獣人の国
クリーゲインが扉を開けて中に入ると、カランカランと扉につけられた鈴がなる。まだ夕方にもなっていないというのに、分厚い暗雲が太陽を遮る外の暗さと室内の明るさに千尋たちは一瞬、目が眩むように目を細めた。室内は暖かく、黒く冷たい雨に濡れた千尋たちの体をじんわりと温めてくれる。
「はーい、いらっしゃいまっせ〜」
気の抜けたやる気にかける歓迎の挨拶が聞こえる。が、受付のようなカウンターには人影はなく、車椅子に座る千尋は勿論、その後ろにいるアリシアやチュクチも背伸びをして声の主を探している。
「エーダフォストから来た。手続きを頼む」
このメンツの中で、一番身長が高いクリーゲインには声の主は見えているようで、低めのカウンターに肘を置き、カウンターの中を覗き込んでいる。
「はい、はーい。……お待ちくださいっ、ね〜」
カウンターの裏からゴトンっと音がして、ようやくアリシア達にも、声の主の顔が見えた。車椅子の千尋はまだ見えていないのか、必死に背伸びをして声の主を探す。その姿に車椅子を押すチュクチは目を細め、小気味よく尻尾を振っている。
チュクチがカウンターの前まで千尋を移動させるとようやく、千尋と声の主は目が合った。
「やぁ、どうも。あなたも小さいのですね?」
ハンチング帽のような帽子を上げて千尋に挨拶したのは、全身毛むくじゃらのげっ歯類だ。千尋が目を輝かせ見つめるものだから、茶色の硬そうな毛を黒い小さな手で掻きながら照れるような仕草をしたげっ歯類にメネシオンとシュナレが声をあげる。
「「かわいい〜!」」
二人の魔族も、クリーゲインのようにカウンターにぴったりと身体をつけて、げっ歯類を覗き込む。その後ろでアリシアとターニャもうんうんと頷き、二人の言葉に同意しているようである。
「失礼な……」
そう言ってそっぽを向くげっ歯類だが、露出度が高い魔族二人の胸元が、カウンターに押しつぶされて強調されているのをしっかり目で追っている。
「ごめん、ごめん。初めて見たから。あなた名前は?」
メネシオンが頭を掻きながら詫びを入れると、げっ歯類は身なりを正すように軽く毛繕いして、千尋たちに頭を下げた。
「申し遅れました。わたくし、ガルヴァニアの入国手続き担当のオーバメヤンです」
「へぇ~、小さいのに偉いね〜」
シュナレが初めて見るげっ歯類の獣人。オーバメヤンに手を伸ばし、帽子の上から頭を撫でる。
「こう見えても、大人ですのでおやめください……」
などと口にするオーバメヤンだが、その目元は緩みシュナレの白い胸元を凝視している。
「ありゃ、相当な助平じゃな」
オーバメヤンの視線の意味を察したクロエが、千尋に愉快そうに耳打ちをする。同じくひじ掛けに手を置き、先ほどまでキラキラした目をしていた千尋も、冷たい視線をオーバメヤンに送っている。
「本当ね?獣人の恋愛対象って、幅広いの?」
そう言って千尋がチュクチを見上げる。まさか千尋から、そんな話をされると思ってなかったチュクチは耳まで真っ赤にして下を向く。
「ど、どうでしょう……。人によるとしか……」
何とか上ずった声で返事をしたチュクチの気持ちなど、どうでもいいように千尋はまたげっ歯類の獣人に冷たい視線を送り、観察を始めている。シュンとするチュクチの肩に、ターニャが手を置いて慰めるように微笑み、ハーゼはチュクチに向けて、頑張れと両拳を握った。
「挨拶はいい。全員分の手続きだ」
睨むように自分を見るクリーゲインに、オーバメヤンは背筋を伸ばして思い出したように仕事を始める。カウンターの引き出しから人数分の紙を取り出すとカウンターに並べだした。最初にクリーゲインが名前を書き、エーダフォストの守護騎士である事を明記する。
「クリーゲインさま。すごいですね!守護騎士さま!」
「ねえ?名前と職業だけなの?」
オーバメヤンの入国手続きを見ながら、千尋はチュクチとクロエに小声で話しかける。
「ん?ああ。そうじゃが、妾たちはこれがある」
そう言うとクロエは、冒険者のバッジを千尋に見せる。
「バッジ?」
「ええ、そうです。冒険者も立派な職業ですし、特に理由がなくても、入国できるのが強みですね?」
チュクチは、元冒険者ギルドの職員の面目躍如と、詳細を千尋に説明する。チュクチの説明に満足すると、千尋はチュクチの頭に手を伸ばして一撫でする。
チュクチが尻尾を振り、その後ろでターニャとハーゼは満足げに微笑み、二人は顔を見合わせた。
「は~い、これで全員ですね〜」
オーバメヤンは書類をトントンとカウンターでそろえると一枚一枚確認を始める。受け取った羽根ペンの先端で耳を掻きながら読み進めるオーバメヤンは誰かの申請書で、その手を止めた。
「かげやま?ちひろ?変な名前ですね?」
「あら。どういう意味?」
千尋は安楽椅子に深く腰掛けるようにすると、足を組むと、両手の人差し指をトントンと触れ合わせる。
「あなただったんですか?メイドなのに、苗字があるんですね〜」
悪気があったわけではなかったようで、千尋は肩をすくめる。
「異世界人だからよ?」
「ああ〜、そういうことですか〜。……異世界人!!」
オーバメヤンの硬そうな毛が逆立つ。カピバラのような見た目がハリネズミに近くなり、千尋は失笑する。
「なに、異世界人はまずいの?」
「いや、まずいことはないぞ?初代の王が妾と旅をした異世界の宮地小次郎というだけじゃ」
喉の奥を鳴らすように微笑むクロエが、とんでもない事を口にした。かつて竜殺しの魔女亭で食べたシチューをこの世界に持ち込んだ勇者の名が、小次郎だった。
「それつまり国を起こしたのが、先代の勇者ってこと?」
「うむ、相違ない」
「だから無駄に発展してるわけね……。この国」
千尋はようやくこの国の歪さを理解した。昭和初期の人間が何故か三百年前に、このアクロシアに現れてガルヴァニアの祖王と言うのなら、この国の異常な発展が頷ける。
「だそうよ。オーバメヤン?」
オーバメヤンは敬うように跪くと、千尋は顔を歪めて笑う。
「ははぁ〜、ようこそ千尋さま!」




