ホテル・ルスト
おかしな獣人オーバメヤンとの出会いがあり、入国の手続きが無事終わった千尋たちが建物から出ると、例の黒い雨は止んでいた。
お陰で街を覆うスモッグのような霧がかった雲は街のはるか上空まで昇り、街の全貌があらわになっている。雨上がりの黒光りする舗装された地面は千尋に、先代の勇者の影響を色濃く感じさせる。
「舗装されてると、これの乗り心地も悪くないわね……」
エーダフォストは車輪とは相性が悪い、石畳が基本だった。車椅子を押すチュクチも、軽やかに進む感触に心なしか表情が明るい。
「ええ、僕も楽です」
「と言うことは、私でも押せるのでしょうか?」
アリシアが顎に手を当てて、思いつきを口にすると、街並みを見上げながら歩き、呆けていたターニャが慌ててその考えを否定する。
「アリシア様!ですから千尋はあなた様のメイドなのですよ?主人がメイドの世話をするなど……」
くどくどと苦言を呈するターニャに、アリシアは頬を膨らませて拗ねるような態度をする。そうすると、実年齢よりは幼く見えて微笑ましい。
「今日は宿をとって泊まるとするか……」
時間の感覚がおかしくなるようなガルヴァニアの空を見上げて、クリーゲインが呟く。
「あら?もう、そんな時間?」
車椅子を満喫するように表情が明るい千尋が、クリーゲインを見上げる。
「ああ、少し早いがな?みんなフェルカルムに興味があるみたいだしな」
いつもの眉間にシワを寄せた表情とは異なり、
故郷を受け入れてもらったクリーゲインの表情もまた、明るいように見える。
「ふむ、ハーゼの手料理も美味いが、確かにガルヴァニアの料理文化に触れるのもよいじゃろう」
舌舐めずりをするように少し舌を見せたクロエが、そう言うとハーゼは顔を綻ばせて喜びを隠さない。試しに舗装された地面を歩いていた、ジャギーは、足元の感触が気に入らなかったのかクロエの肩に飛び乗ると、クロエの考えに同意する。
「ハーゼのご飯は、ジャギーへの気遣いがあって好きだね。」
旅の間。狩人として夜な夜な出歩いているジャギーだが、一番のお気に入りは、ハーゼが作ってれる餌だ。クロエの肩の上で、その味を思い出したのか、ジャギーは顔を洗い始め、奇しくもクロエと同じような反応を示した。
「照れるな〜」
身をよじり分かりやすく照れるハーゼに、千尋はチクリと、同僚のメイドをたしなめる。
「あんまり甘やかすんじゃないわよ、ハーゼ。これ以上、身も心も我儘になられても困るわ」
千尋のその言葉にメネシオンとシュナレが笑う。現在のクロエとはかけ離れた、竜殺しの魔女亭の像を思い出して、二人は目に涙が浮かぶほどに抱腹絶倒としている。
こうして一同はフェルカルムで一番の宿へと向かうのだった。
到着した宿は、エーダフォストのそれとは、かけ離れていた。八階建ての長方形の建物に、エーダフォストの民と魔族の二人は、口をポカーンと開けてただただその建物を見上げている。
「確かにエーダフォストとは、違うよな。あたしは逆にエーダフォストの宿の作りに最初は届いたっけな……」
仲間たちの反応にクリーゲインは遠い過去を思い出すように目を細める。合理的に作られたガルヴァニアのホテルのような建物から比べると、エーダフォストの宿はまさに前時代的であり、クリーゲインの驚きは、仲間たちのそれよりも遥かに衝撃が大きかったことだろう。
建物に入ると入国の手続きに訪れた際と同じように、扉についた鈴がカランカランと小気味よい音を立てる。灰色の建物の外見とは異なり、クリーム色の壁紙と、明るく温かみのある色味の木材で出来た腰壁。
黄色く縁取られた赤い絨毯は、ゼルディアの領主の館の絨毯よりも分厚く、車椅子に進みには適さないが、それを踏みしめるメネシオンとシュナレを、驚愕させる。
「ヤバっ……!」
踏みしめては自分の足跡が残るほどに沈む絨毯に、驚きと罪悪感を覚えたメネシオンは困った顔でクリーゲインを見る。
「いいんだよ、適当に踏んで……」
呆れたようにメネシオンを見るクリーゲインだが、その頬を少し緩んでいるように見える。受付に近づくとクリーゲインと同じ、人の姿をした男性が深々と礼をして千尋たちを出迎える。
「ようこそ、ホテル・ルストへ」
しっかりと礼をしてゆっくりと顔をあげるその所作は、これまでの宿の店主たちの豪放磊落な態度とは違う。
「なかなか、しっかりしているのね」
車椅子に座るメイドが、偉そうに振る舞っている。受付の男性は、一瞬訝しげに千尋をみたが職務に忠実なのか、すぐにその表情を戻した。
「十名様でよろしいですか?」
受付の男性は千尋を一瞥して、人数を確認するとさらさらと筆を走らせている。アリシアとターニャは顔を見合わせたあと、仲間たちの人数を数え出した。
千尋、チュクチ、アリシア、ターニャ、クロエ、ハーゼ、メネシオン、シュナレ、クリーゲイン。九名しかおらず、首を傾げる。
「ねぇ~?お兄さん。お目々悪い?」
シュナレが受付の顔を覗き込むようにしながら、筆を走らせる受付の顔を覗き込む。面長で端正な顔立ちに、銀色の細く絹糸のような髪の毛が揺れている。シュナレがからかい半分でのぞき込んだのに見惚れてしまうような顔立ちをしている。
「そちらの黒いお猫様もいらっしゃいますので……」
チラリとジャギーを見た受付がそう言うと、その言葉にジャギーは目を丸くすると、受付の机に降り立つと満足げに背筋を伸ばしてシュナレと同じように受付の男性を見上げる。
「出来た受付だね?気に入ったよ」
不遜な態度のジャギーに目の色一つ変えずに、受付の男性は再び一礼する。
「お褒めにあずかり光栄です。デヴォルフと申します」
「ジャギーだよ」
ジャギュアを猫と判断するデヴォルフに千尋は、同じ日本人、小次郎の影響を感じたようでクロエに話しかける。
「ねえ、クロエ。小次郎はどんな奴だったの?」
獣人好きと言うことは聞いていたが、詳細は聞いていない。クロエはかつて共に旅をした仲間を思い出して、喉を奥を鳴らすように笑いながら口を開いた。
「最初は使えんやつだったな……。弱くて、泣き虫でのう。仲間のルパに泣きついては胸に顔を埋めておった」
そう言われるとただのダメ男に聞こえて、女だらけのこのパーティの反応はすこぶる悪い。
「弱くてスケベなんて、最低じゃん……」
メネシオンが端的に小次郎への評価を述べる。その嫌悪感丸出しの顔に、クロエはかつての仲間に同情するように苦笑する。
「しかし、試練を乗り越えたあとは、強くなっていったのじゃぞ?妾の助けがなくとも戦えるくらいにはな」
「試練?」
千尋が即座に聞き返す。いつも通りの千尋の好奇心にクロエはニヤリと笑う。
「妾とルバには、聞こえんかったのじゃがな。声がするとかぬかして、面倒ごとに巻き込まれる事を、奴は試練と言っておった」
「てか、ルパって誰なの?」
勇者の物語など知る由もないメネシオンが、小首を傾げてクロエに問いかける。
「共に旅をした狼の獣人じゃ。後に小次郎の嫁になって、この国の女王になったのじゃ」




