サイコパス、風呂へ征く
「無理に決まってるでしょ!」
ターニャは大声を出してしまい、ハッと口元を抑える。地下牢には他に人はなく心配する要素は皆無だが、それだけ千尋の発言はターニャにとって衝撃だった。
「大丈夫、私が女だと知っているのは、ターニャ。あなただけ」
千尋は優しい声でターニャを諭すように話しかけると、またオックスフォードシャツのボタンを少し開けて、胸元を強調するようにしながらサラシを少しづつ引き抜いていく。その姿が官能的で、同性のターニャも目が離せない。ターニャがゴクリと生唾を飲み込むと、千尋はとても満足げに微笑んだ。最後までサラシが引き抜かれると、ターニャは自分よりも大きな胸の千尋を見て唖然とする。
「これでかつらとメイド服でも有れば、誰も分からない」
もう別人だった。腰をくねらせ千尋が女性として振る舞えば、分かるものはいないだろう。
「かつらは無い…。メイド服なら持って来られる」
ターニャは肩を落としながら話す。力なく項垂れているが、その発言は千尋のとんでもない計画に加担するということだ。先ほどまで恐怖に麻痺していたターニャの頭は思考が鈍っているように見える。
「ありがとうターニャ。感謝するわ」
千尋がわざとらしくウインクをすると、ターニャは怪訝そうな顔をする。
「何それ?ふざけているの…」
千尋はこちらにはウインクと言う概念が存在しないのだと理解した。まずはこの世界、異世界とも呼ぶべき新世界の事を学ぶ必要があるのだろう。
「なるほどね…。メイド服よろしく。このジメついた雰囲気は嫌いではないけど、長居するところじゃない」
1時間ほど経っただろうか。身の丈が同じくらいの千尋に合うように、ターニャは自分でも着れそうなメイド服を持ってきた。鉄格子越しに受け取った千尋は恥ずかしがるわけでもなく目の前で着替え始める。ターニャはその様子を見ながら、同じ女性の中にあんな狂気が内包されている事に薄ら寒いものを感じていた。男性のように振る舞う事で暗殺を生業にする異世界の住民。
「大丈夫、上手くいくわ」
ターニャの心配をよそに千尋はメイド服に着替え終わるとスカートの中、左足の太ももに愛用のダマスカスナイフを隠すと立ち上がり体を動かし確認する。
「少し胸がきついけど、サラシで巻いてるほどではないし、いいでしょ」
ターニャはため息をつき牢屋の鍵を開けると、千尋はメイドらしくスカートの裾を持って一礼すると牢屋から出てくる。そんな姿を含めてターニャには気持ちの悪い存在にしか見えずに顔が引きつる。そんなターニャの反応を鼻で笑うと千尋は自分が着ていた服をターニャに渡すと階段を顎で指す、メイドが騎士に指図をしているようで滑稽だが、ターニャは全てにおいて千尋に勝てる気がせず、指示に従い先導する。
地下牢から階段を上がると夜が訪れていた。窓から月明かりが差し込んでいる。ターニャが後ろを振り返れば、千尋がメイド然とした歩き方でターニャに付き従い歩いているように見える。月明かりで照らされた千尋はあの張り付いたような笑顔でターニャを見つめる。その姿は事情を知っているターニャにとっては暗殺者が潜入している事実と相まって身震いし改めて思った。本当にこの会話するゴブリンを牢屋から出して良かったのだろうかと。
ターニャが薄気味悪さを感じていると千尋が歩みを止める。ほかの部屋とは異なり扉のない入り口に違和感を覚えたようだ。
「そこはお風呂よ?」
「何故扉がないの?」
「閉め切ってたら中がカビ臭くなるでしょ?」
換気扇などありもしない屋敷に浴場となると換気の手段として扉を無くすということのようだ。自分の知識と異なり、違う世界の建物なりの事情があるようで好奇心を刺激された千尋はターニャを見る。
「…入るわよ?」
「はぁ?」
ターニャが困惑しているのを尻目に千尋はお風呂と言われた部屋に入っていく。取り残されたように佇むターニャを千尋は振り返ると言葉を付け加える。
「危険人物を一人にする気?」
そう言えとニヤリと笑って部屋の奥に消えていく。千尋にそう言われ、ハッとしてターニャは追いかけていく。脱衣所まで追いかけると千尋は早速メイド服を脱ぎ始めていた。少しジメッとした木の床からは独特の生乾きの匂いがする。千尋は脱いだメイド服を軽く畳んで籠に入れる。裸になってみると千尋はスラリとしながらも胸は大きく、女性的な柔らかさを感じさせる瑞々しい肌をしている。ターニャも服を脱ぎながら、つい自分と見比べてしまう。ターニャは鍛錬の結果、発達した筋肉が硬く隆起した四肢、日焼けで褐色になった肌に千尋程ではない胸に惨めな気分になる。見比べられているのに気がついた千尋はターニャを鼻で笑う。
「何でも自分の物差しで見ないことね。持っている物差しが大きいのか小さいのかも分からない、不正確なものに判断を任せていたら真実が分からなくなるでしょ。特に美醜はね」
時折、この異常者はまともなことを言う。千尋自身の物差しはすでに直線が測れないほどに歪んでいるのに。ターニャはそんな真っ当なことを言われて、気恥ずかしさを隠すようにお風呂へと入っていった。
風呂に浸かり千尋は2日分の汚れと疲れ落としていた。領主の家だけあって風呂はまあまあ広く快適だった。お湯が循環しているのか流し口からは常に温かいお湯が出ており、所謂かけ流しの状態だ。
「悪くないわね…。毎日入るの?」
「世間一般ではそんなに入浴はしない。たまに髪を洗う程度だ。領主の家族や使用人などの関係者になるとほぼ毎日入らないと怒られる」
貴重なお湯を惜しげもなく使える。あの酒臭い領主にもいいところがあるらしいと千尋は失笑する。千尋は入浴の間の暇つぶしにこの世界のあり方、歴史を学習することにした。
「ターニャ、この世界のことを教えて欲しい。在り来りな神話でもおとぎ話でも…」
暫しターニャは背伸びをしてお風呂の心地よさを感じながら、どこからこの自称異世界人に話したものかと考えてもいるようだった。湯船のお湯で顔を拭き、考えがまとまったのか少し波打つ湯船を見ながらターニャは語り始める。
「昔々、この世界はエルフだけのものでした。ある日エルフ達の中で誰が一番なのか決めようと言う話になりました。エルフ達は無限に魔法が使えて長命だったので、みなが賢く、誰もが強かったのです。話し合っても競い合っても誰が一番かは決まりませんでした。そこで誰も見たことのない魔法を使ったものを一番にしようと誰かが言いました」
ターニャはおとぎ話を語り始める。昔家族で幸せに暮らしていた頃、いつも母や姉が寝る前に読んでくれた事を思い出す。不思議と悲しい気持ちにはならなかった。むしろあの日の幸せな気持ちや安堵感を、ターニャは感じているのか少し頬が緩む。
千尋は期待していなかったおとぎ話に俄然興味が湧いた。エルフに魔法とまさに夢物語だ。千尋が黙って聞いているのを確認してターニャはおとぎ話を続ける。
「そこである一人のエルフがすごい魔法を使いました。彼は魔法を使い、自分たちの住んでいる大地を天高く空に浮かべました。それに驚いたエルフ達が彼を称賛し、彼が王様になりました」
空に大陸を…。なんとも夢見がちな子供向けな方向に脱線したなと千尋が思っているとターニャは最後まで言葉を続ける。
「彼の名前はアクロシア・エルディオン。空に浮かぶ国の最初の王様となり、国名になった偉大な王様…。そのアクロシアは今も私たちの上に浮かんでいます。私たちを見守り導くために」
まさかの終わりだった。千尋は今の存在する国がおとぎ話と言う、まさかの結果に度肝を抜かれた。次に思ったのは魔法があるなら自分も使いたいと思った
「エルフに魔法?、人も魔法が使えるの?」
ターニャは首を横に振る。
「エルフは無尽蔵に使えるけど、人間では素養のあるものがたまに居て、初歩的なものを使えるだけ」
千尋が心底残念そうに顔を歪めるとターニャは思わず失笑してしまう。珍しく内面が外に漏れていたことに気がついた千尋は、話の続きを促す。
「これは神話でも何でも無く本当の話で、アクロシアは今もあるの」
今も存在する神話に語られるエルフの国。千尋は神の存在など信じていなかったが、神のごとく振る舞うエルフには少し興味が湧いたようだ。
「エルフしかいなかったのなら、人間は何処から来たの?」
子供のように質問をしてくる千尋に、ターニャは自分も子供の時は家族に質問ばかりしていたなと昔の自分と千尋を重ねて微笑む。不思議と心は穏やかになっていた。
「続けるわね?。エルフたちは優雅に暮らしていましたがいくつかの問題がありました。エルフは王のもとに平等でしたが、王は一つだけ、魔法の研究を禁止しました。王よりもすごい魔法を使ってやろうと危険な行いをするエルフが現れましたのです。王以上の魔力を手に入れるために体を変質させたエルフ…。後に魔族と呼ばれる者達が現れました。王に対して戦いを仕掛け、ほかのエルフを危険にさらす。怒った王様は炎の魔法でこの大地に大穴を開けて、その者たちを大穴のはるか奥深くに封じました。
「それこそ勇者の出番ね?」
千尋が茶化すとターニャはその通りと頷き、話し出す。
「そう、脱線するけど。異世界から来たという者が大昔に時の魔王を倒して世に平和をもたらしたというおとぎ話もあるわ…」
ターニャはちらりと千尋を見ると、あなたは違うわねと言いたげに微笑む。裸が付き合いをしてターニャの警戒心や畏怖の感情がだいぶ薄れているようだ。
「まあ確かに違うね。続けて?」
「アクロシアは荒れ果ててしまいました。住む所以外がなくなってしまったので下界、この大地で農耕や狩猟など肉体労働をするものが必要でした。その為にエルフたちは我々人間の祖、ホムンクルスを作ったのです」
「あなた達は1人1人エルフに作られてるの?」
興味を抑えられない千尋がターニャの息継ぎの間に質問する。勤勉な生徒となった千尋に、ターニャは姉もこんな思いだったのだろうかと失笑しながらも続ける。
「最初の人間はそう。エルフが作ったのだけどエルフの思惑とは違い、生殖本能が強くて人はドンドン増えていったみたい」
なるほどと、千尋は得心がいったかのように頷き笑う。つまり人は産めよ増やせよで勝手に増えて、いつのまにかこの地上でも階級を作り、エルフの真似事を始めたのか思うと千尋は愉快でたまらないようだった。
「それなのにあんた達は平等じゃないの?」
「ええ、そうよ…」
「滑稽な話…。この世界にはエルフと人間、魔族がいるわけ?」
千尋はゴブリンの存在を知っているが口には出さなかった。ターニャから情報を引き出すまでは彼女の精神が安定していなければならない。
「ほかは…、獣人、ダークエルフ、あとは…魔物ね」
ターニャは自分を落ち着かせる為に両手でお湯をすくいそれ眺めては流すのを何度か繰り返すと決心したように話し出す。
「何でも魔族たちが地下世界で繁栄して交配していたらしいの。種族としては長命なのだけどまれに能力の低い短命種が生まれたみたい。で…短命な種族ほど…その…、性欲がつよいみたいで交雑して魔物になったって話」
短命で能力が低くいほど性欲が強い、人間もそうだと千尋は茶化そうと思ったが、自分もそのくくりの中にいるのを思い出して言うのをやめた。
「あとは魔族は研究や、実験が好きだから他種族との交配を好む者もいたらしくて、魔物と人の間に獣人、魔族とエルフの間にダークエルフと言う種族がいる。獣人は見かけるけど…。私はダークエルフは見たことがないわね」
こんな所と言いたげにターニャは背伸びをして風呂を上がる。ターニャの鍛えられた健康な肉体を滑るようにお湯が流れる。千尋もあとに続き湯船から上がる。好奇心に大きな胸を膨らませて。




