アクロシアの伝説
風呂に浸かり千尋は2日分の汚れと疲れを落としていた。領主の家だけあって、風呂はまあまあ広く快適だった。お湯が循環しているのか、湯口からは常に温かいお湯が出ており、所謂かけ流しの状態だった。
「悪くないわね……。毎日入るの?」
「世間一般ではそんなに入浴はしない。たまに髪を洗う程度だ。領主の家族や使用人などの関係者になると、ほぼ毎日入らないと、……怒られる」
ターニャも湯船に浸かり人心地ついたのか、目を瞑ると一気にだらけたような話し方で、千尋の質問に答える。
貴重なお湯を惜しげもなく使える。酒臭い領主にも価値はあるようだ。千尋は入浴の間の暇つぶしにこの世界のあり方、歴史を学習することにした。
「ターニャ、この世界のことを教えてくれる?ありきたりな神話でも、おとぎ話でも……」
暫しターニャは背伸びをして、お風呂の心地よさを感じながら、どこからこの自称異世界人に、自分の知っている事を話そうかと考えている。湯船のお湯で顔を拭き、考えがまとまったのか、少し波打つ湯船を見ながらターニャは語り始める。
「……昔々。この世界はエルフだけのものでした。ある日エルフ達の中で、誰が一番なのかを決めることになりました。エルフ達は長命だったので、みなが賢く、誰もが強かったのです。話し合っても競い合っても、誰が一番かは決まりませんでした。そこで誰も見たことのない魔法を使ったものを、一番にしようと誰かが言いました」
ターニャはおとぎ話を語り始める。昔家族で幸せに暮らしていた頃、いつも母や姉が寝る前に読んでくれた本の事を思い出す。不思議と悲しい気持ちにはならなかった。むしろあの日の幸せな気持ちや、安堵感を思い出しているのか、ターニャの頬が緩む。
千尋は期待していなかったおとぎ話に、俄然興味が湧いた。エルフに魔法とまさに夢物語だ。千尋が黙って聞いているのを確認して、ターニャはおとぎ話を続ける。
「そこである一人のエルフが、すごい魔法を使いました。彼は魔法を使い、自分たちの住んでいる大地を天高く空に浮かべました。それに驚いたエルフ達は彼を称賛し、彼が王様になりました」
「おとぎ話にしても、突飛過ぎない?」
千尋が呆れたように鼻で笑うと、ターニャは最後まで言葉を続ける。
「彼の名前はアクロシア・エルディオン。空に浮かぶ国の最初の王様となり、国名になった偉大な王様……。アクロシアは、今も私たちの上に浮かんでいます。私たちを見守り、導くために……」
まさかの終わりだった。千尋は今も存在する国が、おとぎ話の元になっていると言うまさかの結果に、度肝を抜かれたようだ。そして千尋は、魔法があるなら自分も使いたいと思った。
「エルフに魔法?、人も魔法が使えるの?」
ターニャは首を横に振る。
「エルフは無尽蔵に使えるけど、人間では素養のあるものがたまに居て、初歩的なものを使えるだけだ……」
千尋が心底残念そうに顔を曇らせると、ターニャは思わず失笑してしまう。珍しく内心が外に漏れていたことに気がついた千尋は、話の続きを促す。
「これは神話でも何でも無く本当の話で、アクロシアは今もあるんだ」
今も存在する神話に語られるエルフの国。千尋は神の存在など信じていなかったが、神のごとく振る舞うエルフには少し興味が湧いたようだ。
「エルフしかいなかったのなら、人間は何処から来たの?」
子供のように質問をしてくる千尋に、ターニャも自分の子供の頃を思い出す。何かあればすぐに家族に質問ばかりしていた事を思い出し、昔の自分と千尋を重ねて微笑む。不思議と心は穏やかになっていた。
「続けるぞ?エルフたちは優雅に暮らしていましたが、いくつかの問題がありました。エルフは王のもとに平等でしたが、王は一つだけ、魔法の研究を禁止しました。王よりもすごい魔法を使ってやろうと、危険な行いをするエルフが現れてしまったのです」
ターニャは姉が決まってこの先を読む時、声を低くして寝る前だと言うのにターニャを驚かせようとしていた。そんな事を思い出して、ついターニャはクスクスと笑ってしまう。
千尋が、そんなターニャの姿を不思議そうに見ていると、ターニャは気まずそうに頬をかきながら話の続きを言い出した。
「王以上の魔力を手に入れるために体を変質させたエルフ……後に魔族と呼ばれる者達が現れました。怒った王様は炎の魔法でこの大地に大穴を開けて、その者たちを大穴のはるか奥深くに封じました」
「それこそ勇者の出番ね?」
千尋が茶化すとターニャはその通りと頷き、話し出す。
「そうだ。脱線するが、異世界から来たという者が、大昔にエルフの魔術師たちと力を合わせ、時の魔王を倒し、世に平和をもたらした。という話もある……」
ターニャはちらりと千尋を見る。その勇者と千尋の内面の差に失笑する。裸が付き合いをして、ターニャの中で、警戒心や千尋に対する畏怖の感情が、だいぶ薄れているようだ。
「失礼ね?まぁ、いいわ。続けて……?」
「アクロシアは荒れ果ててしまいました。住む所以外がなくなってしまったので、下界。この大地で農耕や狩猟など、肉体労働をするものが必要でした。その為にエルフたちは我々人間の祖、ホムンクルスを作ったのです」
「あなた達は、1人1人エルフに作られてるの?」
興味を抑えられない千尋がターニャの息継ぎの間に質問する。勤勉な生徒となった千尋に、ターニャは姉もこんな思いだったのだろうかと、失笑しながらも続ける。
「最初の人間はそう。エルフが作ったのだけどエルフの思惑とは違い、生殖本能が強くて人はドンドン増えていったみたいだ」
千尋は得心がいったかのように頷き笑う。
人は産めよ増やせよで勝手に増えて、いつのまにかこの地上でも階級を作り、エルフの真似事を始めた事実は滑稽以外の何と形容するのか。
「それなのにあんた達は平等じゃないの?」
「まあ、そうだな……」
「滑稽な話……。この世界にはエルフと人間、魔族がいるわけ?」
千尋はゴブリンの存在を知っているが、口には出さなかった。ターニャから情報を引き出すまでは、彼女の精神が安定していなければならないからだ。
「ほかは……。獣人、ダークエルフ、あとは……魔物だな」
ターニャは自分を落ち着かせる為に両手でお湯をすくい、それを眺めては流すのを何度か繰り返すと決心したように話し出す。
「何でも魔族たちが地下世界で繁栄して交配していたらしいの。種族としては長命なのだけど、まれに能力の低い短命種が生まれたみたい。で……短命な種族ほど……その……、性欲がつよいみたいで交雑して魔物になったって話だ」
短命で能力が低いほど性欲が強い、人間もそうだと千尋は茶化そうと思ったが、自分もそのくくりの中にいるのを思い出して、言うのをやめた。
「あとは魔族は研究や、実験が好きだから他種族との交配を好む者もいたらしくて、魔物と人の間に獣人、魔族とエルフの間にダークエルフと言う種族がいるらしい。獣人は見かけるけど……。私はダークエルフは見たことがないわね」
こんなところと言いたげにターニャは背伸びをして風呂を上がる。ターニャの鍛えられた健康な肉体を滑るようにお湯が流れる。千尋もあとに続き湯船から上がる。好奇心に大きな胸を膨らませて。




