黒い雨の港町
クリーゲインの言う通りに、レオニスの船がガルヴァニアに近づくにつれて天気は悪くなっていった。何かを含有しているかのような暗い雲からは、黒い雨が降りしきっており、眼下に見える港町の景色は霞んで見えている。
「なにあれ?」
展望台からメネシオンが港町を見おろして、疑問の声を上げた。ルナミリアの灯火が放っていたような強い光ではないが、霞んだ暗い街を僅かな光が照らし、黒い雨に負けじと瞬いている。
「ん?ああ、あれは家の明かりだ」
「家?」
千尋がそう呟くと、チュクチが車椅子を窓際に移動させてくれる。エーダフォストの住民と魔族、そして千尋は窓に張り付くように外を見る。エーダフォストの住民には見慣れない家々の形は、千尋からすれば僅かながら既視感がある形をしていた。
「家って……あんな四角なのが?」
長方形の建物から漏れる明かりの一つ一つが家の明かりなら、一体何人が住む家なのかと疑問を感じたターニャは、合理的な作りの家の形に僅かな拒絶反応を示す。
「どれどれ……」
エーダフォストの住民の反応を面白がるように、クロエは港町に向けて、レオニスの船を緩やかに降下させていく。より鮮明さを増す港町には、暗い雲を吐き出す煙突が幾つかそびえ立ち、何かがぶつかり合うような低い音が、微かに聞こえてくる。
長方形だと思っていた建物には、絡みつくように管が伸びている。アリシアたちの想像の外にある造形に、皆が息を飲んだ。
「……なんか。すごいですね」
やっとの思いでアリシアが吐き出した驚嘆の言葉は、エーダフォストしか知らない千尋やターニャの総意と言って過言ではない。海一つ隔てただけで、こうも生活様式が変わるものなのかと。
「いったい何なの?この国」
「まあ、ガルヴァニアの民はエルフを信奉しておらんからな?」
操縦席と言うべき椅子に腰掛け、窓に張り付く世間知らずを楽しげに見ていたクロエが、千尋の呟きに応えながら自嘲する。
「どういうこと?」
千尋が好奇心旺盛にクロエに声をかける。千尋の意思を汲み取ったチュクチが、千尋が乗った車椅子の向きをクロエに向ける。千尋は出来た忠犬の頭にどうにか右手を伸ばすと、少し乱暴にチュクチの頭を撫でる。
「エルフは発展を許しておらんからな。ガルヴァニアのようになっては、食い物が不味くなる……」
「この煙は体に悪いの?」
煙の多さに産業革命を彷彿とした千尋が直ぐ様、クロエの言葉の真意を汲み取る。
「そこまで厄介なものではない。が、土は蝕まれる」
「へぇ~、だからエーダフォストの食い物は美味かったのか……」
クロエと千尋の会話に、クリーゲインは長年の疑問が晴れたと納得の表情を浮かべる。
「ガルヴァニアはご飯不味いの?やだ~」
人の精気や魔力を糧にするシュナレが、真っ先に反応して周りを呆れさせる。メネシオンが相方の反応に、やれやれと額に手を当ててうなだれた刹那、大声を上げた。
「あんたは食べなくても平気でしょ!」
「食べるのは好きなの!」
そんなやり取りをよそに、レオニスの船はガルヴァニアの港町。フェルカルムへと入港すべく、降下を開始した。
ハッチが開きスロープが降りる。鍛冶と工業の
国だけあって魔導船の離着陸が可能な港でも、レオニスの船は異彩を放っている。かの王の趣味趣向が反映された金色の船は、ガルヴァニアの質実剛健を尊ぶような街並みの中、異彩を放っている。
「なんだありゃ……」
諸外国に輸出する武器防具を船に積み込んでいた作業員の一人が、驚いた様子でその尻尾を太くする。何者が降りてくるのかと港の獣人たちが集まる中、最初に降りてきたのはクリーゲインだった。
少し煤臭い母国の空気を胸一杯に吸うと、凱旋するようにガルヴァニアの舗装された硬い大地を踏みしめた。
「帰ってきたな……」
スロープを降りて直ぐに立ち止まったクリーゲインに、後ろからやってきた千尋が文句を言う。
「感慨に耽ってるところ悪いけど……。邪魔よ?」
車椅子ではクリーゲインを避ける事もままならず、チュクチがスロープの最中で、千尋の車椅子を必死に留めおいている。
「ん?あぁ、悪い悪い……」
頑張っているチュクチの顔を見て、クリーゲインは申し訳ない気持ちを彼女なりに伝えると、直ぐに隣に避ける。前が空いて千尋とチュクチがガルヴァニアの大地に降り立つ。チュクチにしてみれば故郷らしいが記憶はなく、クリーゲインほどの感慨はなかった。むしろ千尋同様に少し顔を顰めて、フェルカルムの空気の悪さに軽く咳込んだ。
「思ったより空気が悪いわね……」
口元に握りこぶしを当てて、少しでもまともな空気を吸おうとする千尋がそう毒づくと、これこそが故郷だとクリーゲインは千尋は笑顔を向けた。
「だから言っただろ?」
降りてきたアリシアとターニャが、千尋同様に顔を顰めると軽く咳き込み、胸を叩く。
「本当だな……。大丈夫ですか、アリシア様?」
「はい、……なんとか」
ターニャがアリシアを気遣うと、軽く咳払いをしつつもアリシアも、ターニャを気遣うように努めて平静に振る舞った。地の底にいたメネシオンとシュナレは平然としている。どこか懐かしいような煤臭く埃っぽい空気に直ぐに順応し、仲間たちの苦悩に首を傾げている。
「うわっ。ホントだ」
クロエと共に最後に降りてきたハーゼが空気の悪さに驚くと、胸に抱えてきたジャギーの体に顔を埋める。
「ちょっとハーゼ。ジャギーのお腹の匂い嗅がないでくれる?」
ジャギーのおなかを煤よけに使うハーゼに、ジャギー心底嫌そうな声をあげる。が、スリスリと擦れるハーゼの体毛が心地よいのか、ジャギーは文句を言うもの、拒絶はしなかった。
「入国するのじゃ、手続きをせねばならんな。クリーゲイン」
三千年生き、旅慣れたクロエがクリーゲインに話しかけると、忘れていたようにクリーゲインはハッとした顔をする。
「そうだった。行くぞ?」
歩き出した勇者一行の素性を知る由もない獣人たちは、そのまとまりがない一体感に首を傾げ、千尋たちの背中を見送った。




