第4章
武勇伝、第4章。
14日、ホワイトデイ。昨夜から続く腹痛は、間違い無く神経性である。バンドやってた頃のライブでも、僕が腹を下すことなんて無かった。だってそれらは僕が居るべき場所で、行うべき事をやってきただけだから。今日の僕は、誰にも招かれちゃいない。おそらく誰にも望まれちゃいない。
しかし、やるぜ俺は。もう決めたことだから。これは前日のことだけども、Nさんに雰囲気が結構似ている、僕の職場のMさんという清掃スタッフの女性に計画を話してみたのだ。
「Mさんはこの計画、成功率どのくらいだと思いますか」
「まあ…3割くらいですかね」
「よっしゃイチロー並みやんけ。やったらあ」
「じゃあ1割にしときます」
「ちょっ」
1割だってゼロじゃないんでね。分の悪い賭けは嫌いじゃない。とりあえず、プレゼントに添えたメッセージカードを確認しよう。これ何度目の確認だ。大丈夫、ゴディバの缶にセロハンテープで接着の上、リボンを掛けてある。
冷たい雨と風の中、僕は傘をさして歩きだした。体が震えるのは寒いから。大丈夫。しかし本当にやるのか。まあ大丈夫大丈夫大丈夫。とんでもねえな。大丈夫大丈夫。意味の無い言葉が口からぼろぼろ零れ続ける。5分かからないはずの道のりが、長い。
郵便局の前。駐車場に1台、客らしき車が停まっている。客が途切れる瞬間を狙おう。こんな雨だし、チャンスは来るはずだ。僕は入口手前の、中からは死角になる脇に立ち、冷たい手で携帯電話を取り出し、意味の無い操作を続けた。
数分が経過。うん。増えてきたね、人。こんな雨の中でも客は来るし、そもそも郵便局というのは客1人にかかる時間がやたら長い。入っていく人ばかりでなかなか出てこない。あかん。寒いしお腹痛い。
よし、中にNさんが居るか確認しよう。僕はATM前に突入、傘を畳む。あれ、姿が見えない。ひょっとして今日、休み?男性局員にさんざん教えてもらいながら振込すら出来ないおじいちゃんの後ろに並ぶ振りをしつつ、僕の望みは砕けつつあった。やっとATM空いたので、とりあえず残高照会。
再び傘を持って局の外へ、携帯電話を開く。どうする?いやマジで終わってるんじゃないかこれ。年長の女性局員がATM前の掲示板まで歩いてくるのが見え、僕は逃げるように局を少し離れた。その時気付いたのだけども、僕の立っていた頭上に思いっきり監視カメラが設置してある。あかん。心折れた。帰ろう。
家に着いた。午前11時30分。暖房をつけ、鞄を置き、便所にこもり、出てきてテレビの前に寝転んだ。今日の仕事は午後2時開始。まだ時間もあるし、スプラトゥーンをしよう。任天堂のテレビゲームである。これはオンラインの対戦ゲームで、僕は「ウデマエ」Sであり、かなり上級者なのだ。
ぼんやりしながら画面を眺め、手を動かす。相手を倒す。何てことはない、勝っていく。負ける試合もある。所詮ゲームだ。しかし、小さい頃に遊んでいたゲームと違うのは、画面の向こうに人がいるという点。現代とは凄いもので、どこに居ても何をしていても、必ず誰かと関わることになるらしい。今、僕が倒したのは、世界のどこかに実在する人。今、僕が軽やかにもぎ取った1勝は、向こうに居る誰かが、どうしても欲しかったかも知れない1勝。その辺で僕は思い出した。
ここは現実だ。
僕はスプラトゥーンを止め、音楽プレイヤー付属の時計を見た。13時。スリープ状態で放置してあったパソコンを起動、郵便局を検索。手元にあった適当な紙に情報をメモした。
「キッズ・リターン」という映画があって、僕の弟がそれをえらく気に入っているのだけど、こんな台詞がある。
「俺たち、もう終わっちゃったのかな」
「バカ野郎。まだ始まっちゃいねえよ」
まだ間に合う。ただもう、ひとつ間違えることも、ひと時の逡巡も許されないが。
さっきと同じ道を、今度は早足で駆ける。雨は上がりかけていた。これは分の悪い賭けだ、さっきまではそう思っていたが、僕は間違っていた。この行動が賭けだとして、最悪の結果とは何か?Nさんの心に届かないことだ。そして行動を起こさなかった場合、結果はその最悪と同じ。つまりこれは分が悪いどころか、どう転んでも負けの無いイカサマ博打なのである。
そして、誰にも招かれちゃいない、望まれちゃいないという認識も間違いだったと言える。道を外れる必要なんて無かった。自動ドアが開く。僕はATMを見ることなく、局内をうかがうこともなく、真っ直ぐに受付へと進んだ。
郵便窓口に並ぶ。静かで、しかしちらほら客の居る、いつもの笠上郵便局。Nさんは僕が並ぶ右端の列から最も遠い左端、郵便貯金の窓口で仕事をしていた。道理で外から見えないわけだ。同じ空気の中に居られる幸せを感じて、僕は自然と笑顔になれた。
「H様、こちらでお伺いいたします」隣の窓口から、小動物系お姉さんが僕に声をかけてくれた。なぜ1週間前に一度しか応対していない客の名前を覚えているのか?僕は知っている。それは、僕だから。
環境は理想的。大事な第一声を、僕は上手くやれると確信していた。
「すみません。郵送をお願いしたいんですが、今まで送ったことの無い宛先ですので。送料は幾らになるかと思いまして」
「送ったことの無い宛先…離島などでしょうか?それで、お荷物はどのくらいの大きさでしょう」
「荷物は…これなんです」僕は鞄をカウンターに置き、ゴディバの紙袋を取り出した。笑顔のままでいられたし、こうして踏み出せた心からの嬉しさが、僕の顔に表れていたと思う。
「おお…ゴディバ、ですね」
「それで、送り先が、これです」続けてポケットからさっきのメモを抜き出し、広げて見せた。
〒×××-××××
笠上×丁目××-× 笠上郵便局
N様
品名 ホワイトデイのお菓子
そう。僕は臆病者で、今まで何度も何度も、やりたかったことを中途で諦めてきた人間だ。伝えたいことの宛先を見失い、たどり着けないまま、胸にしまってきたバカ野郎だ。でも今、この時は違う。ここからは僕の努力じゃない。
郵便局なんだから、郵便屋さんに届けてもらえばいいんだ。
(まにあった!
このまま 帰ったんじゃ
かっこわるいまま
れきしに のこっちまうからな!)
「えー、草津、ですね。郵送…これでしたらえー、400円でいけます。ゆ郵送ですね?Nですね、はいあの400円で」お姉さんは渡されたメモを五度見くらいしながらゴディバの重量を測定、料金を計算してくれた。
我が国、日本。なぜかここでは、客のほうが立場が上だというような共通認識がある。商取引に上も下も無いと個人的には思っているが。そして僕は今、客。支払う側。だからこその安心感。僕の心は加速する。
「ではこちらに、宛名とH様のご住所、お名前を、Nに書いてあげていただけますか」
「はい」僕は渡されたサインペンを手にしながら、急に思い出したように声を発した。
「あ、それと、もうひとつ。こっちの荷物は、ここに」カウンターに置いた鞄から、さらに大きな直方体を取り出し、お姉さんから返ってきていたメモをゆっくり裏返して、再び渡す。
住所 同上
笠上郵便局 御中
「こっちのお菓子は、皆さんに」僕は笑顔。
「はい?え?え、あ…あの私共、あのH様に何かして差し上げた記憶は…ございませんけれども」
「それはもう、お世話になっておりますので。あと、お騒がせするかと思いましたので」僕は鉄の笑顔。
「そうですね、えーではこちらもあの…郵送で?」
「郵送でいきましょうか。ルールに則り」
ついにお姉さんの脳の処理能力を超えたらしい。耳まで真っ赤になって異様に瞬きを繰り返している。こういう反応、出来たらNさんにしてほしかったな。僕は少し残念な気がした。
「そう…ですね、あの、えー…ちょ、ちょっと局長に確認してまいります」お姉さんは俯いたまま奥のデスクへ走って行った。
離れたところで仕事をしていたNさんは、先輩の動揺を横目でかなり気にしている。こんなこと頻繁にあったもんじゃないだろう。しかし客は僕を含めて皆、平静だ。だって何も特別なことは無く、僕は郵送を依頼しているだけなんだから。
さあ、局長まで巻き込む事態になったぜ。
僕は恋愛であれ結婚であれ、二人だけのものではないと考えている。だから僕が本当にNさんを愛するというなら、Nさんだけでなく、周囲の人たちまでも笑顔でいっぱいにする必要があるのだ。人はひとり善がりでも、ふたり善がりでもいけない。そんな二人が続きはしないことを、僕は過去に学んできた。だから局の皆さんにもプレゼントを準備しておいたのだ。
しかし、その信念のおかげで、小動物系お姉さんは個人的な贈り物として処理しようとした郵便物が、局全体を相手取っての一大事へと昇華してしまった。笑顔のままサインペンで宛名を書く僕の、手だけは正直に緊張を表していた。丁寧に書いているつもりが、母に宛てた封筒の時にも増してぐちゃぐちゃに乱れている。
当のNさんは僕から少し離れた周辺をおろおろしていたが、微妙な距離を踏み込めないせいで僕の手元の宛名も読めないし、先輩が動揺している理由もわからない。場の空気を察しきれず首を傾げているのが、とっても可愛い。
僕の手が少し落ち着きを取り戻して、ゴディバの宛名を書き終えた頃、お姉さんが戻ってきた。
「大変お待たせいたしました。局長のほうもえー、あの、そのお世話になっているということでしたら、ということで、あの受け取らせていただきます、と」
「そうですか。良かった」
「ではこちらもあの、400円ということで、よろしいでしょうか。それで、こちらにも宛名を…」
「わかりました」Nさんが居る世界に生きている人たち。その皆さんにまで幸せを届けられて嬉しいなあ。もはや僕の笑顔は貼り付いたように維持されていた。
その時「でぁーす」と、正に業者の挨拶というに相応しい声が局内に軽く反響し、すらりとした年配の男性配達員が入ってきた。郵便物の集荷に来たようだ。僕はその声を聞き、何気なく顔を見た。目が合った。
「おおお。おあす」大きく驚いた後で、僕に頭を下げた男性。
「ああ、おつかれさまです」僕は笑顔のまま、ゆっくり挨拶を返したのだが、心は衝撃で飛び跳ねていた。僕は知っている。この人はKさん。ということは。
この人も、僕を知っている。
Kさんは同僚である。というのも彼は掛持ちで働いており、毎日僕の職場にて早朝の清掃業務を終えてから制服に着替え、郵便局へと出勤しているのだ。その事実は知っていた。しかし、このタイミングで出くわすことなど予想していない。誰がそれを読めるというのか。
いつものように愛想の良い笑顔で僕に挨拶をした後、Kさんが局の奥へ歩きかけた時、Nさんが弾んだ。決定的な手掛かりを掴んだ名探偵、コナン君の如く夢中でKさんへ走っていき、呼び止めたのが見えたのだ。ひょっとしてNさん、業務中なのを忘れてるのかも知れない。
「あの人、お知り合いなんですかっ」
「ああ、僕のもうひとつの職場で…」
というような会話をしているものと思われる。少し距離があるのでよく聞こえないが。僕にはKさんの飄々とした笑顔だけが少し見えていた。話すKさんの周囲に局員が集まり始める。まあ、こんな時点でいきなり素性がばれるとはね。もう少しの間、Nさんにとって謎に包まれた、いちファンでいたかったぜ。千円札を出していた僕に、ようやく釣銭200円が返ってきた。
「それでは、よろしくお願いいたします」
僕は苦境でも絶対に表情を崩さない主役を演じる堺雅人のように、笑顔のまま、お姉さんと局全体にゆっくりと一礼。背筋を伸ばし、確かな足どりで、局を後にした。
外の空気。一息ついて携帯電話をポケットから出し、時刻を確認。1時41分。やべえ。仕事だ。ボスを待たせちゃいけねえ。僕は走りだした。雨は完全に上がっていた。




