サイコパス、寝室に征く
日付が変わろうかと言う頃、アリシアの寝室からは絨毯の上を歩き回る音がしていた。控えめな調度品と歩き回るアリシアを月明かりが照らしている。寝巻きに着替えたアリシアは帰らないターニャと獄中の千尋が心配で気が気でなかった。アリシアは歩き回るのに疲れたのか高さのあるベッドに腰掛ける。
「あの優しい千尋様の魅力にターニャが抗えず2人は…、まさかそんな!」
頭の中であらぬ妄想をして、天蓋がついたふかふかのベッドの上を転がる。頭と寝巻きは乱れ、ベッドの上でハァハァと肩で息をし始めた。その頬を赤らめ恍惚した表情で口元はだらしなく開いていく。アリシアがさみしい気持ちを慰めるために手を動かそうとしたその時。
「アリシア様、失礼します」
扉の外からターニャの声がしてノックがあった。見られてもいないのにアリシアは狼狽しふかふかだが高さのあるベッドから転げ落ち、ゴンっと大きな音がする。
「アリシア様!」
異音に血相を変えてターニャが部屋に押し入ると、アリシアはベッドから転げ落ちたところだった。絨毯のお陰でアリシアに怪我はないが強かに落ちたアリシアは腰をさすりながら、照れ笑いを浮かべてターニャを見上げる。
「ターニャ、ご苦労様でした。それ…で…」
ターニャを労いながら話しかけようとした時、ターニャの後ろには静かに微笑む見慣れないメイドがいた。メイド服のスカートの裾を掴み、少し屈みながらアリシアに礼をする。
「アリシア様、お怪我はありませんか?」
優しくアリシアを心配するメイドの声。そのメイドの所作を見て、何故かターニャは頬をかいて気まずそうな顔をしている。アリシアには何もかもが分からなかった。千尋に会いに行ったターニャが何故かメイドを連れて帰ってきて、自分に申し訳なさそうな顔をするのか。
「ターニャ?」
アリシアがターニャに話しかけた時、メイドが左手でアリシアの口元を塞ぎ、右手の人差し指を立てて、シーッと僅かに音を立てる。不躾なメイドをたしなめるより混乱が勝ったアリシアに、ターニャは諦めたようにつぶやく。
「千尋です」
千尋はアリシアの口元に当てた手に力を込める。驚天動地と感情を爆発させたアリシアの叫び声は千尋の左手に吸い込まれていく。涙目になりながらも落ち着いたアリシアの手を千尋が話すと、まだ興奮が残っているアリシアは大きめの声を出してしまう。
「千尋様がなぜ女性に!」
再び、千尋はシーッと人差し指を立てる。その顔は怒っているというよりは楽しんでいるようで、それが余計にアリシアを混乱させる。助け舟を出すようにターニャが補足する。
「女性だったのです、千尋は…。胸は布を巻いて隠しておりました…」
アリシアは呆然と千尋を見る、ちょうど腰を曲げ、上半身をアリシアに向けられている千尋の豊満な胸の谷間が目に飛び込んできて、思わず自分の発達途上の胸と見比べてしまう。
「本当に?千尋様が女性…」
胸に吸い寄せられるように見入るアリシアをからかうように千尋は胸を寄せる。すると胸の谷間がより深くなり見ているものを誘惑するようだ。
「触ってみますか?」
明らかに千尋はアリシアをからかっているが、アリシアは言葉を真に受けて素直に千尋の胸元に手を伸ばそうとする。
「千尋、アリシア様に失礼だろう!」
ターニャが食ってかかるように千尋の肩を掴み止めようとするが、アリシアの指先は千尋の胸の間に吸い込まれていた。胸の柔らかさにだらしなく呆けた顔をしたアリシアを見て、ターニャは頭を抱える。
「こうやって受け入れさせたほうが話が早いでしょ?」
アリシアに胸を弄ぼれながら平然とした顔で応える千尋に、ターニャはその異常性を再認識させられる。
「アリシア様に何かしてみろ。ただでは置かないからな!」
「何かされているのは私よ?」
揚げ足を取り千尋はニヤリと笑う。ターニャはやはり野蛮で危険な会話するゴブリンだと再認識しつつ、言い勝てない不甲斐なさに憤りを感じていた。
「私の目の黒いうちはターニャ様におかしなことはさせないからな!」
ターニャはアリシアを千尋から引き剥がすと、アリシアも我に返ったかのように赤面する。
「千尋様が女性というのはよくわかりました…」
「そう、それは何より…」
千尋は立ち上がるとメイド服の裾の埃を払い、アリシアのベッドに腰掛けて足を組む。まるで自分が一番偉いと言わんばかりの不遜な態度でアリシアとターニャを見る。
「で、この家はどうなっているの?」
アリシアは自分のベッドが占領されていることに異論はないのか、無沈着なのか。はたまた考えるよりも先に千尋に家の事を聞かれて虚を突かれたのか不思議そうな顔をしている。ターニャは千尋に抗議しようとして一歩踏み出したが、話す前に千尋に手で制されてしまい言葉が出ないようだ。
「あの領主…、名前は…」
「父はアンドレアスです」
ああ、と千尋は口を開き。思い出したのか口角を上げて笑う。
「忘れてたわ、あなたの父親…。何が好きとかある?。ほかに家族は?」
言葉以外の情報も得ようと千尋はアリシアを見つめる。その視線に気圧されながらもアリシアはポツポツと話し始める。
「父はお酒を嗜みます。柑橘系の果実酒が好きで、よく深酒をしては執事長のハロルドが困っています。家族は姉が2人います。長女はデボネア。次女はマリアベルです」
「母親は?」
千尋が母親の事を聞くとアリシアの顔が曇る。ろくな死に方をしていないなと千尋は思ったが、もういない者の話よりもいる者のことが知りたかった。
「母親はいいわ。姉2人の事を教えて欲しい。性格や好き嫌い」
「好き嫌いですか?」
アリシアの為にターニャは椅子を持ってきた。これはメイドのお前の仕事だとターニャは千尋を睨んだが、千尋はさらりと交わす。
「ありがとうターニャ、アリシア座って?」
どうあっても主導権は譲る気がない千尋にターニャは呆れたように肩を落とし、アリシアは苦笑している。アリシアは千尋に再度見つめられて、慌てて話し始める。
「デボネアは…。嫉妬深くてプライドが高いです。自分が一番でないと気がすみません。人に厳しくて何かあるとすぐに怒ります。あとは結婚して婿養子を取っています」
伏し目がちに話すアリシアの姿を見た千尋は、アリシアが父アンドレアスと同じように、このデボネアと言う姉のことも苦手なのだろうと認識する。
「女版のアンドレアスね?」
千尋の言葉がグサリと刺さりアリシアは下を向く。下を向いて項垂れるということは千尋の見立ては間違っていないようだ。
「好き嫌いはいいわ、婿養子について教えて」
「えっ…?」
「どうせ好きなものは自分でしょうし、嫌いなものは自分よりも優れた存在でしょ」
つまらなそうに千尋が言った言葉は正解だったようで、アリシアは驚きを隠せないでいるが、千尋は何故わかったかを説明する気はないようだ。助け舟を求めるようにターニャをみるが、ターニャも答えを持ち合わせておらず苦笑するしかない。答えをあきらめてアリシアはデボネアの話を続ける。
「婿養子のノアは気弱です。いつもデボネアに怒られていて、付き従っています。」
「そのノアの好きなことは?」
アリシアは何かあっただろうかと考えているように指先を顎に当てて左斜め上に視線を送る。千尋はその姿を見て、ノアの言う男の無個性というべき個性を認識していた。義理とはいえ家族の事を必死に思い出さなければならない印象の薄さが全てを物語っている。
「…花が好き?」
「花?」
意外な答えが出てきて千尋は思わず顔をしかめて聞き返す。
「はい。以前、庭の花に水やって愛でてました」
千尋は考える。一見女性的な趣向、物言わぬモノを愛でるノアの感情を。愛でるなら本来はデボネアだろうが、日常的に怒られているノアはデボネアへの愛情は希薄だろう。かといってメイドなどに手を出せば、デボネアに浮気相手もろとも殺されかねない。だから物言わぬ花を愛でて育てることで、抑圧されている不安やストレスを緩和していると千尋は結論づける。
「突きがいがありそうね…」
「突きがい?」
無言で考え込んでいた千尋が突然口にした言葉をアリシアとターニャは揃ってオウム返しする。その2人を見て千尋はくすりと笑ってこっちの話しと一笑に付した。
「次女は?」
「次女のマリアベルは自由奔放で遊び回っています。家を勘当されて今は…冒険者か何かをしていると噂で聞きました」
アリシアが困ったように微笑みながら話す様を見て、アリシアがマリアベルと言う次女に負の感情を持っていないことが分かる。負の感情があればこんなに微笑みながら話せる内容ではない。
「と言うことは家には居ない?」
アリシアは無言で頷く。大きく頷くその姿は領主の娘というより、千尋の信奉者のように見えて千尋は満足げに微笑む。その微笑みにアリシアは嬉しさから満面の笑みを浮かべるが、その思いは届かずに千尋は苦虫を噛み潰したよう顔をした。
「最後にアリシア、あなたは?」
話題を変えてアリシアの笑顔を消した千尋は、ふぅーと長い息をつく。同じくアリシアも長い息をついて話し出す。
「私は…三女で、何処かの嫁に行かなければなりません」
「それはあなたの好きなこと?嫌いなこと?」
そう言う話がしたかったわけではない千尋は不満そうに目を細めて頬杖をついてアリシアを見る。アリシアはその視線に萎縮しながらも自分の気持ちはしっかりと持っていった。
「嫌いなことです。好きな事は街の人のためになる事をすることです」
「それってあなたの特になるの?」
千尋も利他的行動をしないわけではない。利他的行動を取った結果、利益があるから利己的に利他的行動を取るのだ。だから損得感情なさそうに話すアリシアの事は千尋には理解できない。
「いえ、みんながありがとう言ってくれるくらいで…」
「あっそ…。あなたの父親が許すのそれ?」
長い沈黙があった。千尋の言う通りでアリシアは下町には行くなとアンドレアスに折檻されることが多い。父に自分の思いを塞がれながら生きると点においてはやはり、千尋とアリシアは似ている。
「父親の言う事とあなたの心の中の声、どっちに従うの?」
こう聞けばアリシアは千尋の望む答えをいう確信があった。千尋自身その心の中の声、赤への執着、破壊衝動に従っているからだ。僅かに口角上げてアリシアを問いただした千尋は、アリシアの口が大きく開いた時点で勝利を確信する。
「私の心の中の声です」
「そう。では始めましょうか?あなたと私のための居場所作りを…」




