三幕四場 「藁にも縋る思いで……」
フーカは呆然と自室に閉じこもっていた。
あの日、メアリから衝撃の仕打ちを受けたあと、自分がどうやって部屋へ戻ってきたのか、まるで覚えがない。
気が付くと自室のベッドの中で蹲ったまま、フーカは黙って涙を流していた。
(…………………………)
何も考えられなかった。
何も信じられなかった。
自分のことを気にかけてくれていると思っていたメアリが、あんなことを考えていたなんて。
信じられない。信じたくない。
しかし頭の中には、メアリが言い放った言葉が呪いのようにぐるぐると渦を巻いていた。
その日から、フーカは部屋の外へ出られなくなった。
様子を見に来た寮監にかろうじて体調不良と伝え、フーカは授業を休み続けた。
クラスメイトとも、教授とも、誰とも顔を合わせたくなかった。
顔を合わせられる自信がなかった。
一日中ベッドの中に潜り込んで、泣いていた。
もう自分には、ここに居場所なんてない。
自分はいなくなればいいんだ。
かつて学院の入学試験を突破した自分を、盛大に送り出してくれた祖父母や村の皆の顔が途切れ途切れに浮かんだが、その度にフーカは涙を流して謝っていた。
(ごめんなさいごめんなさい、みんなの期待を裏切ってしまって、みんなの期待に応えられなくて、ごめんなさいっ)
どれだけ泣いても泣き足りないほど、涙が出続けた。
はじめはメアリ達に裏切られたことへのショックであった涙が、やがて故郷の期待を裏切ることになってしまったことへの謝罪の涙へと変わっていった。
そうして3日が過ぎ、残留試験まで残り2日となった日の夜。
フーカの部屋に、エメル教授が訪ねてきたのだった。
「どうなのですか、体調は? 試験に出られるほどには回復しているのですか?」
入ってくるなりエメルはそう切り出した。
フーカはエメルの顔を見るのも苦痛ではあったが、寮監がどうしても、ということで止む無く話を聞くことにしたのだった。
「………………はい」
「しっかりしてくださいよぉ~。体調管理も重要な試験の要素なんですからねぇ。これで試験を受けられませんでした、なんて言ったら元も子もありませんからねぇ」
エメルの口調は相変わらずだ。でも最早今のフーカにはかつてのようにそれが響いてくることはなかった。
「ところで、試験の準備はすすんでいるんでしょうかねぇ?」
「………………いいえ」
「そうですか、そうでしょうねぇ。火弾の術式すら満足に発動できないのでは、今さら他の術式に変更しても、余計に情けない結果になるでしょうしねぇ」
「…………………」
「しかし、それでは貴方も本望ではないでしょう。私だって、担当しているクラスから退学処分が出るなんて、とてもじゃないですが耐えられないですから。できれば貴方には、残留試験で合格を勝ち取ってほしいものです」
「…………………」
「そこで、私から一つ提案があるのです。貴方に、本番で絶対に失敗しない術式を一つ、授けようと思うのです。これは本来ルール違反に問われかねないことなのですが、特別に貴方にだけこれを伝授しようと思います」
「………………どうして、ですか」
「言ったでしょう、貴方が退学処分になることが耐えられないと。私もあなたの担当教授として、それくらいの責任感は持っているんですよ?」
そういってエメルは懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
「これは、わが師に当たる方から特別に譲り受けた秘術です。この術式を使えば、貴方であっても暴発させることなく術式を完成させることができます。ただし。この術式は特別製で一回限りしか使えません。つまり練習ができないのです。それでも効果は保証付きです。何しろあのジェスター主任教授のお墨付きですからねぇ」
「………ジェスター主任教授………」
「ええそうです。あのお方がこれを見て、これなら間違いなく術式が成功する、と判断してくださったのです。あ、そうそう。このことはジェスター主任教授も知るところですので、貴方は安心して残留試験に臨んでもらっていいのですよ」
「……………」
「貴方だって、学院に残って勉強を続けたいのでしょう? 貴方を送り出してくれた故郷の人たちも、きっとそれを望んでいると思いますよ?」
「―――――!」
「どうです? 貴方にとって何も悪い話はないはずです。もちろん、私にとってもね。ルールすれすれとは言いましたが、厳密にはルールに抵触はしていませんから、万一何か疑われても、何も困ることはないのですよ? さあ、どうしますか? これまでの努力を無駄にしたいですか?」
フーカの脳裏に、故郷の村が浮かんだ。
決して裕福ではない村。農作物の不作に怯えながら、それでも懸命に、実直に生きている村人達。
そして、フーカを慈しんで大切に育ててくれ、なけなしの財布をはたいて餞別を持たせて送り出してくれた祖父母の年老いた姿。
自分は何をどう思われてもいい。クラス中の人間に嫌われたっていい。
でも故郷の皆だけは、裏切りたくない。
そのためにこれまでだって、一生懸命努力してきた。
魔術が上手く使えなくなってからだって、必死に練習を積んできた。
ほんの少しだけだけど、術式が発動することが増えてきた。
『わたしは魔術の才能ゼロって訓練所で言われてしまったけど、フーカちゃんは魔術使えてたんだもん。きっとまた上手に使えるようになるよ』
フーカの脳裏に、いつか聞いたリホの声が蘇った。
自分のために練習場を作り出してくれて、励ましてくれていたリホ。
全然無関係なのに、術式が少しでも上手く発動すると、自分のことのように喜んでくれたリホのことを思い出した。
「……………………分かりました。やってみます」
「そうですか。それでは、ここに手を載せて、術式と契約を結んでください」
そしてフーカに秘術を授けたエメルは、寄宿舎を後にした。
残されたフーカは、契約をした左手をじっと見つめる。
「これで、本当にうまくいく? 分からない………分からないけど………やってみよう」
そう言ったフーカの目は微かな光を取り戻していた。




