scene2『残滓』
三本目です。おっさんの話。
『君が転校生の明智継人君かな?』
それは、今は遠い出会いの記憶。
『演劇部に入らない?』
騙されて入った部活。
一人舞台。二人きりの練習。
他に誰も居ない教室で、しかし彼女は良く笑った。
『ごめんね』
泣いた彼女を、抱きしめた。
初めてのキスは、涙の味がした。
『体育館のステージの時間、実行委員から盗ってきてやったぜい!』
四苦八苦しながら、作り上げた舞台。
ドレスを着て、スポットライトに照らされた彼女は美しく。
『一緒に来ないか?』
その言葉に、彼女は笑って頷いて。
『継人君』
幸せは、確かにそこに在って。
――なのに。
『何故だ、ニスイ!』
炎の中で、そう問うた自分に。
『バイバイ』
双眸から零れる、二つの雫。
泣きながら笑う彼女は、やはり美しくて。
彼女が、背を向ける。
『待て』
炎に巻かれて、消えていく。
『待ってくれ』
必死に、手を伸ばす。
届かぬと知りながら。
叶わぬと、悟りながら。
『ニスイ――!!』
◇
「――はっ!!」
継人は飛び起きた。息が荒い。寝汗か、脂汗か分からないものがびっしょりと全身に纏わり付き、ひどく不快だった。
見回すと、【チーム】の拠点として使っているマンションの一室だった。
どうやら、ソファでうたた寝をしてしまったらしい。瞼の裏にはまだ、夢の最後に見た、紅い光景の残滓が残っている。
時計を見ると、まだ昼過ぎだった。時まで【歪】んだこの世界では、1秒1秒の間隔は僅かにバラついているため、秒針が不規則に音を鳴らす。ずっとそうなのに、今はそれが嫌に耳につき、不愉快であった。
「くそ……シャワー、浴びるか」
◇
メンバーは出払っており、辺りに人の気配はない。
――紗麓と和は、今頃部活だろうか。
その思考は僅かに継人の頬を緩ませたが、刹那、脳裏にノイズのように誰かの笑みが浮かび、それもすぐに鈍い痛みに変わる。
継人は頭を振り、独りごちた。
「いかんな、こんなことでは」
気晴らしに外に出るか、と思い立ち、継人はマンションを後にした。
◇
住宅街は閑散としたものであったが、何となく人のいるところに居たかった継人は、商店街を目指して歩く。
到るところに、ポスターが貼ってあるのが目に付いた。横目で見てみると、桃源タワー――かつては、いや今もある意味では町の名物である、継人がいるところからでもよく見える、町の中央に位置する捻れた高層ビル――の特別展示室に、“斜陽”と名付けられた大きな宝石が期間限定で展示されているとのことであった。【歪み】のためか、何故か淡く発光しているのだという。
【怪盗】の居る町で、よくもまぁ、と思う。それに。
――【歪み】をありがたがるとはな。
犯罪者たちの厄介な【歪み】を相手にしてきた継人にしてみれば、理解し得ない感覚である。それでなくとも、人々も自らの【歪み】に苦しんでいるはずだ。
――だが人は、慣れる生き物でもある。
世界が【歪】んで数十年。
人は、慣れてしまったのだろうか。
自分も、この痛みに慣れてしまうのだろうか、と継人は無意識に胸元を握りしめた。
ふと、目線を上げた、その時。
継人ははっきりと、その姿を見た。
「っ――」
息を呑む。
いつの間にか辿り着いていた商店街の真ん中で、急に立ち止まった継人を、周囲の人は訝しみながら、追い越したり、すれ違ったりしていく。
だがそれらは継人の目には入らなかった。
瞳が、捉えて離さなかったから。
再びこの町に根を張ることとなった時、僅かでも夢想しなかったと言えば嘘になる。
スーパーの袋を下げた後ろ姿は、昔のままで。
見間違えるはずもなかった。
「ニ――」
思わず声を張り上げようとして。継人は躊躇った。
『バイバイ』
最後の言葉が、頭を過ぎった。
決別、したはずだ。
今更、なんて言えばいい。
俺は何を思っている。
言葉は、見つからなくて。
「――――!!」
ぼんやりと耳に響いたその音に我に返れば、彼女は雑踏に消えていた。
思考とは裏腹に、足がその背を追おうとして、継人は、後方で悲鳴が上がったことを、ようやく認識した。
切ない感じ、出てますでしょうか。ちょっと女々しすぎかな?




