scene13『一歩ずつ』
本日5本目です。
「ありがとう、織目さん。心在君を誘えたの、織目さんのお陰だよ」
カケルの勧誘が終わって、昼休みも半分終わった頃、旋律と紗麓は昼食を摂るため食堂へとやってきていた。いつも通り混んでいたが、転入初日にして校内の有名人になった紗麓に席を譲ろうとする生徒は多く、旋律は入学して初めて人気のテラス席に座れた。おこぼれに預かる形で、少し肩身が狭いけれど。
旋律は日替わりのサラダセット、紗麓はハンバーグランチを頼んでいた。大人っぽい紗麓が展示されていた見本のハンバーグに目を輝かせ、意気揚々と注文する様子は子供っぽくて、旋律は意外に思うのと同時、微笑ましいと思った。食券を買わずにカウンターに並んでしまった紗麓を、一度慌てて連れ戻さなければならなかったが。
「ひはひまは、」
「織目さん、食べ物を口に入れたまま話しちゃだめだよ……」
「んむ」
旋律の指摘に紗麓は素直に頷き、もぐもぐとハンバーグの一切れを急いで咀嚼する。あまり行儀を気にするタイプではないようだ。
――かわいい。
紙パックのお茶をストローで吸う口元が綻ぶ。食券の件といい、旋律はなんだか紗麓の保護者になったような気分だった。
ごくりと飲み込んで、紗麓は元通りのキリっとした美顔になる。
「詩湧間は、あの男が好きなのか?」
旋律は飲んでいたお茶を噴き出しそうになった。
「げっほ、こほ、ち、違うよ?!」
噎せながら、ぶんぶんと首を振る。
「そうか……いや、私はそういうことには疎いんだが、先程アイツと話す時のお前の様子が、なご……都村先輩から貸りた本に出てきた主人公の少女が、好きな先輩に話しかけるシーンと似ていたのでな」
「……へ、へぇ。どんな内容なの?」
話題を逸らしたくて、聞いてみる。紗麓がどんな本を読むのかも、興味があった。
「うん? 確かヒロインは交通事故に遭いそうになったところを先輩に救われて、以来その人のことが気になっていたのだが、後日自分が所属している廃部寸前の部活の昔辞めた部員だったことが判明して、先輩に戻ってきてくれと頼」
「うわぁぁぁ!!」
真っ赤になって、旋律は紗麓の話を遮ろうとする。
しかし人の感情に疎い――空気が読めないともいう――紗麓のこと、
「なんだ、急に叫んだりして。で、その後先輩は過去の苦い思い出をヒロインの献身で克服し、部は再建され二人は恋に落ち、ハッピーエンドという感じだったな」
ご丁寧にオチまで語り続けた。
紗麓はネタバレなど気にしないのだ。和も何度かその被害に遭っていた。
「うぅ……」
紗麓の言うとおり、後半はともかく冒頭部分はほとんどまんまだった。自分が単純だということなのだろうかと、旋律は少し凹んだ。いやいや、それでは自分が彼のことを好きだということではないか。
旋律がぐるぐると思考をループさせている間にも、紗麓は言葉を続ける。
「今思えば、アレはつまらん話だったな。学園生活の参考にと渡されたものだったんだが、文体も話し言葉みたいだし、妙に奇抜な設定やらキャラやらとんでも展開ばかりで、毒にも薬にもならん内容だった」
紗麓が和に借りたのはいわゆるライトノベルだったが、推理小説や純文学すら穿った読み方をするので素直に楽しめない――その割に数は大量に読んでいる――紗麓には、ある意味敷居が高すぎたようだ。
「学園生活の参考に……あ、そっか。織目さんは学校、初めてなんだよね」
立ち直った旋律は、紗麓に聞いた。
「あぁ」
少し答えにくそうに、紗麓は頷いた。
「その……どう? 楽しい、かな?」
まだ二日目ではあるが、昨日から色々なことがあった。彼女はどう思っているのだろうと、旋律は尋ねた。
◇
旋律の問いに、紗麓は少し考えてから、答えた。
「ふむ……そうだな。まだ慣れない環境への戸惑いの方が大きい。部活も今日が初めてな訳だし、楽しいかどうかはまだ判断出来ないというのが、正直な所だ。あぁでも、お前とこうして話しているのは、楽しいぞ」
「え?」
「あ、いや……」
つい余計な事まで口走ってしまった。ふにゃ、と旋律の顔が緩む。
「えへへ……私も織目さんと居ると、楽しいよ」
照れながらそう言う旋律に、紗麓は戸惑った。
――私と居て、楽しい……?
旋律を疑う訳ではないが、紗麓にはそう言われるだけの自信が無かった。
「そんなことは……ないだろう。私は同世代の人間と話した経験がほとんど無いし、話し方も女子らしくない。つまらない人間だ」
どうも旋律に対しては自虐的なことを言ってしまう。
遠ざけたい訳ではない。他人に対し常に不信感を抱いている紗麓にとって、これほど話せた相手は旋律が初めてだった。ただ、人付き合いの苦手な紗麓は、いつか旋律を無神経な一言で傷つけてしまうかもしれないことが、怖いのだ。また、他人に心を開いてしまうことにも抵抗があった。
「そんなことないよ! 私、本当に嬉しいんだ。織目さんと知り合えて、こうして話せることが」
真面目な顔で旋律は言う。
「話し方だって、私は気にならないよ? 女良先輩みたいに男の子っぽく喋る人もいるし、女子高生らしい話し方なんて、決まってる訳じゃないもの」
「ふむ、そうなのか……」
「ね? こうして話は出来るし、話題だって、何だって良いんだよ。だから、そう難しく考えることはないよ」
「難しく――か。そうかもしれないな……」
どう考えても自分は集団生活に向いてないが――それでも社会との接点を作る努力まで放棄することはない、ということなのだろうか。
世界が【歪】み、生物として【歪】んでしまっていても――あるいは、だからこそ尚更――人は一人では生きられない、のだから。
「学校も部活も……まだこれから、ということか。うん、そうだな……自信はないが、やれるだけやってみよう」
「その意気だよ!」
にっこり笑う旋律を見ていると、自分の不安が溶けていく。その感覚を不思議に思いながらも、紗麓は思った。
――彼女なら、良いかもしれない。
決意し、口を開こうとして――しかし、喉の奥で言葉は怯え、食道に重苦しい不快感がこみ上げてくる。だが、飴は後で良い。この不安は、今必要なものだから。覚悟が喉につかえていたその言葉を押しだし、紗麓はついにその言葉を発した。
「詩涌間――私の、練習相手になってくれないか」
「え?」
「会話の……というか、学校生活の、ということなんだが」
必要な時に、自分が求めた時に、そこに居てほしい。それは、自分の都合に付き合わせるということ。自分勝手で、自己中心的な、我が儘以下の願望――だが、今の紗麓にはそんな存在が必要だった。何より――旋律なら、自分を変えてくれるかも知れないと、昨日からの出来事が予感させるのだ。
だが、旋律の答えは紗麓の予想とは違ったものになった。
「織目さん――それは練習相手じゃなくて、友達っていうんだよ」
年頃の女子らしい、柔らかな笑みで、旋律はそう言う。
「友達……」
言いかけた、欲しかったその言葉はありふれていて――しかし、紗麓には新鮮な響きだ。
「私も……さっきから偉そうに言っちゃってるけど、人と話すの、本当はあまり得意じゃないんだ。だから、練習相手にはならないと思う。でも、友達になら、なれる……ううん、私の方が、織目さんと友達になりたいの……ダメかな?」
それが、旋律の答えだった。真摯な言葉が、紗麓の心に沁みわたる。あまりに意外な言葉すぎて、飲み込むのに時間がかかったが、
「是非もない。お前がそういってくれるなら、その方が良い」
考えるより先に、口が勝手にそう答えていた。本当ならば、紗麓の立場からすれば学校の人間とは一定の距離を置いておかなければならないし、対人能力に不安のある自分が、友達なんて作って良いはずがないと、頭では考えていた。しかし、昨夜の継人との会話、そして、他でもない旋律に、自分を変えてくれるかもしれない存在に、友達になりたいと言われ――紗麓は、嬉しかった。そしてそれは、理性などで押しとどめることの出来るものではなかった。
「ホント!? 良かった……」
紗麓の答えに、旋律はほっとしたようだった。それを見て、紗麓は聞いてみる。
「不安――だったのか、お前も」
――私と同じように。
「それはそうだよ。誰かとの距離を近づけようと思って、一歩を踏み出すのは、すごく勇気がいるもの」
困ったように、少しだけ眉尻を落として、旋律はそう言った。
「そうか……私だけじゃ、ないんだな」
「私はとくに臆病だけど……誰だって、多かれ少なかれ、そうなんだと思うな。みんな、誰かに向かって踏み出す最初の一歩は、きっと怖いんじゃないかって思う。人によって、その一歩が大股だったり、ほんのつま先だけだったり、そのままどんどん踏み込んでいける人もいれば、そのまま止まっちゃったり、逆に下がっちゃう人もいるけれど」
「私は、一歩踏み出せたのかな」
「織目さん。私がいま、一歩を踏み出せたのは、織目さんが先に一歩私の方に踏み出して来てくれたからだよ」
「そうなのか?」
「そうだよ。だから、次の一歩は私から」
「?」
首を傾げる紗麓に対し、旋律は少し息を吸って――右手を差し出し、
「改めてよろしくね――紗麓」
と。照れ隠しなのか、少しおどけたようにそう言った。人間関係に疎い紗麓でも、それが何を意味しているのかは、分かった。
「あ、あぁ。こちらこそよろしく頼む。その……旋律」
昨日と同じく、昨日とは違う握手を、昨日よりも近くなった二人はテーブル越しに交わした。
「友達、か。初めて出来たよ」
紗麓は照れたように頬をかいた。
「そうなんだ。じゃあ私が、紗麓の友達第一号だね。えへへ」
そうやって嬉しそうに笑う旋律を見ていると、不思議と紗麓も嬉しくなってくる。
ただ――自分が何者であり、そのことについて彼女に嘘をついているということを、忘れてはならない。
紗麓は自戒の意味を込めて、棒付きのハッカキャンディーを口にくわえた。戒めのはずなのに、いつもよりそれは甘く感じられた。
◇
「さて、そろそろ始業だな。教室に戻ろう」
「うん」
流しにトレイを返し、紗麓と二人で歩く。
友達になった――とは言え、紗麓はまだ自分に完全には心を開いてはいないのだろうと、旋律は感じていた。
時間を共有していないこともあるだろうが、それ以外にも何かある気がする。例えば、【歪み】のこと――和の説明はあったが、元々【歪み】とは言葉で説明出来るようなものではないし、他人が理解出来るものではない。だからきっと、本当は違うのだろう。それから、彼女自身の生い立ちのことも。和の話は説得力があり、昨日は納得したが、やはりどこか違和感があった。真実が【歪められて】いるというか……よく出来た作り話のように、旋律には感じられたのだ。
――でも、それはきっと必要なことだっただろうから。
口には出さないが、きっと紗麓は人付き合いが怖いのだ。不安になると体調が悪くなるという【歪み】が本当であれ嘘であれ、少なくとも集団に慣れていないことだけは確かなのだろう。彼女は、他人と一緒にいて心休まる時がないのだろう。勝手な推測ではあるが、あながち間違ってもいないという妙な確信が旋律にはあった。
――だってそれは、私のことだから。
それでも、紗麓は自分と友達になってくれた。そうなりたいと思った自分の気持ちは本物だ。そしてそれを受け入れてくれたということは、自分の推測が的を射ていようが外れていようが、紗麓が自分に期待してくれたということ。
――いつか、何でも話せる仲になれたら良いな。
「ねぇ、紗麓」
だから、一歩ずつ、だ。
「部活、一緒に行こう? 放課後になったら迎えに行くから」
「……視聴覚室の場所は覚えたぞ」
「あはは、案内じゃなくて。次の一歩、だよ」
こういうことは、解説するのも恥ずかしい類のものではあるが……それを理由に躊躇していては、彼女との距離は縮まらないのだろう。
「ん……そ、そうか。なら……、待っているよ」
紗麓は嬉しそうに、そう応えてくれた。
友達になる。たったそれだけのことが、彼女たちにとっては一大事。そんな雰囲気を感じていただけたらと思います。
彼女たちの関係が一歩進んだところで、今日の投稿は終わりたいと思います。
「ここが……」はお休み。




