潜入②
ギイ、と調理室のドアが開いて、また閉じる。鍵が掛かった頃にはもう、中年のコックが放つ濃い煙草の臭いと若干のアルコール臭が、その場に充満していた生ごみの異臭と混じり合って、酷いものだった。
「戸締り、良し」
ご機嫌にそう言ったコックは、生ごみの詰まった台車を押して、調理室を出る。赤の絨毯が敷かれた方にも、そっちとは逆側の、石材が丸見えな方にも、誰もいなかった。
両手が埋まってしまうため、蝋台もない。廊下は真っ暗だが、これもゴミ捨てと同じで、毎日の作業である。道順は覚えていた。
コックは、絨毯のない方へ慎重に台車を押していく。足の裏から体温が奪われていくのが分かって身震いする。鼻水をすする音が、もう四回。五回目に、大きくズーッと音を立てたところで、足が止まった。
広い書庫だ。小説どころか実用書すらなく、仕事用の書類や資料だけが、まとめて保管されている。というより、山積みに放置されている。その山と山の間を往き辿り着いた、身長を超えるくらいの本棚。コックはそれを、目一杯腕で押した。するとどうだ、開き戸の様に動作したではないか。
その先は、緩やかな坂になっていた。ざらざらとした材質の床を、コックが一歩。台車と一緒に進んだ途端、突然視界が確保される。道の左右に設置された蝋燭が、独りでに火を灯したのだ。これは、魔法の蝋台。高級品ではあるが、人の気配を察知した瞬間に自動で着火し、人が離れれば自動で消える、優れものだ。
ここまでくると、屋敷とは切り離された気分であるのか、コックは鼻歌交じり。音程のズレた陽気な歌が響く。ワンコーラス歌えば、地下室の入り口だ。
南京錠を開き、長い鎖を引き抜く。
「さあさあ、餌の時間だぞ…ンン!?」
コックの口に、ねじったタオルがあてがわれて、頭の後ろから縛り付けられる。慣れた手付きであった。何が起こっているのか分からない内に膝裏を蹴られ、コックは床へと正座させられてしまった。
「案内ご苦労、クソコック」
顔の見えない相手から感謝され、包丁を突き立てられたコックは、必死に首を振る。酒と煙草に溺れたからといって、殺されるような筋合いはない。
「大きい声を出したら殺す。暴れても殺す。理解できたら、首を縦に振れ。ゆっくり、三回だ」
マヒトはコミュニケーションを取って、立場をはっきりさせながら、コックを落ち着かせる。
コックが興奮して叫び出せば、潜入どころではなくなってしまうし、冷静になられ過ぎても、殺意がないことを悟られて億劫だ。であるから塩梅が重要だったが、その点彼は上手くやった。
コックの口に巻いた猿轡を解いて、今度はそれを目隠しに。地下室を封じていた長い鎖で、彼の手足はぐるぐる巻きにされてしまった。この悪魔、調教も拘束もお手の物であった。
「ハムみたいでお似合いだな、クソコック。二三質問に答えろ。ブヒブヒ鳴かれても分かんねえから、ちゃんと人語で喋れよ」
久々に豚を足蹴にして、マヒトはご満悦であった。




