第十七話 卒業パーティー前夜
ついに、その夜が来た。
明日は卒業パーティーだ。
転生してからほぼ一年が経った。
婚約破棄を防ぐために動き続けた一年が、いよいよ最後の局面を迎える。
会議の前に、一度書庫に寄ることにした。
最後の確認だ。
燭台に火を灯して禁書棚を開けると、また本が増えていた。
だが今日は本の数よりも、手前に置かれていた一冊が目に入った。
まるで俺に読ませようとしているかのように、他の本より前に出ていた。
タイトルは「婚約破棄しそうになっているのを必死に止めようとしました」だった。
(知らないタイトルだ)
手に取って開いた。
内容を読み始めた瞬間、背筋が凍った。
書いてある内容が、この一年間の俺の行動と完全に一致していた。
転生直後にエレノアの名前を見て絶望したこと。
地下書庫で本を発見したこと。
アリアとの偶然の遭遇が続いたこと。
婚約破棄防止委員会を作ったこと。
ベルナルド老師を訪ねたこと。
農業エンドを読んで少し安心したこと。
全部書いてある。
(これは俺の話じゃないか)
ページをめくり続けた。
最終章近くに差し掛かったところで、明日の卒業パーティーのシーンが始まった。
読むのをやめた。
手が震えていた。
本を閉じて棚に戻した。
(シナリオが完成しつつある)
この本に書かれている通りに明日が動くとしたら、それは最悪の事態だ。
どういう結末になっているかは読まなかった。
読む必要はない。
ここから先は、俺が書く。
書庫を出て、会議室に向かった。
全員が揃っていた。
ゴードン卿がいつも通りの落ち着いた顔で座っている。
カイル卿が腕を組んで壁際に立っている。
アリアが緊張した顔で椅子に座っている。
エレノアが俺を見て、静かに頷いた。
そして部屋の隅には、ベルナルド老師も来ていた。
俺は椅子に座り、全員を見渡した。
「明日のパーティーについて、最終確認をしたい」
ゴードン卿が静かに口を開いた。
「殿下の方針は、婚約破棄を起こさないということで変わりありませんか」
俺は頷いた。
「変わらない」
カイル卿が腕を組み直した。
「具体的に、どのような危険が想定されますか」
「三つある。一つ目は俺の意思とは関係なく、身体が勝手に動かされる可能性。二つ目は、誰かが俺とアリアを引き合わせるような状況を作り出す可能性。三つ目は、俺の言動を誰かが誘導しようとする可能性だ」
カイル卿が頷いた。
「一つ目については、私が殿下の傍についておりましょう。物理的に静止させる可能性があります」
思わず聞き返した。
「物理的に」
カイル卿が続けた。
「もし殿下が予期せぬ行動をとりそうになった場合、力ずくで止めます」
アリアが少し遠い目をした。
ゴードン卿が続けた。
「二つ目については、私がアリア嬢の傍についております。何者かが引き合わせようとした場合、間に入ります」
アリアが頷いた。
俺は続けた。
「三つ目については、エレノアに頼みたい」
エレノアが少し目を細めた。
「俺が変なことを言い始めたら、止めてくれ」
エレノアが静かに答えた。
「承知しました」
カイル卿が少し考える顔をした。
「殿下が自分で自分を止められない可能性があるということですか」
「シナリオの強制力というものがある。世界が俺を婚約破棄させようとする力だ。意思の力で完全には抗えないかもしれない」
カイル卿が一言だけ言った。
「なるほど、見たことのない敵ですね」
「そうだ。だから皆に頼んでいる」
ゴードン卿がゆっくりと口を開いた。
「殿下、一つよろしいですか」
俺は頷いた。
「何だ」
「作戦をまとめると『婚約破棄を起こさない』ということになりますが……それは最初からのご方針と変わらないのでは」
全員が静かに頷いた。
カイル卿の一言が部屋に響いた。
「当たり前では?」
アリアが小さく頷いた。
エレノアが静かに微笑んだ。
(一年かけて、結局同じところに戻ってきた)
俺だけが真剣に青ざめていた。
ベルナルド老師が咳払いをした。
「皆さん。今回は状況が異なります。世界を縛る力が明日のパーティーで最大限に発動する可能性があります。殿下が必死になるのは、理由のないことではありません」
その一言で、部屋の空気が少し引き締まった。
「老師、その力に対抗する方法はあるのか」
ベルナルド老師がゆっくりと答えた。
「記録によれば、過去七回、誰もその力に抗えませんでした。ただし今回は今までとは異なる条件が二つあります」
「二つ?」
老師がエレノアを見た。
「まず、殿下が自覚的に動いていること。そしてもう一つ。ヒロインが、王子の味方についていること。これは八百年で初めてのことです」
静かな驚きが、部屋に満ちた。
アリアが小声でつぶやいた。
「今まで、王子も令嬢もそれぞれが一人で戦っていたんですね」
老師が頷いた。
「令嬢は常に、傷ついた後に一人で立ち上がってきました。今回初めて、その令嬢が最初から殿下の傍にいる」
エレノアが静かに言った。
「それが何かを変えるかどうかは、明日次第です」
会議が終わった。
全員が退室し、最後に俺とエレノアが残った。
「明日、よろしく頼む」
エレノアが頷いた。
「はい。殿下も」
短い言葉だったが、それで十分だった。
自室に戻り、窓の外を見た。
夜空に星が多い。
いつも通りきれいだった。
胃が痛かった。
今まで生きてきた中で、一番痛かった。
それでも眠らなければならない。
明日に備えて。
(明日、終わらせる)
八百年続いたこのシナリオを。
眠れないと思ったが、思いのほかすぐに眠れた。
疲れ切っていたのかもしれない。
あるいは、やることをやり尽くしたという感覚があったのかもしれない。
夢は見なかった。




