第十話 本の正体
地下書庫に通い続けていた。
婚約破棄防止委員会の発足後、仲間に情報共有できるようになったことで、地下書庫の調査に集中する時間が増えた。
ゴードン卿は宮廷内の情報収集を担ってくれているし、カイル卿は不審な動きの監視を続けてくれている。
だから俺は謎の解明に専念できる。
本が増え続ける理由。
そしてこれらの本の正体。
今日は棚の奥まで徹底的に調べることにした。
禁書棚の扉を開け、本を一冊一冊確認しながら奥へ進んだ。
棚は思ったよりも深い構造になっていた。
外から見ると壁のように見えるが、実は棚の奥にさらに奥があった。
(こんなに深かったのか)
半分以上の本を手前に出して、奥の壁を確認した。
石の壁に、かすかに凹みがある。
よく見ると、それは棚の一部ではなく、もう一枚の扉だった。
鍵穴はない。
押すと、重い音がして開いた。
(鍵がかかっていなかった)
中は狭い空間だった。
棚はなく、台座が一つだけある。
その台座の上に、本が一冊置いてあった。
他の本とは明らかに違う。
表紙は金属製で、縁に複雑な模様が刻まれている。
革ではなく、何か別の素材で作られていた。
分厚く、重い。
(古い)
触れた瞬間に、他の本とは纏う雰囲気が違うとわかった。
地下書庫の他の本も古いが、これはその比ではない。
慎重に表紙を開いた。
中の文字は、今の言語とは少し異なっていた。
完全に読めないわけではないが、古い言い回しや今では使われない単語が混在している。
ゆっくりと、一文ずつ解読しながら読んでいった。
最初のページに、書かれた年代が記されていた。
数字を確認した。
(三百年前)
三百年前に書かれた本だ。
内容を読み進めた。
物語は、ある王国の第一王子が婚約者を卒業の宴で破棄する場面から始まっていた。
(知っている展開だ)
婚約者の名前は「エレーナ」。
王子の名前は「レイン」。
エレーナは侯爵家の令嬢で、聡明で礼儀正しく、使用人からも慕われていた。
(これは)
俺は手を止めた。
エレーナとエレノア。
レインとレオン。
名前が違う。
しかしそれ以外は、ほぼ同じだ。
震える手でページをめくった。
物語が続く。
レインが婚約を破棄した理由は、平民の少女への感情だった。
その少女の名前は「アリーナ」。
(アリーナ……アリア)
三百年前にも、同じことが起きていた。
王子が平民の少女に惹かれ、婚約者を破棄する。
そういう物語が、三百年前に実際にあった。
そしてその結末を確認した。
エレーナはその後、隣国へ渡り、幸せになった。
レインは追放され、反乱に巻き込まれ、処刑された。
(本当に同じだ)
地下書庫にあった「婚約破棄されたので隣国で幸せになります」の内容と、ほぼ完全に一致している。
俺は台座の前に座り込んだ。
本を膝の上に置いて、ゆっくりと考えた。
これが意味することを整理する必要があった。
地下書庫の本は、未来の予知ではない。
エレノアが主人公のなろう小説そのものでもない。
これらは全部、歴史だ。
数百年前から繰り返されてきた「同じ物語」の記録だ。
登場人物の名前だけが変わって、同じ展開が何度も繰り返されてきた。
王子が令嬢との婚約を破棄する。
令嬢が幸せになる。
王子が破滅する。
この物語が、何世代にもわたって続いてきた。
(なぜ繰り返されるんだ)
そこが核心だった。
偶然の一致でこれほどの精度が出るはずがない。
名前まで似ている。
展開が完全に一致している。
何かが、この物語を繰り返させようとしている。
シナリオの強制力という言葉が、頭の中で重みを持った。
俺がそう感じていたものは、単なる思い込みではなかった。
この世界には、本当に「物語を繰り返させる力」が存在している。
それは俺とアリアを偶然を装って引き合わせてきた。
それは地下書庫に本を増やし続けている。
そしてそれは、三百年前も、その前も、同じことをしてきた。
(それは何なんだ)
意思があるのか。
機械的に動いているだけなのか。
誰かが操っているのか。
古い本のページを最後まで確認した。
物語の末尾に、短い後記があった。
現代語ではないため解読に時間がかかったが、大意はこうだった。
「この物語は繰り返される。名前を変え、姿を変えて。なぜならば、人の心が願い続けているから」
(人の心が願い続けているから)
その一文が、しばらく頭から離れなかった。
人の心が願う物語。
誰かが望んでいる展開。
令嬢が婚約を破棄されて、それでも幸せになる物語を、誰かが願っている。
(読者か)
前世でなろう小説を読んでいた、俺のような人間が、この世界にも存在するのか。
あるいはこの世界の何かが、そういう物語を欲しがっているのか。
謎が解けるどころか、深くなった。
本を台座に戻して、立ち上がった。
これをゴードン卿たちに伝えるべきかどうか、迷った。
「三百年前から同じ物語が繰り返されている」という情報は、正直に言って信じてもらえるかどうかわからない。
でも、伝えなければならない。
一人で抱えるには重すぎる。
隠し扉を閉めて禁書棚の前に戻ると、棚の本の数がまた増えていた。
確実に増えている。
(今日もまた増えた)
誰かが増やしている。
あるいは、何かが増やしている。
廊下に出て、鍵をかけた。
今日の収穫は大きかった。
そして今日の謎も、大きくなった。
地下書庫には三百年前から同じ物語が存在している。
予知ではなく、歴史だ。
歴史は繰り返されてきた。
俺がやるべきことは変わらない。
婚約破棄だけは、絶対にしない。
だが今は、もう一つ追加しなければならない。
この繰り返しを、止める方法を見つけることだ。
夜の廊下を一人で歩きながら、静かに決意を固めた。
胃の痛みが、また戻ってきた。




