地下牢から始める侵略計画
「ガラにもないことをしてしまったな……」
地下牢の中にある樽に座りながら千尋は珍しく反省していた。アンドレアスの態度が実父のそれと似ており、アリシアと自分を重ねてしまったのかと冷静に考えながら、窮屈な胸に手を当てる。
地下牢はジメジメとしたかび臭い湿気が充満していた。鉄格子こそ立派だが、朽ちかけの石のレンガ壁などを見ると、地下水が雨漏りのように滴り、定期的に水滴の落ちる音が響いている。
ぎこちなく階段を降りてくる足音と、甲冑の擦れる音がする。来客かと千尋が階段の方に目をやると、ターニャが警戒心をあらわにしながら歩み寄ってきていた。
「やあ、ターニャ?」
千尋は張り付いた嘘っぽい笑顔をターニャに向けると、その顔をターニャがランタンで照らし、顔をしかめる。
「随分気乗りしていない感じの足音だったね?」
千尋が看破するように口を開く。ターニャは素性の怪しい千尋に警戒しながらも、今はいない守衛の椅子に腰掛け、千尋と向き合う。
「好きできたわけじゃないからな?随分知ったような口の聞き方だな……」
「分かるんだから仕方ない……。アリシアへの忠義から、私を見極めにきたのだろう?」
ターニャがまたランタンを掲げて千尋の顔を照らす。千尋は愉快そうに頬杖をついて、笑みを浮かべている。ターニャは図星を突かれ、返答が思いつかずに無言で応える。
「後は……、君が騎士団の一員でないこととか?」
ターニャは驚愕したような顔をしたあと、千尋を睨みつける。
「誰から聞いた……」
「誰からも聞いてないよ、見たら分かる。騎士団の寄宿舎に居場所はない。だから君は使用人の屋敷の中に運ばれていった。それに君の鎧は騎士団の物とは違い粗末だ。アリシアが他のにしろと言っていたという事は、君の私物なのだろう?」
少し早口で千尋が言う言葉を、ターニャはそのとおりだと無言で頷き応える。千尋から目を放せずに瞬きすら出来ない。瞬きの瞬間に襲われるのでないかと、ありもしない妄想にターニャは支配されていた。
「何故君がそんな粗末な物を鎧にしているかは、君が天涯孤独で貧乏だからだ。ゴブリンと対峙したとき、君は剣を振り回して狼狽していた。あの小鬼どもが苦手なんだろう?」
ターニャは無言で肯定していた。何故、そんな事が分かるのか、恐怖を感じて立ち上がり、後ずさりすると壁にぶつかり背中に壁をつたう地下水が触れ、薄ら寒いものを身も心も感じていた。その反応に満足げに千尋は話を続ける。
「襲われた経験がなければ恐怖などしない。でも、君の露出の多い身体には傷がない」
その先を聞きたくないとターニャは耳を塞ぎしゃがみ込む。
「やめてくれ!」
ターニャは耳を塞ぎ、しゃがみ込みながら千尋を睨みつける。千尋が喋り終ったのを確認して、ターニャは胸を押さえながら立ち上がろうとした時、千尋は改めて口を開く。
「襲われたのは家族だ。君を庇って死んだんだ。父親か?母親か?兄弟か?」
ターニャは兄弟と言われて悲鳴を上げる。近くにあった水差しを千尋に投げつけるが、牢屋の鉄格子は中の囚人の安全を守るためにも機能した。握り拳も出せないような鉄格子に水差しがぶつかり、雫が千尋にかかる。千尋は満足げな表情を浮かべ、顔にかかった雫を拭き取り舐める。
「兄弟と言う言葉に反応していたね?庇うからには兄か姉か……」
ターニャは涙目で千尋を睨み、肩で息をしている。これ以上ターニャを追い詰めたら壊れてしまう。おもちゃはすぐ壊れる、先日傘の娘を刺したときに学んだことだと千尋は自重する。
ターニャにとっては千尋は会話するゴブリンだ。それが知性的で人の機微を見抜き、そしてアリシア、ランドルフに気に入られて懐に入り込んだ。ゴブリン以上の怪物だ。
ターニャが目覚めた時、千尋はアンドレアスに食ってかかり、投獄されたと聞いて驚きを禁じ得なかった。
たったひと言、「何を企んでいる」と自分の言いたいことをこの男に言うために、随分と勇気がいる。のどが渇いていくのを実感しながら、ターニャはまたランタンで千尋の顔を照らす。
千尋の顔は小顔でまつげが長く、髪は短いが端正な顔立ちで、中性的というよりは女性寄りだ。気持ちを落ち着かせようと、ターニャは何気ないことを口にする。
「お前……。よく見れば女のような顔だな?」
「よくわかったね?」
ターニャはランタンを落としそうになる程に動揺する。目の前のこの人間は見慣れないが、男の服装をしている。
「は?お前は何を言って……」
ターニャの動揺を楽しむように千尋は、血で汚れたオックスフォードシャツのボタンを外していく。そして、サラシに巻かれた胸部があらわになる。ターニャは確信を得たが、信じられないという顔で千尋を見る。
「元々君たちとは違う世界に私は居たみたい。多分ね」
ターニャは聞いた事があった。異世界から迷い込み、魔王を滅ぼした勇者のおとぎ話……。誰もが憧れる英雄譚だ。あのような粗暴で、殺戮を楽しむような戦い方をする者が、勇者であるはずないと、ターニャの首筋に冷や汗が流れる。
「まさか、勇者……」
思っていたことがターニャの口から出ていた。その言葉にシャツのボタンを閉めながら千尋は、心底愉快そうに笑う。快楽殺人者を捕まえて、勇者とは滑稽もいいところだった。
「勇者なわけないでしょ、元の世界では暗殺者のような仕事をしていたから……。このほうが都合がいいの」
千尋は嘘をついた。普段は女性として生活し、男性のふりをして人を殺していたという事実に、暗殺者と言う嘘を混ぜる。すると行動、思考にブレが無くなり、俄然真実味を増す。
「暗殺者……」
ターニャはゴブリンとの戦闘を思い出す。暗殺者ならと、妙に納得がいってしまう粗暴な戦い方。またゴブリンのことを思い出してしまい少し身震いする。
「アリシアを助けてあげたいんだ。あの娘は私に似ている。支配的な父親に押さえつけられて成長し、私は暗殺者として生きることになった」
またサラリと嘘を混ぜる。父親が母親を殴り、流血沙汰が千尋の日常だった。結果、流血、血の色、赤色を身につけた女性に固執する快楽殺人者へと、歪んだ成長を遂げただけ。そして、また千尋が口を開く。
「アリシアも同じだ。領主の父に押さえつけられて、望まない結婚、政治の道具になり不幸になる」
それはターニャも思っていた事だ。アリシアを待っている暗い未来を想像して胸が痛み、その胸元を隠す甲冑の上から胸を押さえる。
そのターニャの様子を見た千尋は鉄格子に手をかけ、今まで見せたことのない慈愛に満ちた表情で言う。
「だからターニャ……、私を出してもらえない?」
その千尋の表情は、ゴブリンに殺されても尚、ターニャを守り、ターニャに向けられた姉の優しい表情にそっくりだった。
◆作者よりあとがきとお願い◆
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