一幕二場 「悪魔が来りて……」
リホはかつて魔導卿に言われた言葉を思い返していた。
『諦めてください』
ここに誰か訪問者がやってきた時に、魔導卿ではなくリホが出会ってしまった時のことを、魔導卿はそう言っていた。
今ならそれが正しいことが分かる。
いや、分かりすぎる。
どうみても今自分の前にいる存在は、自分が相対していい存在じゃない。
リホはそれでも“師匠”やナナから教わったこととして、相手に対して構えを解くことはできなかった。
「お嬢ちゃん、聞こえなかったのかい?」
男は表情を変えずにリホに問いかける。
「それとも、あれか? 俺と“語り”合おうっていう気かい?」
男はさらに表情を緩ませた。ただしそれは友好的な笑みではなく、むしろ獰猛な笑みだった。
「その心意気はいいねえ~。たとえ瞬殺されるとわかっていても、そうやって挑んでくる奴にゃ、敬意を表するよ」
男からさらに魔力が吹き上がる。リホはもう直視ができなかった。
「だったら、俺も全力で応えてやろ…」
そう言いかけた瞬間、男が中庭の奥へ吹き飛んでいった。
何が起きたのかわからなかったリホの目に、突きの構えのまま正面を見据えているナナの姿が映った。
「いきなりやってきて人の妹弟子を脅してくれるなんて、ずいぶんなことしてくれたねぇ~」
リホはまたも凄まじい魔力に押されて、腕で顔を覆う羽目になった。ただし今度はナナの魔力だ。
ナナの周りに炎のように噴き出る魔力が立ち上っている。
(あ、あれ? ナナさん怒ってる?)
魔導卿との絡みの中でたま~に、ナナが軽く本気で怒る時があった。その時も今ほどではないがちょこっと魔力が噴き出ていたのをリホは思い出した。
「やれやれ、突然押しかけてくる方も方ですが、迎え撃つ方も大概ですねぇ」
リホが振り向くといつの間にか魔導卿が来ていた。
すると中庭の奥からまたも魔力が吹き上がり、ナナのと併せて中庭じゅうがとんでもないことになった。
「ここで暴れられると面倒ですから、外でやってください」
魔導卿が指を掲げると、ナナの足元に術式が浮かび上がり、ナナの姿が消えていった。
すぐに上空で何かが激突する轟音が何度も響き渡る。
いつの間にか元通りに修復されていたテーブルセットに魔導卿は腰を掛け、リホを手招いた。
「ここから眺めているのがいいでしょう」
魔導卿は懐から大きな水晶球を取り出すと、そこに上空で激しく戦っている2人の様子を映し出した。
リホも椅子に座ってその様子を覗き込んだ。
水晶球の中の2人は凄まじい肉弾戦を繰り広げている。
男はとにかく剛腕に任せて拳を叩きつけているが、ナナはそれをきれいに捌きその力を無効化することで隙を作らない。
力対技の対決のように見える2人のやり取りは、ナナが一瞬の隙をついて男に背面からの体当たりをかまし、男が地面へ吹き飛ばされたことで終わったかに見えた。
「おやおや、竜王はナナ殿にも負けてしまいましたか…」
「竜王?」
「ええ、あの男は竜族を束ねる王です」
またとんでもないことをさらりと言ってくる。
リホも竜王という言葉自体は聞いたことがあったが、実在するとは考えてもいなかった。
人間からすればはるか高みに存在する、地上に生きるものの頂点の生物、竜族。
その王が今目の前で戦っている。
というか、ナナに吹き飛ばされている!
「あのう、魔導卿? そういえばわたし、ちゃんと訊いたことなかったんですけど、ナナさんって、何者なんですか?」
「………とっくにどこかで伺っていたと思っていましたがねぇ」
魔導卿はお茶を飲みながら答える。この人(人?)いつでもお茶飲むなぁ、とリホは内心感心した。
「ナナは元悪魔族です」
「………はぁ?」
「悪魔族だったのですが、マスターからあなたも習っている『気』の扱いを学んだことで、悪魔族を超越した存在に昇華しました」
「……なにを言ってるんですか?」
「詳しいことはマスターにお尋ねください。私も専門外ですので」
魔導卿は澄ましているが、中々にとんでもない話だった。
悪魔族。
神々に敵対するものとしてどの種族でも禁忌とされている存在。
詳しいことはわかっていないが、この世界を巡って神々と対立しているため、これを呼び出すことは神の怒りに触れるらしい。
「ナナさんが悪魔族って……、なんで、どうやって?」
「昔召喚術式の開発をしているときに偶然悪魔族用の術式ができたのですよ。その時に召喚されたのがナナ殿です」
「魔導卿が呼び出したんですか!?」
またもや爆弾発言だった。
神々の怒りに触れる悪魔族の召喚行為。それを目の前のリッチロードが行っていたとは……。
当の本人は何も気にしていないようだが。
「おや、終わったようですね」
魔導卿の水晶球には、崩れた地面の中から出てきた竜王の姿が映っている。
声は聞こえないが、何かナナに声をかけていて、何故だが大笑いしているようだ。
やがて2人の姿が水晶球から消えると、すでに中庭に降り立っていた。
「まったく、次に同じことをしたら今度はもっと痛い目に遭わせてやることになるからねぇ~」
「次はこっちも本気でやらしてもらうからなぁ」
「あらぁ、負け惜しみ~? そういうの一番カッコ悪いのよぉ~?」
「ルズ殿に続いて2人目の敗北ですね。そろそろ『最強生物』の看板を下ろしてはどうですか?」
テーブルを囲んでナナ、竜王、魔導卿が仲良く(?)お茶を飲んでいる。
(なにこれ、どういう状況なの?)
3人のあまりの通常運転ぶりに、リホはまるで追い付いていけなかった。
さっきまであんなにバッキバキにやりあっていたのに……。
「いや、『生物最強』は譲れねぇ。だいたいお前、生物じゃないだろうが?」
「しつれいねぇ~、あたしだって広い意味でいえば『生き物』よ~?」
「まぁ、ナナ殿を『生き物』として扱うかどうかはまた議論が分かれるところではありますねぇ」
「あんたみたいな骸骨が服着てしゃべってるだけの奴に言われたくないわ~」
「プッ、骸骨が服着てしゃべってるだけって……」
「うるさいですねぇ、この負け犬ならぬ負けトカゲは。また永久氷床に封印されたいですか?」
「あれは勘弁してくれ。寒いのだけはどうにもかなわん」
「えっ、魔導卿も勝ってるんですか?」
リホは驚いた。
「ええ、勝つというか、勝負にすらなりませんでしたが」
「あれは勝ち負けのカウントに入ってねぇ。それに、お前こそ『生き物』じゃねえじゃねえか」
このひと、やけに『生物最強』に拘っているなぁ。
「……竜王さんは最強がいいんですか?」
竜王は「はぁ?」という顔でリホを一瞥する。
「当たり前だろう? 我はすべての生き物の頂点に君臨する竜族の王、だから『生物最強』なのだ!」
「でもさっき、だれかに負けたって……」
「あぁ、あれはノーカンだ。あいつこそ普通の生き物の範囲からはみ出している」
「そんなことはありませんよ。貴方はそうやってどんどん自分の都合のいいように解釈を捻じ曲げていけばいくほど、最強から遠ざかっていくのですよ?」
「ぐぬぬぬぬ……」
魔導卿にやりこめられて竜王はぐうの音も出なかった。
ナナはそんな竜王の様子を眺めて悦に入っている。
「ところで、貴方は何をしにここへ来たのですか? まさか暴れにきただけではないでしょう?」
魔導卿が2杯目のお茶を飲みながら竜王に尋ねた。
「おう、それだそれだ。お前らの主はどこだ?」
「さて、そういえばマスターはおいでになりませんね。いらっしゃらないのかもしれません」
「こういう時我が主は気配がしないから困るのよねぇ~」
あ、やっぱり気配がしないんだ。リホは自分だけが“師匠”の気配がつかめなかったのではないと分かって少し安心した。
これまでの修業の中で、“師匠”に何度も背後を取られたことがあった。
そのたびに“師匠”から「鍛錬が足りない」と言われていたのだが、ナナにも気配が探れないというのであれば話は別だ。
「いないのか……。じゃあ、しょうがないな。お前らに伝えておくか」
お茶を飲みほした竜王が切り出した。
「南にある『あやかしの森』で異変が起きているそうだ」
「異変ですか」
「ああ。近くの空を飛んでいた若い連中が森に差し掛かった途端に突然いなくなったらしい。森全体の魔力がなんだかおかしなことになっていてな。調べようにも近づくと何が起こるか分らんからどうしようもない」
「それを我が主に?」
「お前らの主は魔力の影響を受けんだろう? それにこういうの好きそうじゃねえか」




