善人の仮面
奇しくも千尋とターニャが同じ事を思っていたその時、騎士団がアリシアを探して、馬を走らせていた。
アリシアに持たせていた魔導具と対を成す水晶球が赤く光り、持ち主の身の危険を知らせていたからだ。アリシアの居場所も分からず、ろくに整備もされていない、名ばかりの街道をひた走る騎士団の一行。その顔には、曇天のような焦燥の色がさしていた。
男達のアリシアを呼ぶ声とガチャガチャと甲冑が擦れる音、馬の嘶き、蹄の音が3人に聞こえてくる。声のしたほうを見やれば、全身鉄の鎧に身を包んだ一団が、駆け寄ってくる。
先頭でやって来る騎士は、一人だけ兜を被っている。兜の天辺には、赤い飾り羽が揺れている。紡錘陣形の如く、後ろに七名の騎士を引き連れ、腰を浮かせて早馬を駆る姿を見るに、この一団の中において身分が高いようにも見える。
面倒な連中の登場に千尋はため息をつき、ナイフをしまった。そのため息を合図に、たちまち常識人のように振る舞う。景山千尋は知っているのだ。第一印象が良ければ、人は信じる。そして、人の感情を制御出来る事を。
その僅かな機微に、アリシアやターニャが気が付くことはなかった。二人はゴブリンに襲われる窮地は脱したが、不安が全て払拭された訳ではなかったからだ。騎士団の方を見つめて、安堵の息をつき、アリシアは騎士の一団に手を振る。
「ランドルフ!ここです!」
「アリシア様!ご無事でしたか!」
アリシアたちまでもう少しをいうところまで近づくと先頭の騎士。ランドルフは、手綱を引く。馬は嘶きともに前脚を上げて急停止した。
乱暴な止め方にも関わらず、ランドルフは体勢がブレることがなかった。いち早く馬を降るとアリシアの元まで駆け寄ってくる。そして、ランドルフは兜を脱ぎ小脇に抱え、肩で息をしながらもアリシアの足元に跪く。
素顔が見えたランドルフは年の頃で言えば30半ばで、しっかりと体が鍛えられており、筋骨隆々。ランドルフが腰にぶら下げている長剣を振るうためか、下半身よりも上半身が大きく力強さを感じる。威厳を保つためか口髭をたくわえているが、まだ伸び切っておらず、少し不格好に見える。
傷みを感じさせる鎧を着ている割に、ランドルフが小脇に抱えている兜の装飾だけが色鮮やかだ。千尋はこの騎士が放つ、微かな違和感に目を細め、僅かだが、口角を上げる。
ランドルフのいう騎士が跪き、アリシアが無事だった事に安堵の表情を浮かべている。心なしかランドルフの呼吸も落ち着いてきたようで、肩の上下運動は収まりつつあった。
騎士姿のランドルフが慌てて探しに来た事実に、アリシアの身分の高さを理解した千尋は、ランドルフの真似して同じように跪く。
その千尋の所作を見たアリシアは、顔赤らめつつ、小躍りをするように跳ねながらターニャに視線を送る。そのターニャはアリシアの視線の意味など理解できないほど、千尋の豹変ぶりに呆然としている。
「ご苦労でした、ランドルフ。この方が私たちをゴブリンの魔の手から救ってくださいました」
勇者を得たりと思っているのか、アリシアは含み笑いが我慢できず、喜びが顔に出ている。そして、慎ましい胸を張り、誇らしげにしているようにも見え、ランドルフは驚愕する。
「まことですか!」
アリシアの身に何かあれば、危うくランドルフは文字通りに首が飛ぶところだっただ。立ち上がると命の恩人の千尋に向かい直り、右手を胸に当てて礼をする。
「ゼルディアの騎士団長、ランドルフと申します」
武器を持つ手を封じることで相手に礼を示す。この世界独自の礼法に倣い、千尋も立ち上がると、左手を胸に当てて礼をする。
左手で行われた事に、ランドルフとアリシアが首をかしげる。少し下がった位置にいるターニャだけが、千尋の不可解な行動に警戒して、瞬きもせずに様子を見ている。
ターニャは千尋の豹変ぶりに違和感を拭えない。ゴブリンを嬉々として撲殺し、魔物すら逃げ出した狂気を見たからだ。本質的な匂い、振る舞いがゴブリンと一緒だと、ターニャの過去の経験が警鐘を鳴らしている。
「千尋です。失礼、利き手が左なものですから」
そんな警戒する様子のターニャを、千尋はアリシアたちに礼をしながら横目で観察する。この状況で警戒を解かないターニャをどうするべきか、考えながら千尋は顔を上げる。
ランドルフとアリシアは顔を見合わせ、得心がいったと一度頷き、そして礼節ができていると、感心するようにまた頷いた。
「千尋様!」
「千尋どの、そなたがいなければ我々は大変なことになる所であった。重ねて礼を言う」
アリシアは千尋の名前を何度も呟きながら、また小躍りしている。アリシアが興奮した様子で、ピョンピョンと跳ねるとドレスの裾が少し浮かび、慌てて手で抑えて苦笑している。
ターニャだけが、この千尋の異常性に気が付き困惑していた。自身の不甲斐なさでアリシアを危険にさらし、このような輩に懐をさらしてしまった自責の念にターニャは囚われる。
幼少期の出来事が原因で、ゴブリンが苦手な事を知らなかったとはいえ、千尋に助けられた屈辱にターニャが唇をかみしめ、下を向いているとランドルフが叱責してくる。
「ターニャ!護衛のお前がついていながら、何という失態だ!」
怒髪天を衝くとはいかないまでも、怒りと苛立ち隠さずにランドルフはターニャを叱責する。ターニャの感情は目まぐるしく変わっていた。ゴブリンへの恐怖、千尋という輩への警戒。そして失態を謗られ、屈辱を味わい目が回るようだ。
「ターニャがゴブリンがダメなのを知らなかったのです。私の失態でもあります……」
アリシアが言葉を詰まらせる。ターニャは護衛として、情けなさに唇を噛みしめる。すると千尋がランドルフを諭すように話しかける。
「ターニャ殿が身を挺したからこそ、アリシア様が無事なのです。非礼を承知で言いますが、上に立つものは信賞必罰、合わせ持たなければなりません」
もっともな事を口にする千尋に、ランドルフも溜飲を下げるしかなかった。
ターニャは意外な人物に助け舟を出され、困惑と緊張状態、そして傷口から流れる出血のせいもあるのか、頭がふらついてしまう。
その様子にいち早く気がついた千尋が、ふらついたターニャを抱きとめる。途端にターニャは、嫌悪感から背中に虫唾が走った。が、頭が重く、視界が狭まったように感じるターニャは拒絶も反論もできなかった。
アリシアは、千尋がターニャを抱きしめたのを見て、羨ましそうに二人を見つめる。そのアリシアの様子を見て、アリシアの中にある願望に気がついた千尋は、弱点を一つ見つけて内心ほくそ笑む。
そしてターニャを抱きとめる千尋の手は、後ろからターニャの首元に回されて、内頚動脈を圧迫する。何をするのかとターニャは、千尋の顔を見ようと顔を上げた。
ターニャが薄れいく意識のなかで見たものは、千尋の歪んだ張り付いたような笑顔だった。




