笑顔の怪物
「無理に決まってるだろ!」
ターニャは大声を出してしまい、ハッと口元を抑える。地下牢には他に人はなく、心配する要素は皆無だが、それだけ千尋の発言はターニャにとって衝撃だった。
「アリシアが不幸になるのが、わかっているのに黙って見ているの?」
その千尋の言葉は、ターニャの胸に深く突き刺さる。そうなればターニャもアリシアを不幸に陥れる一員だ。守るべきものを守らずに、逃げるようなことは、亡き姉の生き方を否定する事にもなる。
「……いや、しかし」
「大丈夫、私が女だと知っているのは、ターニャ。あなただけよ?」
千尋は優しい声でターニャを諭すように話しかけると、またオックスフォードシャツのボタンを少し開けて、胸元を強調するようにしながらサラシを少しずつ引き抜いていく。
その姿が官能的で、同性のターニャも目が離せなかった。ターニャがゴクリと生唾を飲み込むと、千尋はとても満足げに微笑む。最後までサラシが引き抜かれると、ターニャは自分よりも大きな胸の千尋を見て、唖然とする。
「これでかつらとメイド服でもあれば、誰も分からない……でしょ?」
もはや別人だった。腰をくねらせ千尋が女性として振る舞えば、分かるものはいないだろう。
「かつらは無い……。メイド服は使用人の館から、持って来られる」
ターニャは肩を落としながら話す。力なく項垂れているが、その発言は千尋のとんでもない計画に加担するということだ。それでも、アリシアを救うすべを持たないターニャに、代案はなかった。
「ありがとうターニャ。感謝するわ」
千尋がわざとらしくウインクをすると、ターニャは怪訝そうな顔をする。
「何だ、それは……?ふざけているのか……」
異世界にウインクの文化がない事に千尋は、少し驚いたような顔をする。礼法しかり、まずはこの異世界。新世界の事を学ぶ必要があるようだと千尋は鼻を鳴らす。
「なるほどね……。メイド服よろしく。このじめついた雰囲気は嫌いではないけど、長居するところじゃない」
一時間ほど経っただろうか。身の丈が同じくらいの千尋に合うように、ターニャは自分でも着られそうなメイド服を持ってきた。
鉄格子越しに受け取った千尋は、恥ずかしがるわけでもなく、ターニャの目の前で着替え始める。ターニャはその様子を見ながら、同じ女性の中にあんな狂気が内包されている事に、薄ら寒いものを感じていた。
「大丈夫、上手くいくわ」
ターニャの心配をよそに、千尋はメイド服に着替え終わるとスカートの中、左足の太ももに愛用のダマスカスナイフを隠すと立ち上がり、体を動かし確認する。
「少し胸がきついけど、サラシで巻いてるほどではないし、よしとしましょうか」
ターニャはため息をつき、牢屋の鍵を開ける。
「本当に大丈夫なんだろうな……?」
ターニャが睨みつけるような視線で、千尋を見る。すると千尋は、メイドらしくスカートの裾を持って一礼すると牢屋から出てくる。
「大丈夫。それに……。後悔しても、もう遅いわよ?あなたは共犯者だもの」
そんな千尋の行動と言葉に、ターニャの顔が引きつる。そんなターニャの反応に、満足げな微笑みを見せる千尋は、自分が着ていた服をターニャに渡すと、階段を顎で指す。
メイドが騎士に指図をしているようで滑稽だが、ターニャは全てにおいて、千尋に勝てる気がしなかった。ターニャはため息を一つ吐くと、渋々指示に従い先導する。
地下牢からの地上に上がる螺旋階段は、所々に飾られた燭台の火が石レンガの壁を照らしている。昔からあるのか作りの悪い階段は、踝が隠れるメイドの長いスカートでは歩きづらそうだが、千尋はスカートの裾を持ち上げ、器用に進む。
「……何でも、出来るんだな?」
ターニャが振り返り、メイド姿でも顔色一つ変えない千尋に、訝しげに視線を送る。その視線の意味に気がついた千尋は鼻を鳴らし自嘲すると、独り言か質問がわからないようなターニャの呟きに答える。
「育ちがいいのよ」
育ちが良かったら、そうはならないだろうとターニャは思ったが、口に出す勇気もなく何事もなかったように階段を上り始め、二人は一階の廊下に出る。窓の外には、千尋の知る月よりは大きな月が出ていた。千尋がこの世界に来て2度目の夜が訪れていた。その月明かりが、フィル・ブライヤ家の廊下に敷かれた赤い絨毯を、鮮やかに照らしている。
ターニャが後ろを振り返れば、千尋がメイド然とした歩き方で、ターニャに付き従い歩いている。月明かりで照らされた千尋は、あの張り付いたような笑顔でターニャを見つめている。
その千尋の姿にターニャが薄気味悪さを感じていると、千尋が歩みを止める。ほかの部屋とは異なり、扉のない入り口に違和感を覚えたようだ。
「そこは、浴場だ」
立ち止まった千尋に、ターニャが答える。
「何故扉がないの?」
「閉め切ってたら、中がカビ臭くなるだろ?」
換気扇などありもしない屋敷に浴場となると、換気の手段として扉を無くすということのようだ。千尋は自分の知識と異なり、違う世界の建物なりの事情に、好奇心を刺激されターニャを見る。
「……入るわよ」
「はぁ?」
ターニャが困惑しているのを尻目に、千尋はお風呂と言われた部屋に入っていく。取り残されたように佇むターニャを、千尋は振り返ると言葉を付け加える。
「危険人物を、一人にする気?」
そう言うと千尋は、ニヤリと笑って部屋の奥に消えていく。千尋にそう言われ、ハッとしてターニャは追いかけていく。脱衣所まで追いかけると、千尋は早速メイド服を脱ぎ始めていた。
幾つかの棚と籠がある脱衣所は、湿気の多さから少しじめっとしている。木の床は所々黒く染まっており、独特の生乾きの匂いと少しばかりかび臭さを感じさせる。
千尋は、脱いだメイド服を軽く畳んで籠に入れる。裸になってみると、千尋はスラリとしながらも胸は大きく、女性的な柔らかさを感じさせる瑞々しい肌をしている。
ターニャは服を脱ぎながら、つい自分と千尋を見比べてしまう。ターニャは日々の鍛錬の結果、発達した筋肉が硬く隆起した四肢、日焼けで褐色になった肌に、千尋程ではない胸に惨めな気分になる。見比べられているのに気がついた千尋は、ターニャを鼻で笑う。
「何でもかんでも自分の物差しで見ないことね。あなたと私は違うもの……」
時折、この異常者はまともなことを言う。千尋自身の物差しは、すでに直線が測れないほどに歪んでいるのにも関わらず。
そんな真っ当なことを言われたターニャは、気恥ずかしさを隠すように一足早く浴場へと入っていく。
千尋は久々の入浴を楽しむように微笑むと、ゆっくり浴場へと向かった。




