員届けには細工してあったのに、どうして気付いたんだろうね~」
「新入部員が、気付いたらしい。一緒に来たから」
「あ~、そういうこともあるのか。でもそれならその新入部員だけでも良いじゃない? どうしてその子が来たのかなぁ。カケル君とど~しても話したかったんだよね~? 何かあったのかな~?」
新入部員という意味は伝わったようで、ニスイは一瞬だけ真面目な顔をしたが、それより今はカケルをからかうのを優先することにしたようだ。付き合いの長さから、そういう姉の心理が手に取るように分かりつつも、逃げる術のない己が身をカケルは呪った。
「……交通事故に遭いそうだったのを助けたんだ」
観念して白状すると、ニスイはぎらり、と目を輝かせた。
「へぇ~、運命的だねぇ。良いじゃん良いじゃん。ヒュ~ヒュ~♪」
出来ていない口笛で煽られるが、突っ込む気力も湧かず、カケルは嘆息した。
「やめてくれ……そういうんじゃないから」
言いながら、先ほどあった出来事――間近に見た彼女の顔を、思い出してしまう。
あんなことを知られては、何を言われるか分かったものではない。カケルは努めて無表情を貫いた。
その甲斐あってか、ニスイは追求を諦めたようで、つまらなそうに口を尖らせた。
「だって姉としてはさ~、弟の甘酸っぱぁい恋バナとかちょー気になるもん~」
「正直過ぎるだろ……」
ぶーぶー、と口で言う姉に、カケルはやはり嘆息するのであった。
「なんだよ~、弟としては姉が嫁き遅れないか心配だとかツッコミはないのか~」
「いや……触れない方が良いのかと思って」
「………………」
「………………」
二人は真顔になり、しばし見つめ合った。心在家のリビングに、緊張が走る。
「さ、洗い物しないとね~」
何事もなかったかのように席を立つ姉の背を見ながら、カケルは今日見つけた、あのノートのことを聞くのは今度にしよう、と思ったのであった。
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