第十六話 作者でした
翌日、俺はエレノアと改めて向き合った。
書庫ではなく、王宮の中庭を選んだ。
開けた場所の方が、話しやすいこともある。
昨夜の発見を、一晩かけて整理した。
地下書庫の本は、エレノアが前世で書いた小説と文体が一致している。
つまりこれらの本は、エレノアが書いた作品がこの世界に強く反映されたものだ。
ベルナルド老師が言っていた「人々の願いが積み重なった力」。
その願いを形にしたのが、エレノアの作品だったということか。
(そして俺はその読者だった)
中庭のベンチに並んで座った。
エレノアが少し俯いてから、話し始めた。
「改めてお話しします。前世での私のことを」
「聞かせてくれ」
「前世では日本という国に生まれました。大学を卒業して、しばらく会社勤めをしていましたが……小説を書くのが好きで、仕事の合間に書き続けていました」
(日本)
俺も日本出身だ。
「なろうに投稿していたんだな」
エレノアが頷く。
「はい。ご存じですよね」
「もちろんだ。前世では毎晩なろうを読んでいたよ」
しばらく沈黙があった。
お互いに、この状況の奇妙さを噛み締めているような間だった。
エレノアが続けた。
「主に婚約破棄ものを書いていました。令嬢が理不尽に婚約を破棄されて、それでも立ち上がって幸せになる話です。気がついたら自分の得意ジャンルになっていました」
「人気だったよな」
エレノアが少し遠い目をした。
「おかげさまで。いくつかの作品は書籍化もアニメ化もしていただきました」
(書籍化)
「ということは、アニメの方も俺は見たかもしれないな」
エレノアが少し考えてから答えた。
「……もしかしたら」
二人の間に、妙な静けさが落ちた。
前世の日本で、一人がある小説を読んでいた。
前世の日本で、もう一人がその小説を書いていた。
それが今、同じ世界に転生して向き合っている。
(出来すぎだ)
俺は本題に戻った。
「地下書庫の本が、本当にお前の作品だとした場合だが、なぜそれがこの世界に存在しているのかについては、何か考えがあるか」
エレノアが首を振った。
「わかりません。それだけは、本当にわかりません」
俺はエレノアの顔を見た。
嘘をついている様子はなかった。
「書いていた時に、何か変わったことはなかったか。作品が現実に影響を与えているような感覚とか」
エレノアが少し間を置いた。
「それも……ありませんでした。ただ書いていただけです。読者の方が喜んでくださっていることは、コメントでわかっていましたが」
「コメント」
エレノアが少し懐かしそうな顔をした。
「たくさんいただいていました。『主人公を応援しています』とか、『王子にざまぁしてほしい』とか、『続きが楽しみです』とか」
(読者のコメント)
ベルナルド老師の言葉が頭に浮かんだ。
「人の心が願い続けているから」。
読者たちが作品を愛し、続きを望み、主人公の幸せを願い続けた。
その願いが積み重なって、やがてこの世界に形として刻まれた。
「お前の作品を応援した読者たちの願いが、この世界に蓄積されたのかもしれない」
エレノアが目を見開いた。
「それは……考えたことがありませんでした」
「ベルナルド老師が言っていた。人の心の願いが積み重なって、世界が物語を繰り返すようになったと。その願いの源泉の一つがお前の作品だったとしたら辻褄が合う」
エレノアがしばらく沈黙した。
「私が書いた物語が、この世界を縛ってきた……ということですか」
俺は静かに答えた。
「意図していなかったとしても、結果としてはそうなっている可能性がある」
エレノアの表情に、複雑な色が混じった。
痛みとも、驚きとも、何か別のものとも取れる顔だった。
「……謝っても、仕方がないとは思いますが」
首を振った。
「謝罪は要らない。お前も被害者の一人だ。それに」
エレノアが顔を上げた。
「お前が意図して書いたのは、虐げられた人間が幸せになる話だろう。そこに悪意はない」
「でも殿下は、私の書いた物語のせいで危険な立場に……」
「だから一緒に止める。それだけだ」
エレノアがこちらを見た。
何か言おうとして、少し間があった。
「殿下は……怖くないのですか。七回繰り返されてきたシステムに、立ち向かおうとして」
俺は少し考えてから答えた。
「怖い。毎日胃が痛い」
エレノアが、かすかに笑った。
珍しい顔だった。
「ただ、怖くても動かないと何も変わらない。それはお前も知っているだろう」
エレノアが表情を戻した。
「はい」
「お前が七回分の王子たちの代わりに、今回は俺の味方でいてくれる。それだけで十分だ」
しばらく沈黙が続いた。
中庭の木が、風に揺れていた。
エレノアが、少し迷うように口を開いた。
「一つ聞かせてください」
「何だ」
「殿下は前世で、私の作品を読んでいたとおっしゃいました。どんな感想でしたか」
俺は少し黙ってから、正直に答えた。
「面白かった。主人公が好きだった」
「それは……ありがとうございます」
「それと」
エレノアが続きを待った。
「あの悪役王子、読んでいて毎回腹が立った。なんであんな判断をするのかと、本気で思っていた」
エレノアがまた、かすかに笑った。
「そう言っていただける読者の方は、多かったです」
「なのに今その王子になっている」
「……そうですね」
二人で少し笑った。
笑えるような状況ではないが、笑えた。
前世で作者と読者だった二人が、その物語の世界で向き合っている。
奇妙で、滑稽で、それでいて不思議と悪くない気がした。
エレノアが立ち上がった。
「卒業パーティーまで、あとわずかです。一緒に考えましょう」
「ああ」
最大の謎が解けた。
しかし解けたことで、問題が消えたわけではない。
この世界を縛る物語の力は、まだ健在だ。
卒業パーティーという舞台が、着実に近づいている。
胃が痛かった。
それでも今日の胃痛は、いつもより少し軽かった。
一人で戦っていないという事実が、確実に効いていた。




