scene15『二人の距離は』
今日はちょっと短いかも。
「心在くん!」
その日の部活を終え、部員たちがまだキャストについての談議で盛り上がっている中、人知れず帰ろうとしていたカケルは、廊下で後ろから呼び止められた。
無言で振り返ると、走ってきたのは旋律だった。
「あの、今日は来てくれてありがとう」
「お礼を言われることじゃない。行くと言ったし……それに、今日“は”、じゃない。だろ」
言外にこれからも部に出る意思を告げると、旋律は少しほっとしたようだった。
「うん……そうだね。その……、どうだった? 楽し……いかどうかは、今日だけじゃまだ、わかんないよね。で、でも、みんなちょっと変かもだけど、面白くて良い人たちだから……」
どうにも旋律は、カケルに必要以上に気を遣っているようだった。望んでいたこととはいえ、いざ主役に抜擢されると、何かと不安になるのだろう。自分ももう少し誠実に答えた方が良さそうだと思い、カケルは口を開いた。
「安心しろ。君に頼まれたからってだけで続ける気になったんじゃない。部活なんてやったことなかったけど……悪くない。そう思った」
「そっか……うん、そうなんだよ。こうやって、みんなでこれから文化祭まで頑張って行くんだ。私、普段の部活も好きだけど、やっぱり公演前の雰囲気が一番好き。みんなで一生懸命劇を作り上げていくって、なんだかみんなの元気を分けて貰えるみたいで、もちろんみんな真剣なんだけど、すごく楽しくて」
嬉しそうに語る旋律の様子に、本当に部活が、好きなんだなと思った。
そんな場に、どうして自分などを誘ってくれたのか。
そう言えば、まだ言っていなかったと思い付き、
「そうだ……主役、おめでとう。やりたかった役なんだろ」
なるべく優しく聞こえれば良いと思いながら、カケルはそう祝いの言葉をかけた。
「う、うん……ありがとう。でも……」
少し赤くなってはにかんだ旋律だが、すぐに顔を曇らせてしまう。
「また『私で本当に良いのか』とか言う気か」
その微妙な歯切れの悪さに、旋律の心中を察したカケルは少し呆れながら、言った。
「えっ……」
旋律が目を丸くする。どうやら図星のようだった。分かりやすいのは良いことなのかもしれないが、どうしてそれで演劇など出来るのか。
「監督が推薦して、皆がそれで良いと言ったんだ。君が一番良い、って。そうだろ」
「そ、そうかな……でもみんな、遠慮してくれたんじゃないかって……」
入ったばかりの自分ではなく、これまで一緒にやってきた仲間の判断だ。これ以上の後押しもないだろうに、旋律はまだ不安なようだった。いや、彼女もわかってはいるのだろう。ただ、自信がないから、理由を他人に求めるのだ。
「君が主役をやりたそうだから、譲ってあげよう。そんないい加減な理由で大事な主役を決めるような連中が、一生懸命に部活なんてやれるはずない。君が好きだっていう演劇部は、そんな馴れ合い程度のものなのか」
「え……」
カケルが早口で言った言葉に、旋律は驚いているようだった。
「僕は、そんな“お友達集団”に手を貸そうと思ったんじゃない。互いを信頼して、助け合いながら、それぞれが与えられた役割を一生懸命やる。そういう場所だと感じたから、手伝う気になったし、ここに“居たい”と思ったんだ。違うっていうなら、君が周りからもらった信頼をないがしろにするというなら、僕にも手伝う理由はない」
「心在くん……」
言い方が厳しすぎたと、言ってから後悔した。旋律の声が泣きそうになっているように聞こえて、カケルは慌てて目をそらし、言葉を探した。いつもは自分でも聞き取りにくいほどの低音域の声が、こういう時だけやけにはっきり聞こえるのに、舌打ちしたい気分だった。自分にとってもそうなら、相手には尚更だろう。
「いや、だから、つまり……君が一生懸命やる気なら、僕も出来るだけのことはする。そういう意味なんだけど……ごめん、言い過ぎた」
どもり、噛み噛みで、しかも尻すぼみだった。どうして自分はこうなのか……もっと上手く伝えられたら良いのにと、カケルは結局頭を下げた。旋律を傷つけてしまったかもしれないと思い、顔を見るのが怖かった。そういう卑怯さも、カケルを自己嫌悪に落としていた。
「謝らなくていいの。心在くんが言いたいこと、ちゃんと伝わってるよ」
旋律の声は、明るかった。
「ありがとう、心在くん。そうだよね、みんなが任せてくれるんだもの。私、頑張るよ」
目線を上げれば、照れたように赤くなって、頬を人差し指で掻いている旋律の笑顔があった。
旋律は、ぶっきらぼうな自分の言葉を、誤解せずに聞いてくれる。
「そうか……なら僕も裏方として、出来るだけ支えるよ。主役の、君を」
気づけばそう告げていて、カケルは自分に驚いた。
――柄じゃないんだけどな……。
なんという恥ずかしい台詞だろうか。キザったらしいことこの上ない。入ったばかりで、何が出来るかもわからないというのに。
旋律は驚いたのか、真っ赤になってしばらく固まってから、
「えへへ」
とはにかむように笑った。
「ありがとう……頼もしいよ。うん、一緒に頑張ろっ」
その晴れやかな笑顔を見れば、カケルは言った価値はあったな、と先ほどまでとは違う意味で自己嫌悪する――穴があったら入りたいタイプの――傍ら思った。
「でも、心在くんも役がもらえれば良かったのに」
残念そうに眉尻を落としながら旋律が言う。
「どうして」
「え? どうしてって……心在くんも一緒に舞台に立てたら嬉しいなーって、思って」
この娘は、どうしてそういうことを自然に言えるのか……。
「それは無理だ。僕の存在は先輩たちにとってイレギュラーだ」
「あ、だったら女良先輩に頼んで……」
「時期的にどうしようもないんだろ。役者が足りない訳じゃないんだ」
「う……」
「それに……僕には、演技は出来ない」
目立たない為の変装は出来ても――とは、さすがに言わなかった。しかし、“演技が出来ない”ということが紛れもない事実であるのも確かだった。
どんな役だったとしても、舞台上にいるからには“存在感”が必要だ。しかしカケルには、自分の役として出る限り、存在感など発揮出来ないだろう。
「そんなの、わからないよ。練習すれば、心在くんだって……」
声に抑揚がなく、表情に変化のない自分とこれだけ話した上で、まだそんなことが言えるとはと、カケルは呆れた。
あるいは、わかった上で、やはりみんなで、という思いが強いのかもしれない。純粋に裏方作業だけなのはカケルだけだ。あれだけ仲の良さそうな部活だ、旋律が演劇だけでなく、その雰囲気も好むなら、わからなくはない。自分が主役になったことに自信がまだないから、尚更その思いが強いのかもしれない。しかし、自分は所詮新参で、まだ外様なのだ。既に出来ているコミュニティに、あまり深入りすることは出来ない……否、したくないというのも、また本音だった。
手伝うとは決めたが、居たいとも思ったが……ここを【居場所】にすると決めた訳ではない。彼女が傷つくかもしれないので、それは言わないが。
「やめてくれ。人前に出るの、嫌いなんだ」
今度はなるべく素っ気なく聞こえるように、カケルは両の手のひらを見せた。苦手ではなく、嫌いなのだと言ってしまえば、これ以上旋律に反論の余地はないだろう。【歪み】を隠して、正論や建前や嘘でごまかす――嫌な奴だと自分でも思った。
◇
「心在くん……」
カケルの仕草にこれ以上何も言うなという“拒絶”を感じて、旋律は言葉を失った。
「そっか、わかった。でも……」
それでもまだ何か言おうとしてしまうのは、カケルの本心は別のところにあるように感じたからだ。だがそれを言うのは躊躇われた。隠しているのなら、きっとそこには彼が触れられたくないことがあるのだ。“それ”に触れてしまうのは……“一歩”としては、余りに大きすぎる。
自分を見つめる彼の黒い目は、それを望んでいないことを旋律に告げている気がした。
「ううん。裏方だって、役者以上に大事な仕事だから。頑張ってね、心在くん!」
なんとか笑ってそう言うと、カケルの目が一瞬悲しい色に染まったように見えた。が、それは瞬き一つの内に霧散し、
「君も、な」
そう呟くように言ってくれるカケルには、いつもの“無表情”があった。それに安心を感じる自分がいて、
「うん、一緒に頑張ろう!」
と、旋律は本心からそう言えた。
おー、と右手を挙げて見せると、カケルが笑ったような気がした。
まだまだ、距離は縮まらない。
読んでいただき感謝です。




