一幕一場 「師匠って呼んでもいいですか?」
魔導卿に案内されて、リホは「死の大地」の内部をあちこち見て回った。
リホの部屋となるところはかなり広く、すでに寝具などは調えられていたのだが、どうやらゲストルームとして使っていたらしい。
他にも食堂(丸っこい一つ目のよくわからない精霊?がたくさんいた)、温泉(中にウンディーネがいた!)などを案内されたが、そのうちにリホは気が付いた。
「あのぅ、魔導卿?」
「なんでしょう?」
「ここって…トイレはないんですか?」
「……トイレですか。それは盲点でした」
魔導卿ははしっと手のひらを拳で打って、一人合点した。
「マスターも私も、トイレというものの存在をすっかり失念しておりました。すぐにご用意いたしますから、しばしお待ちを」
「ええっ、トイレ使わないんですか? って、そうですよね、魔導卿は必要ないですよね…」
リホは改めて魔導卿の姿を見て納得するが、
「でも、“マスター”もそうなんですか?」
「少なくとも私はそのように認識しております。これまでマスターからトイレの設置についてご要望を承ったことはございませんので」
「え、じゃあ実はどこかにあったりして…」
「いえ、ここについて私が知らないものが存在する、ということはありえません」
魔導卿はきっぱりと言い切った。
「ここは元々魔導探求の拠点として私が創り出した空間です。マスターと出会って以降にもあれこれ拡張工事はしましたが、いずれも私の管理の下でしたし、今もここの内部構造は私が全て把握しております」
「すべて、ですか…」
「はい。全てです」
魔導卿はまたも胸を張って自慢した。
「そのために私は、この場所に複数の探査術式を複合的に掛けて、全ての空間の状況を動的に観察・管理できるようにしました。そして……」
魔導卿は自分がいかに優れた術式をこの場所に設置したかを滔々と語りだしていたが、リホはほかのことが気になっていた。
(“マスター”って、何者なんだろう? 魔導卿が仕えているくらいなんだから、ものすごい魔導士? それとも昔の上役だったのかな? さっきのアレも、なんか凄い術式だったのかな?)
自分が助かった時の様子を思い出しながらリホは一人考えを巡らせていたが、唐突に魔導卿が話を振ってきた。
「あ、そうでした。先ほどの『あなたが一人立ちできる強さを身につける』という話ですが」
「えっ、あ、はい」
「あなたには魔術の才能はないんですよね?」
魔導卿が確認してくる。
「…はい」
「剣術もダメ?」
「はい…ダメです」
「う~ん、それでは何を以て一人前になってもらいましょうかねぇ。見たところ神官職に向いているようにも見えませんし……」
魔導卿は少し考えたあとに、「――では」と言葉を続けた。
「一つ心当たりがありますので、私からマスターに進言しておきます。その結果マスターがどのような判断をお下しになるか、今は分かりませんが、きっとあなたのためになるようになるでしょう」
「…わかりました」
「とりあえず今日のところはゆっくりお休みください。更なる話は明日にでもしましょう」
そうして魔導卿は一旦リホを自分の部屋まで案内した。
リホは部屋の中に入り、広々としたベッドへ突っ伏した。
「はぁ~、なんだか分からないけど、とりあえず助かった~」
思わず独り言がでる。
「いまだにこの状況が信じられないけど、っていうか、魔導卿ってなによ!? そんなすごい人、ヒト? …元ヒトか。そんな元ヒトがなんでこんなところにいるの? っていうか、ここ『死の大地』だよね? 生き物の存在を許さないっていう。わたしなんで生きてんの?」
仰向けになりながら独り言が続く。
「………助かった、でいいのかな? あの人のものになるって言っちゃったけど、よかったのかな? なんだか、奴隷って感じもしないんだけど」
リホは自分を助けた男のことをまた思い返していたが、思い返せば返すほど、わからないことだらけだった。
(そもそもあの人はなんなんだろう? あんな訳の分からない力を持っていて、死の大地に住んでいて、魔導卿を従えていて、トイレが要らない人……)
(なんでわたしを所有物にしよう、って思ったんだろう? わたし何かされるのかなぁ。『一人前にする』って、どういう意味でなんだろう? 一人前になったらわたし、なにをするんだろう?)
考えても答えの出ないことばかりで、そのうちリホも飽きてきた。
「いいや、とにかく助かったんだから、これからのことはこれから考えよう」
そういってリホは立ち上がった。
気持ちが一旦整理されたところで、今度は体が要求を伝えてくる。
リホはそういえば、自分が今朝から何も食べていないことに気が付いた。
「よしっ、何か食べ物をもらおう」
さっき食堂を案内された時に、「食べたいものがあればここにくれば好きに食べられる」と夢のようなことを言われたのを思い出した。
そこでリホはちょっと期待しながら食堂へ向かうことにした。
「!!!」
リホの目の前には温かいシチュー、焼き目も香ばしい厚手のステーキ、色とりどりの新鮮な野菜の乗ったサラダ、まだ湯気を立てている焼き立てのパン、なみなみとグラスに注がれたワインなど、どこぞの一流料亭かと思われるような料理がずらりと並んでいた。
リホが食堂に入ると、さっき見かけた一つ目の丸っこい精霊? のようなものが飛んできて、リホをテーブルに案内してくれた。
案内されるままにリホは腰かけたが、その直後に奥の厨房からたくさんの真ん丸一つ目が飛んできて、テーブルに料理を並べだしたのだ。
そのどれもリホが注文したものではないが、リホが「食べたいっ!」と思うものばかりが並んでいた。
「…えっと、これ、いいの?」
リホは自分の横でフワフワ浮かんでいる真ん丸一つ目に恐る恐る尋ねる。
真ん丸一つ目は体全体を前後に大きく揺らして、おそらく肯定の表示をしているようだ。
それを見てリホはパンを一つ手に取って、口へほおばる。
「!!!?」
今まで食べたことのない、甘く柔らかい、芳醇な麦の香り。
そこからはリホは無我夢中で食べ始めた。
正直、自分が何をどう食べたのかあまり覚えていない。
ただ間違いないのは、リホがこれまでの人生で食べたどんな食事よりも(母の手料理さえ)おいしかった、ということだった。
真ん丸一つ目は食べ終わった皿を順次片付けてくれ、空いたグラスにはワインを注ぎ足してくれて、細やかに給仕役をしてくれた。
やがてリホもすっかり満足し、真ん丸一つ目達にたくさん感謝の意を表して自分の部屋に戻った。
この時のリホの感謝の念に真ん丸一つ目たちは大いに感激し、めったに来客がなく食事を提供する機会に恵まれなかった彼らはリホのことを、自分達の救世主のように慕い始めるのだが、それはまた別の話。
翌朝。
久々に熟睡してやや寝過ごした感のあったリホが中庭(魔導卿とお茶をした場所について、卿からそう聞いた)へ行くと、魔導卿が一人でお茶をたしなんでいた。
「おはようございます」
「おや、おはようございます。夕べはよく眠れましたか?」
「はい、おかげさまで。久々に熟睡しました」
「それはよかったです。よろしければ寝覚めの一杯をどうぞ」
魔導卿がそういうと、またまたテーブルに忽然とリホの分のティーカップが現れた。それを見てリホは(これも精霊の仕業?なのかな)と思った。
魔導卿の入れてくれた紅茶を飲むと、確かに頭がスッキリしていく感じがした。
「昨日話していた、あなたの今後についてですが…」
魔導卿が話し始めた。
「マスターに話をしたところ、許可を得られました。そこで早速ですが、本日から修業を開始したいと思います」
「今日からですか?」
「ええ、別に始めるのに時間をかける理由はありませんので。ただし準備に少し時間がかかりますので、あなたは朝食を採っておいてください。食べ終わるころにはもろもろ準備も整っているでしょう」
「わかりました。ちなみに何をするんですか?」
「それはそのときにわかります」
魔導卿はやや意味深な言葉を残したが、リホはそれについてあまり深くは考えなかった。
昨日魔導卿から「あなたのためになる」と言われたことも少し影響していたようにも思う。
魔導卿に言われたように、朝食のためにリホは食堂へ向かった。
夕べのご飯を思い出して思わず期待が高まったが、朝食もこれまた素晴らしいメニューの皿が、リホがテーブルにつくと同時に運ばれてきた。
今度はリホも落ち着いて、一品一品味わいながらゆっくりと朝食を楽しんだ。
朝食を堪能した後リホが中庭へ戻ると、魔導卿と“マスター”がお茶を飲んでいた。
「“マスター”?」
呼ばれた“マスター”はちらりとリホを見た。
「お前にそう呼ばれるのはいやだな」
「えっ、何でですか?」
「その呼び方は魔導卿が勝手にそう呼んでいるだけだ。俺は別に許可した覚えはない」
魔導卿は横で我関せずの顔をしてお茶を飲んでいる。
「じゃぁ、何て呼べば…」
「呼び名なんてどうでもいいんだよ」
「どうでもいいなら“マスター”じゃダメなんですか?」
「それはダメだ」
「ちょっと意味不明ですよ~」
元々よくわからない相手だったが、リホはますます“マスター”が分からなくなってきた。
「だいたい何でここでお茶を飲んでるんですか?」
「お前に教えることがあるからだ」
「教える?」
「お前が一人でも生きていけるようになるための力だ」
「マスターが?」
「マスターと呼ぶな」
「じゃあ、どうしろと?」
幾分あきれた感じのリホだったが、急に思いついた。
「わたしに何か教えてくれるんですよね?」
「そうだ」
「それなら、わたしはマスターじゃなくて“師匠”と呼びます! それならいいでしょう?」
魔導卿が「ほう?」という顔付でリホを見た。
「“師匠”ねぇ…」
“師匠”はしばらく考え込んだが、
「いいだろう」
意外とあっさりOKした。
(違いが分からないよ…)
リホは心の中でボソッと呟いた。




