四幕六場 「見てるだけって、楽」
「いいのか、あれ」
「大丈夫です。外に出すにあたって活動制限はかけています」
「あ、あれは、さっき下にいたパ、パンズ?」
「パズスだ。古代の邪神だよ。199階層の階層主だ」
「だ、大丈夫なんですか!? そんなのが外に出て―――」
「外の兵士には傷一つ付けないように申し付けてあります」
エラはそう言っているが、画面越しからでも伝わるパズスの迫力からは、とてもそんなようには見えない。
「まあまあリホはん、あれがなにか我が主のいいつけに背くような真似しよったら、わてがガツーンっと一発どついたるさかい、安心して見ときなはれや」
D・Jの、というかエラの実力がまだ分からない現状では、そう言われてもなんとも受け入れにくいが、落ち着いたエラの様子を見ているうちに、リホもだんだん落ち着きを取り戻していった。
「ほら、兵士共が逃げ出し始めたぞ」
画面の中ではグランマルスの兵士達が我先に転送術式の中へ飛び込んでいく様子が映っている。
「これで思惑通りでんな、我が主」
エラはD・Jの問いかけには答えずに、少し得意そうな笑みを浮かべてお茶を口にした。
駐屯地は大混乱に陥った。
「に、逃げろ~~~~!!」
「助けてくれぇ~~~!!」
「ど、どけぇえええ、俺が先だ!!」
「お前こそ邪魔だ!」
「おお、神よ、我らを救い給え……」
目の前に顕現したパズスの姿を見た兵士達は、恐怖のあまり泣き出すもの、失神するもの、泡を食って逃げ出すもの、神に祈り出すものと、全く統制のとれない状況となった。
「な、何をしている!? じ、陣形、陣形を張らんか!」
自らも恐怖で震えながら必死に部隊を立て直そうとする部隊長だったが、パズスの直視を受けてしまい恐怖のあまりおかしくなってしまった。
「あははははは、あははははははははっ」
ケタケタと涎を流しながら笑い続ける部隊長を余所に、兵士達は次々に転送門へ飛び込んでいく。
門へ飛び込む際も大渋滞が起きあちこちで踏みつけられる者が続出していたが、この分だと出口であるグランマルス本国側ではもっと酷い混乱になっているだろう。
それでも兵士達は争ってこの場から逃れようとしていた。
それほど目の前にいる存在が恐ろしかったのだった。
クルミは天幕の外に出た瞬間、どうしようもないほどの震えが走った。
ちらっと見た塔の前のそれは、どう見ても普通の存在ではない。
あれに比べれば、岩人形などかわいく見えてしまうほどの、圧倒的な魔力と恐怖だった。
「とにかく、逃げなきゃ」
そう言ってクルミはコマリやユーリのいる天幕へと走った。
リホが与えた謎の薬によって蘇生したコマリは、野営地に戻るころにはすっかり元の調子を取り戻していたが、ユーリは一人では満足に歩けない状態だった。
それにザンス卿とエリのこともある。
二人とも拘束状態でそれぞれ別々に監視されていたが、この騒動でどうなっているか分からなかった。
クルミはひとまずコマリ達のほうへ向かった。
「コマリ、大丈夫!?」
天幕に飛び込んだクルミはそこにちょこんと座っているコマリを見てほっと胸をなでおろした。
「大丈夫、だけど、大丈夫、じゃない」
よく見ると椅子に腰かけているコマリの膝がカクカクと震えている。
「なに、これ? めっちゃ怖いんだけど~?」
戦闘に関して恐怖を覚えたことなどなかったコマリが、初めてと言っていいほどの怖さを感じている。
「とにかく逃げましょう。ユーリ、貴方は立てる?」
クルミはベッドに横座りしているユーリを振り向く。
「あ、ああ。何とか立てるけど……、あれから逃げられる気がしないよ」
「何言っているのよ。せっかく拾った命でしょ。ここで生き延びなかったら台無しじゃない」
クルミは強引にユーリを立たせ、コマリと両側から支えて天幕を出た。
外はまだ混乱が続いているが、すでにかなりの兵士が逃げ出した後なのか、辺りを走り回る兵士の数はだいぶ少なくなってきていた。
「行くわよ」
「ちょっと待ってクルミちゃん、ザンスとエリはど~するの?」
クルミは眉をしかめて一瞬考えたが、やがて諦めたように言った。
「あの人達のことは今は放っておきましょう。自力で逃げられればそれでよし、逃げられなければ……、どのみち本国へ戻っても厳しい沙汰が待っているのだから、どっちが幸せか分からないわ」
貴族であるザンスはまだしも、光の最高神サラディンの神官の身で闇の女王ヘルミークの呪いを発動させたエリは、下手をすれば処刑の道しかないかもしれない。
それならばせめてここで魔神の犠牲になったことにすれば、神官としての面目も立つかもしれない。
「エリちゃん……」
コマリが寂しそうに呟くが、クルミはそれを振り切った。
「さあ、私達も逃げましょう!」
クルミ達は兵士達と一緒に転送門へ辿り着いた。
(私の出世も全部おじゃんになっちゃったわね。まあいいわ。これだけの目にあって命が残ったんだもの。それだけでも儲けものだと考えよう)
クルミは一瞬塔を見上げる形で目をやった。
天を突き抜ける塔の威容は、ここへ来た時と何も変わらなかった。
クルミはその姿を目に焼き付けて、転送門へ飛び込んでいった。
「何をしておる? お前は逃げんのか!?」
天幕を覗き込んだザンスに向かって、エリは光のない瞳で見つめ返した。
「儂はこんなところで死ぬわけにはいかん。この隙に本国へ戻って身を隠す。お前も」
ザンスはエリの縛られている縄を切った。
「どこへでも逃げればいいだろう。ここにいても死ぬだけだ。生きていればまたお前の希望が叶う時がくるかもしれん。生きていてこそだと儂は思うがな」
そう言うとザンスは天幕を出ていった。
残されたエリはそのまま一人で座り続けた。
(生きていれば……また私の希望が叶うの………? 私の希望………私の………ユーリ様)
エリの瞳にわずかに光が戻ってきた。
(生きていればまたユーリ様に会える? またユーリ様のお役に立つことができる? それならば)
フラフラとエリは立ち上がった。
その目はもはやどこも見ておらず、ただ一心にユーリの姿を思い描いていた。
(ユーリ様、私が参ります………かならず、おそばに)
天幕の外へ出たエリは、よろめく脚で、それでも自分の脚で転送門の方へ向かって歩いて行った。
「み~んな、いなくなったようでんな。我が主、これからどないしはります?」
「転送術式を破壊する」
「よっしゃ、ほないっちょやったろやないか」
エラに掴まれたD・Jが気合の入った声を出す。
「ご主人様、ちょっと出てまいります」
「ああ、任せた」
エラは軽く頭を下げると一瞬で姿を消した。
「転送術式を消すって、エラさん何をするんですか?」
「見てれば分かる」
師匠につられてリホも画面を覗き込んだ。
そこにはパズスに代わってエラが映し出されている。
エラはゆっくりと転送術式のもとへ歩み寄り、その前でD・Jを抜き放った。
画面の中のエラが構えると、D・Jが光り始めた。
眩い光のために一瞬画面が真っ白になるが、すぐに明るさ調整が入ったのかエラの姿が見えるようになった。
構えをとったエラがD・Jを高く掲げると、D・Jの輝きが一段と増していく。
そしてエラがD・Jを転送術式が発動している地面に突き刺した。
その瞬間術式から光の柱が立ち上り、画面がまた真っ白になってしまった。
しばらくして元に戻ると、そこには黒くくりぬかれた穴がぽっかりと開いていて。転送術式はもちろん術式を発動するための杭すらどこにも見当たらなかった。
「終わりました」
突然エラが部屋に戻ってきたのでリホは驚いたが、エラの様子はまるでいつも通りの雰囲気だった。
「術式の因果まで断ち切ったので、再利用されることはもうないでしょう」
「それなら一安心だな」
「わてが本気出せばこの程度のことはちょちょいのちょいでっせ。ほんまは向こう側の術式まで破壊できればよかったんやけど」
「それだと向こうで死人が出る」
「そうでっか? 我が主がそういうんなら、今回はこんなもんで勘弁してやりまひょ。まったく運がよろしかったでんな~、グランマルスの連中は」
「さてと、グランマルスの連中もいなくなったことだし」
師匠がくるっとリホの方を向いた。
「お前どうするんだ、試練のほうは」




