第五話 フラグが勝手に立つ
アリアとの接触を断ち切る。
それが今週の最優先事項だった。
先日の会話を踏まえ、俺は綿密な作戦を立てた。
アリアが普段どのルートで学院内を移動するかを把握する。
そして、そのルートと時間帯を徹底的に避ける。
具体的には朝の移動は北棟経由、昼食は自室で取る、午後の授業の合間は最短ルートで移動する。
完璧な計画だった。
そう思っていた。
月曜日の朝、北棟の廊下を歩いていた。
いつもより一時間早い時間帯を選んだ。
アリアはまだ学院に到着していないはずだ。
そう計算した上での行動だった。
角を曲がった瞬間、誰かとぶつかった。
バランスを崩しながら振り返ると、そこに茶色い髪の少女がいた。
(なんで?)
アリアだった。
彼女も驚いた顔をしている。
抱えていた資料が床に散らばった。
二人で黙々と資料を拾った。
立ち上がり際に、アリアが口を開いた。
「……早いですね、殿下」
短く返した。
「お前こそ」
アリアが少し間を置いた。
「早朝の自習をしておりました。いつもより一時間早く来たのですが」
一時間早く来た。
俺も一時間早く来た。
なぜそのタイミングが重なる。
目が合った。
アリアの表情も、どこか困惑していた。
「失礼いたします」
それだけ言って、アリアは去っていった。
俺は廊下の真ん中で、しばらく立ち尽くした。
(偶然か?)
いや、偶然にしては気持ちが悪い。
翌日、作戦を見直した。
北棟は危険地帯に指定した。
代わりに南棟の大回りルートを採用する。
昼食は自室で取る。
午後の自習は、アリアが普段使う一階の閲覧室を避け、二階の参考書専用の部屋を使うことにした。
完璧だった。
昼食後、二階の参考書専用室のドアを開けた。
一番奥の席に、茶色い髪の少女が座っていた。
(なんで?)
目が合った。
アリアも固まった。
「……二階を使われるのは珍しいですね、殿下」
困惑が声に滲んでいた。
「一階が混んでいた」
嘘だった。
一階は普通に空いていた。
アリアが少し考えてから答えた。
「そうですか。……私は今日は二階の方が静かかと思って」
アリアも嘘をついている顔だった。
どうやら彼女も何かを避けようとして、いつもと違う場所に来ていたらしい。
俺たちは無言で、できるだけ離れた席を選んで、それぞれ本を開いた。
部屋を出た後、廊下で大きく息を吐いた。
(偶然にしては、あからさますぎる)
水曜日になった。
今度こそ万全の対策を講じた。
朝の移動は従者に頼んで抜け道を確認した。
昼食は自室で取った。
放課後は気晴らしに、王宮側の庭園を歩くことにした。
学院の構内ではなく、特定の身分の者しか立ち入れない薔薇園だ。
アリアが入れる場所ではない。
これで安全だ。
季節外れの薔薇がいくつか咲いていた。
久しぶりに一人の空間に、少しだけ緊張が解けていった。
噴水の縁に腰を下ろして、考えをまとめようとした。
「失礼いたします。この辺りで迷子の猫を見かけませんでしたでしょうか」
聞き覚えのある声がした。
振り返ると、庭園の入り口に茶色い髪の少女が立っていた。
(なんで????)
アリアは俺を見て、顔色が変わった。
「……殿下がいらっしゃるとは存じませんでした」
声が震えていた。
思わず聞いた。
「なぜここにいる」
アリアが困惑した顔で説明した。
「王宮付きの侍女の方に猫が迷い込んだと聞いて案内していただいたのですが……私が入れない場所とは知らずに」
アリアが深々と頭を下げた。
「無礼をお許しください。すぐに戻ります」
立ち去ろうとする後ろ姿に、思わず声が出た。
「待て」
アリアが足を止めた。
俺は噴水から立ち上がり、アリアの方を向いた。
「お前は、俺と会うことを望んでいるか」
単刀直入に聞いた。
アリアが少し目を見開き、そして静かに首を横に振った。
「……望んでおりません、殿下」
正直な答えだった。
「正直に答えたな」
アリアが少し間を置いた。
「嘘をついてもしかたがないですので」
俺は腕を組んだ。
「俺もお前と会うことを望んでいない。だが今週だけで三回会った。廊下でぶつかり、図書館で鉢合わせ、今またここで遭遇した」
アリアが静かに頷いた。
「……私も、不思議に思っています」
俺は続けた。
「何かに誘導されているような気がするか」
アリアが少し間を置いてから答えた。
「……はい。ここ最近、行動を選ぶたびに、なぜか殿下の方へ向かわされているような感覚があります」
俺はその言葉を、頭の中でゆっくりと反芻した。
アリアも感じていた。
誘導されているという感覚を、向こうも持っていた。
これは偶然の一致ではない。
確信が深まった。
(シナリオの強制力だ)
原作の物語を再現しようとする何かが、俺とアリアを引き合わせようとしている。
当事者である俺たち両方が逃げようとしているのに、それでも接触が生まれる。
(ホラーかよ)
声には出さなかった。
出したら本格的に怖くなる気がした。
アリアがおそるおそる口を開いた。
「殿下は……私と会わないようにしていらっしゃいますか」
頷くように答えた。
「ああ」
アリアは少し複雑な顔をした。
「……私も、そうしています」
二人の間に、妙な沈黙が落ちた。
同じ目的で動いている二人が、その目的に反してここで向かい合っている。
笑えるような、笑えないような状況だった。
アリアが視線を薔薇に向けた。
季節外れの花が、風に揺れている。
「また、どこかで会ってしまうかもしれませんね」
諦めの色が混じった声だった。
「……その時はその時だ」
他に言いようがなかった。
アリアが頭を下げて、庭園を去った。
後ろ姿が花の陰に消えるのを見届けてから、俺は噴水の縁に再び腰を下ろした。
シナリオの強制力が、間違いなく存在する。
そしてそれは、俺たち二人の意思では止められない可能性が高い。
(そもそも、このシナリオを動かしている源泉は何なんだ)
地下書庫の本。
繰り返す偶然の出会い。
原作とは微妙に食い違う現実。
ピースが足りない。
まだ見えていない何かが、この世界の裏側にある気がした。
夕暮れが薔薇園を橙色に染めていた。
美しい景色だったが、俺の胃は相変わらず痛かった。




