サイコパス、中庭へ征く
翌日、フィル・ブライヤ領主の家に新しいメイドがやってきた。ターニャの友人でアリシアが懇意にしていた女性を紹介したいという設定で、アリシアから執事長と家政婦長に紹介された千尋はカレンと名乗り、深々と礼をする。
「カレン・リュグネリンです。この度はお二人の貴重な時間を賜りましたことをまずは御礼申し上げます」
良家の娘のように挨拶した千尋改め、カレンを驚きの表情で執事長と家政婦長の二人は見つめる。アリシアに答えを求めるように二人の視線が集中する。
「私の側仕えになって頂こうかと思いまして…」
「それは結構なことですが…」
執事長が見事に白くなった顎髭を撫でながら千尋を見つめる。アリシアの言葉に肯定とも否定とも取れない微妙な発言をした執事長は齢70は超えたかという男性で、領主の家で長く勤めた経験が刻まれた硬く、そして深くしわの入った手。年の割に背筋がしっかり伸びた長身に執事服をしっかりと着込んでいる。執事服から伸びる首は贅肉はなく細い。シワは多いものの丸みを帯びた顔つきで好々爺という印象、髪の毛は完全な白髪で薄くなる訳でもなくハリを保っている。
そんな執事長を千尋は愚直で真面目、空気を読むことに長けるが、決断をさける八方美人な性格。健康的で規則正しい生活をしていると結論付ける。
「しかしですねぇ…」
どちらとも取れない執事長の反応に比べて、やんわりと否定の意思を見せた家政婦長は30代後半といった年齢もそうだが見た目から千尋に違和感を感じさせる。しっかりと結われた黒髪を頭を覆うような大きな白いシニヨンカバーに収めている。面長の顔に細めの眼鏡、薄い頬骨に細い顎。真面目すぎていかにも神経衰弱しそうな見た目の女性が、家政婦長というのが千尋には疑問だった。
「失礼ですが家政婦長はお努め長いのですか?」
「私は10年とちょっとですね」
家政婦長にしては短くないかと思いながら見つめる千尋を見てため息をつき、家政婦長は話し始める。
「メイドはあまり長く勤めているものがありません」
「何があるのですか」
「暇をもらうメイドが多いのです」
要は辞めていくメイドが多いということだろう。デボネアの嫌がらせか何かだろうと思い、千尋は内心鼻で笑う。
「お優しいのですね、家政婦長様は…私も嫌な思いをするのではないかと心配してくださっています」
女神に慈しみを授かる聖女のように胸に手を当てる千尋は、慎ましく思慮深い印象を他者に与える。その様子を見ているアリシアは千尋が女神に見えるのか同じように胸に手を当てている。
「ち…、カレンさん」
アリシアが千尋の名前を言いかけたので千尋は張り付いた笑顔でアリシアを一瞥する。表向きの主従と彼女たちの内心の主従が逆転していると、ターニャがこの場にいたら思ったことだろう。
そんな事とは露知らず、千尋の思慮深さに執事長、家政婦長の2人は顔を見合わせる。この娘なら或いはデボネアとも上手くやれるのではないかと頷き合い思っているようだった。
「私は執事長のハロルドだ。アリシア様付きのメイドを希望ということだったな」
「はい、ハロルド様。懇意にしていただいているアリシア様の元でお役に立ちたいと思っております」
千尋はまた最初のように深々と礼をする。
「ではわたし、家政婦長のカッツェが面倒を見ます。メイドとしての作法もろもろ覚えていただきますよ?」
「はい、もちろんです」
深々と礼をしていた千尋が顔を上げて2人に向けて穏やかな笑顔を向ける。こうしてフィル・ブライヤ領主の家に新しいメイド、カレン・リュグネリンと言う嘘つきメイドが誕生した。
そこから数日は家政婦のカッツェから、この世界のメイドとしてのいろはを千尋は叩き込まれる。中世のように貴族主義社会のこの世界ではメイドの作法も、常に貴族にへりくだるものだった。家長にお尻を向けてならないとか、飲み物を差し出すときは傅き必ず両手で扱わなければならないなど、無法者でありながらも法の下の平等が約束された世界から来た千尋には、ごっこ遊びのように見えて滑稽だった。
滑稽なごっこ遊びだから千尋は一度見れば、家政婦長顔負けで再現してしまう。それを見て家政婦長カッツェは目を丸くする。
「カレン。あなたは何処から来たのですか?」
カッツェが眼鏡をかけ直しながら問いかけると千尋こと、カレンは少し俯くようにして応える。
「以前は厳しい屋敷におりました」
実父と過ごした牢獄のような家の話だった。全てにおいて厳しい実父はいつか嫁に行くならと芸術、文化、作法などにも厳しかった。手塩にかけた娘が快楽殺人者となり、揚げ句、異世界に転移し行方不明。千尋の実父は今頃何を感じているのだろう。
「そうなのですね」
千尋の言葉と仕草にカッツェは何かを感じたように瞬きを繰り返す、カッツェの頭の大きなシニヨンカバーが不自然に揺れ、千尋は注目する。
「カッツェ様、頭に何かついてらっしゃいます?」
家政婦長のカッツェはしまったというように顔をしかめる。何故顔をしかめるのか分かりかねる千尋は首をかしげて不思議そうに見つめる。真面目で神経衰弱の毛のあるカッツェは千尋が追求するでもなく見つめてくるだけと言う状況に根負けしたのか、ため息をつきながら頭のシニヨンカバーを外す。すると人としての耳とは別に髪の毛から顔を出すように猫のような耳がピョンと立っている。
千尋は初めて獣人を見た喜びと驚き、見た目が10歳若かったら殺してあげたのにという思いが混ざり合った複雑な表情をする。それは傍目から見たら困惑しているように見えたのか、カッツェは申し訳なさそうな顔をする。
「獣人はお嫌いですか?カレン」
珍しく呆然としていた千尋にカッツェは声をかける。
「いえ…、まさかカッツェ様が獣人だったとは思わず…。私に獣人に対する他意はありません」
非礼を詫びるように千尋はメイドの作法に習い礼をする。誤解が解けたようでカッツェの表情は柔らかくなり、再びシニヨンカバーを取り付けると、獣人とは思えない家政婦長の姿に戻る。
「それでは、少し休憩にしましょう。少し話したいこともありますし…」
家政婦長らしく背筋を正して千尋に話しかけたカッツェ。メイド修行の終わりも近いのかもしれない。
使用人の屋敷で千尋とカッツェは昼食をとっていた。パンと質素ながら野菜のスープ、動物の内臓を煮込んで野菜と混ぜたラタトゥイユのような料理がメインだった。その料理をメイドというより、貴族のように綺麗に食事をする千尋にもう慣れた様子のカッツェは食事をしながら話し始める。
「教育はもういいでしょう。午後からはアリシア様の側仕えとして働きなさい」
千尋は静かに持っていたカトラリーを置くとナプキンで口を拭く。これらの行動が自然に出るのが景山千尋と言う女だ。
「ありがとうございます」
驚くわけでも喜ぶわけでもなく、当然というように微笑み、礼をいうと千尋は食事を再開する。
「獣人の方とはあまりお会いしたことがないので、いくつか聞いてもよろしいでしょうか?」
千尋の様にカトラリーを置いたカッツェだが優雅さよりも、警戒の色が濃いようで張り詰めた空気になる。しかしその空気を壊したのは、その張り詰めた空気を作った千尋だった。
「しっぽはあるのですか?」
どんな質問が来るのかと思い警戒していたカッツェは、目を輝かせる千尋の質問がまるで子供のそれの様に感じて失笑する。
「あります」
「見せていただけます?」
食い気味に質問する千尋に私は家政婦長ですよと言いたいのだろうか、カッツェは眼鏡をかけ直して厳しく言い放った。
「ダメです」
「遠くの音がよく聞こえるとか、匂いに敏感とか、目がいいとかないのですか?」
拒否されたのに矢継ぎ早に質問してくる千尋に、少し驚きを隠せないカッツェ。こんな一面もあるのかとハトが豆鉄砲を食らったような顔をする。
「…耳は、確かに聞こえがいいようです」
めんどくさそうに応えるカッツェのシニヨンカバーがまた揺れる。猫と同じで感情で動くのだろうかと思い、質問しようとした千尋は、カッツェの眼鏡が光るのを見てやめた。
ようやくアリシア付きのメイドとして活動を開始した千尋は、散歩兼見回りがてら中庭を通っていた。中庭の中央には大きな噴水があり、そのおかげで気持ちのよい風が吹いてくる。
千尋が風に運ばれてくる花の香りに誘われながら散策していると。花壇の前に座り込んでいる男性を発見する。華奢というのがぴったりな細い身体、コケた頬に長い髪。うなじの辺りでまとめられているが、よく頭をかくのか乱れているが気にしている様子はない。服装はそこらの貴族よりは豪華で、この男こそがデボネアの婿養子、ノアだと千尋は確信した。
「もしかして……。ノア様ですか?」
花壇前で花をいじっていたノアは急に話しかけられて、驚いたように千尋を見上げる。その目は千尋を見ているようでキョロキョロと動き、瞳孔が開いている。極度のストレスを感じている様子に、千尋はノアが女性に見下される事に恐怖心があると思い、ノアに視線を合わせるようにしゃがんだ。
「な、な、なんだ。き、き、き、君はメイド?」
激しく吃りながら話す男に、ノアかどうか聞いただろうがと内心唾を吐きたくなる千尋だったが、そんな事を一切感じさせずに優しい目で花壇を見る。そうやって同好の士、理解者を演じれば、日々蔑ろにされているこの男の懐に容易く入ることが出来ると千尋は思っているようだ。
「綺麗な花ですね」
ターニャが見たら背筋を震わせ逃げ出しそうな満面の笑顔を向けられた男は、少し嬉しそうに口角を上げる。
「きき、君も花が好きなの?」
「はい、好きです!」
千尋はわざと目線を合わせて満面の笑顔のまま答える。その時中庭に風が吹いて千尋の髪と花畑が揺れる。花の香りに千尋のフェロモンが含まれた風は、男の鼻腔から脳に向けて刺激的に駆け抜ける。
「ぼ、ぼくは…、ノノ、ノ、ノア」
下を向きながら必死に名前をいったノアに、もう知ってるとノアが視線を落とした瞬間だけ千尋が顔をしかめ不快感をあらわにしていると、ハッと思い出したようにノアが顔を上げる。
「ぼ、ぼ、ぼくといると…あ、あぶ、危ないから」
「デボネア様ですか?」
デボネアの名前を口にしながら千尋は立ち上がるとノアに手を差し出す。ノアは理由も分からずにその手を取った。ノアを立たせながら千尋は微笑みながら語りかける。
「お優しいのですね?でも私は大丈夫です。アリシア様の側仕えですので」
千尋はまた無敵の満面の笑顔を向けるとノアに何も言わずに歩き出す。ノアが名残惜しそうに千尋の背中を見つめていると千尋が振り返る。
「カレンです、またここでお会いしましょう?」
コクリとノアが頷くと千尋は手を振って屋敷に消えていく。ノアは残り香を楽しむ様に大きく息を吸って、笑った。
屋敷の大広間に入ると正面にアンドレアスの美化された肖像画が大きく飾られており、千尋は理解に苦しむ。自分と乖離したものを自分と認識する神経が理解出来なかった。
すると階段の踊り場から声をかけられる。
「見ない顔ね」
千尋が見たのは赤い髪、赤い髪だった。30手前くらいの女性。だが首と手を見ると少しくたびれていて、肌荒れが多くストレスを感じやすいと思われる、その女性の実年齢がわからないと殺せないじゃないかと必死に千尋が観察していると、一人思い当たる人物がいた。デボネアだ。
「ノアと何を話していたの?」
「カレンと申します。お花の話と今日から働くことになったご挨拶ですわ。デボネア様」
動じることもなく答える千尋にデボネアは面食らっていた。父の威を借りなければ何も持ち合わせていない矮小な女でそれを誤魔化すために攻撃的な行動を取るというのが千尋の最新の見立てだ。実はストレスを抱えているというのが実際に会って分かった。
「カレン、ノアには近づかないように」
「善処しますデボネア様。私はアリシア様の側仕えですので、御用の際は何なりと」
奥歯をギリギリと噛み締める音が聞こえそうなほど顔を歪めるデボネア。並のメイドなら父アンドレアスの威光、デボネアの目つきの悪い顔に恐怖を感じる。そしてデボネアは自分の弱点を隠すように暴力を振るうのだろうが、千尋は何食わぬ顔で教わっていたメイド式の礼をして、屈服はしないとデボネアにアピールするような笑顔を向ける千尋の目はデボネアの赤い髪を見て、薄ら笑いを浮かべているのだった。
その頃アリシアの部屋ではターニャとアリシアが談笑している最中だった。開け放たれた窓からは深緑の広葉樹が冷やしてくれた、心地よい風が吹いてきていた。
「千尋が居ないと平和ですね」
お茶のご相伴にあずかりながら、久々の穏やかな日常をターニャは満喫していた。千尋がいるとターニャかアリシアどちらかが千尋のおもちゃになっている。改めて護衛のターニャは今度会ったときは一泡吹かせると鼻息を荒くする。
「ターニャは千尋様に厳しいですね?」
「アリシア様が甘いのです。領主の娘があのようなものに御心を開いてはいけませんよ?」
ビシッと指を立ててターニャはアリシアを指導する。そんな何気ないやり取りも千尋がいなければ出来て居なかっただろうとアリシアは苦笑し、ターニャの意見をハイハイと流しながら聞いている。
「ターニャだってそれなりに千尋様を信じているのでは?」
ターニャは二の句が継げなかった。実際にアリシアを助けるために千尋は行動しているように見える。メイドになり安全な居場所を作る為に動いている。内心ちょっと見直していたが、図星を突かれても素直になれないターニャがいた。気まずそうなターニャが咳払いして程なく、ノックもなしに入ってきたのはデボネアを適当にあしらったメイド姿の千尋だった。突然の出来事に2人は仰天したあと、ターニャは怒りの顔、アリシアは喜びの顔を浮かべている。当然のように千尋も椅子に座るとアリシアがお茶入れ始める。
「ありがとうアリシア。これから側仕えのメイドになるから、よろしく」
「それがメイドになる報告を主にする態度か!」
立ち上がり、両手をテーブルに付きターニャはわなわなと震えている。アリシアが目の前にいなければ殴りかかりそうな形相だ。
「何か問題がある、アリシア?」
「ありません!」
アリシアが飼い犬のように返事をすると千尋はアリシアの頭を撫でる。その姿はまさに飼い主と犬である。
「だそうよ?」
勝ち誇るようにターニャを一瞥するとお茶を飲み始めた。結局先ほどのターニャの決心はもろくも砕けたのだった。
「ノアとデボネアに会ったわ」
「お二人に?」
アリシアとターニャの返事が揃った。それでと聞きたいように二人ともテーブルに前のめり気味になる。
「あれはだいぶ抱え込んでるわね?」
「抱え込んでる?」
これまた二人の返事は揃う。デボネアは偉そうに振る舞い、いつも手ぶらで、デボネアに付き従い後ろを歩くノアが何かを抱えているは二人は見たことがない。
「昔、私の世界に二虎競食って話があるのよ」
さっぱりわからないとまさに中世な反応をする2人を見て、当たり前かと千尋は自嘲気味に鼻で笑う。
「虎と虎の間に餌をおけば奪い合い共倒れするって話…」
「虎と、虎?」
「デボネア様が虎というのは分かるが…」
二人とも分かっていないと言う顔で千尋を見ている。二人にはノアはネズミか何かに見えているのだろう。だが千尋から見ればサーカスの虎だ。抑圧され押さえつけられた感情が爆発すれば、あの男は虎になる。千尋はノアのあの激しくキョロキョロと動く目を思い出し、次の一手を考えていた。




