scene5『帰り道』
いつもの定期更新より早いですが、投稿します。
――あの二人が慌てて帰るということは、何かあったな。
紗麓と和が帰ったのを見ていたカケルは、そう推測した。
今日は【MD】の予告はなかったはずだし、そもそも夜というにはまだ早い。であれば【怪盗】絡みではないだろう。
気にすることはないか、とカケルは思った。
そこまで考えて辺りをみると、演劇部の今日の活動も、女良の話も終了し、流れ解散のようだった。
自分も帰るかと、鞄を持ったところで、同じく帰ろうとしていた旋律と目が合う。
「あ……」
旋律はどこかぼんやりとしているようで、カケルの顔をみて動きを止めてしまった。
「帰らないのか」
「あ、うん。帰る」
見かねて、あるいは見つめられることに居たたまれなくなって声をかけると、旋律は頷いて歩き出した。
カケルも歩き出す。と、二人は自然、横に並ぶ格好となる。
ふと、思った。
―― 一緒に帰ることになっていないか、これ。
出会いの日がそうであったように、二人の帰る方向は、結構な距離、同じである。
足早に去るのも不自然だし、まさか“跳ぶ”訳にもいかない。
それに、旋律がどこかぼんやりしているのが、どういう訳か気になった。
――大事な主役に、怪我してもらう訳にはいかないしな。
そんな言い訳めいたことを考えながら、カケルは旋律の隣を歩いた。
◇
沈黙が、続いていた。
旋律は考え事をしているし、カケルも話を振るのが上手い質ではない。
しかし校門から出たところで、旋律がそのまま車道に出そうになって、カケルは意を決して声をかけた。
「考え事をしていると、また轢かれるぞ」
「え、あ……」
旋律は我に返り、カケルを見た。
「どうかしたのか」
カケルが聞くと、旋律は少し悩む素振りを見せてから、口を開いた。
「……紗麓がね、ちょっと変だったな、って」
「織目が」
確かに、彼女と和は、慌てた気に帰宅する直前、少し上の空になっていた。あれは【消音装置】から何らかの連絡を受けていたのだと、カケルは見ている。
電波が【歪】み、無線技術が役に立たなくなった今の社会では、通信はもっぱら【歪み】の少ない特殊な線を使った有線のものが主体となっている。しかし、遠くの人間と何らかの形で通信を可能にする【歪み】を持つ者もまた、世の中にはいる。【消音装置】という場合によっては緊急の対応が求められそうな組織であれば、その類いの【歪み】を持つ者がいてもおかしくない。
しかし旋律が言っているのは、そういうことではないらしい。
「女良先輩の話を聞いたからかな。ちょっと悩んでるみたいに見えたの」
「なるほど」
カケルは旋律のように紗麓と仲が良い訳ではない。自分では気付かなかったことに、旋律は気付いたのだろう。
「心在くんはさ、女良先輩の話、どう思った?」
「そうだな……」
旋律がカケルの顔色をうかがうように、ちらちらと視線を送りながら聞いてくる。
急な話題の転換にも思えたが、このタイミングで聞くのだ、何らか関係があるのだろう。カケルは少し考えてから、言った。
「羨ましいって、思ったな」
「羨ましい……?」
カケルの言葉が予想外だったのか、旋律は目をぱちくりとさせた。
目が大きいなと思いながら、カケルは答える。
「あぁ。あの人は、【歪み】に抗えるものを見つけたんだ。それが、とても羨ましい」
「【歪み】に、抗えるもの……」
「僕らはみんな【歪み】を抱えていて……それに抗えるものを、探している。それが何かは、みんな違うし、人から与えられるものでもない。自分で見つけるしか、ないんだ」
緩く、拳を握りしめる。
「世界が【歪んで】いるから。自分が【歪んで】いるのも仕方ないって、言い訳したくないんだ」
「そう、なんだ……。強いね、心在くんは」
そう呟いた旋律は、どこか寂しそうで。
「君もそうじゃないのか」
カケルが問うと、旋律は小さく、首を振った。
「私には、分からない。私は、私には……【歪み】が、ないから」
◇
カケルが驚きに目を見開く。
言ってしまった、と旋律は思った。
「本当に。本気で、言っているのか」
「うん……」
誰もが【歪み】を抱えるこの世界で、【歪み】がないということがどういうことか、旋律は誰よりもよく知っていた。
異質。異端。人は集団で生きる動物だ。自分たちとは違うものを、恐れ、忌み嫌う。
嫌われてしまうだろうか。
覚悟して言ったことだったが、旋律は怖かった。
しかし、カケルは。
「平気、なのか」
「え……?」
「こんな、【歪】んだ世界で。一人だけ、【歪】んでいないなんて。辛いんじゃ、ないのか」
思わず、見上げる。旋律を真剣に見つめる、カケルの無機質な瞳の奥には、旋律を厭う色はなかった。
どくんと、心臓が高まる。
「……優しいね、心在くんは。き、気持ち悪くないの?」
思わず目をそらし、そんなことを聞いてしまう。
「そんなこと、思うわけないだろ」
だが、返ってきたのは強い否定で。
「心在くん……」
じんわりと、胸の奥が熱くなる感触に、自然と頬が緩んだ。
「私ね、自分が嫌いだったんだ。どうして世界はこんなに【歪んで】いるんだろうって、どうして私は【歪んで】いないんだろうって。自分も世界も、嫌いだった。でも、ある人が、それじゃ駄目だって私に言ってくれた。私の悲しい気持ちを奪ってくれた……だから、大丈夫」
「そうか」
笑ってみせると、カケルも少し笑ったように見えた。
カケルは彼に似ているのだと、旋律は初めて気付いた。
だからこんなにも――。
旋律が、胸の内にあるその気持ちに名前を付けようとしたとき。
「【歪み】がない……そうか。だからか、君に惹かれるのは」
ぼそり、と。無表情に、そんな、とんでもないことを言われ。
「え、ええ!? ひ、ひか、惹かれ!?」
旋律の顔は、一瞬で茹で上がった。
「普通、か……凄いな、君は」
だがカケルは、自分が何を言ったのかの自覚もないようで、淡々と旋律に言った。
彼の常である無表情が、憎らしい。
「す、すごくなんて、ないよ」
「君は、自分の価値を知るべきだ。【歪み】がない、なくしたいって、誰もが思っている。世界中の誰もが、君に憧れ、君を欲しがるだろう」
「お、大袈裟だよ……」
「大袈裟なものか。現に僕は、君が、欲しくてたまらない」
そこまで言って、カケルはぐい、と旋律に顔を近付けた。
至近距離で見つめられ、旋律の心臓は爆発寸前だ。
旋律を捉えて離さない黒い瞳。
意外と長い、睫毛。
すっとした鼻筋。
唇と唇が、触れそうで。
「し、心在くん……」
旋律が何かの覚悟を決めて瞳を閉じようとしたとき、カケルはようやく我に返ったらしい。
「あ、ご……ごめん」
「!? あ、えと、わ、私、今、な、何を!?」
顔が離れる気配を感じ、旋律も慌てて目を開き、一歩下がった。
心臓が痛いほど鳴っていた。
「欲しいっていうのは、そういう意味じゃなくて……つまり、その、なんだ、【歪み】がないってことは、あまり、言わない方が良い」
「う、うん、わかった」
珍しく慌てた気に早口でまとめるカケルと、お互い息を整えながら、なんとか言葉を交わす。
「帰るか……」
「う、うん。あれ、帰、一緒!?」
「今気付いたのか……」
二人は、なんだかどっと疲れたのであった。
◇
「それじゃ……私、こっちだから。また……学校で」
「あぁ」
それからの二人は無言のまま、ぎこちない空気のまま、分かれ道まで歩いてきた。
旋律に手を上げ、少し気恥ずかしくなって今まで歩いていた道に顔を向けたカケルは、ふと、その違和感に気付く。
――この道は、こんなに真っ直ぐだっただろうか?
当たり前の、だからこそ異常な光景に、カケルの思考が一瞬止まる。
今別れた背中を見る。多少落ち着いたとはいえ、頬を赤くしたまま俯きがちに歩いていく旋律は、その異常な光景に気付いた様子はない。
何か、それこそこの世界すら揺るがしかねない、何かが起こっている。
漠然とした予感に、カケルの背筋は震えた。
ちょっとだけ、近づいた二人。




