顔無しの怪物
マリアベルが外へ出ると、空を駆ける金色に輝く物体がゼルディアを、このフィル・ブライヤの屋敷を中心に旋回しながら減速を始めていた。
「なんなんだ!あれは!」
マリアベルは胸が高鳴っていた。冒険者をしていた時ですら、こんな荒唐無稽な光景は見たことがなかった。
緩やかに速度を落として、フィル・ブライヤの屋敷の上空を滑るように降りてきたそれは、先ほどまでのまばゆい光は鳴りを潜め、液体の中を泳ぐ針状の結晶をしっかり視認できるまでになってきた。
「あれは……エーダフォスト王家の?」
ウルブリヒトが、飛行船の船体に刻まれたエーダフォスト王家の紋章。ルナミリアの灯火を発見して息を呑む。
「お、王家ですか!」
王家と聞いて、ハロルドが狼狽える。事なかれ主義の執事長には荷が重すぎるのか、少しばかり髪の毛の張りが悪くなったかのように見える。
「まさか。アリシア様たちの身に何か?」
かつてノアが手ずから作り上げた庭園に、レオニスの船が静かに降り立った。アリシアたちの身を案じるカッツェの心配とは裏腹に、飛行船からアリシアたちが気持ち悪そうに降りてきて、マリアベルたちは瞬きを繰り返すのみで呆然としている。
「もう少しまとな降り方はないわけ?」
異世界人の千尋からすれば、遊園地の遊具に乗った後のような浮遊感を感じるが、アリシアたちが感じた、天と地がひっくり返ったかのような恐怖を感じてはいなかった。
「まさかあそこまで速度が出るとは思わなんだわ」
飛行船に供給過多の魔力を注ぎ、急加速と急減速を楽しんだ諸悪の根源。クロエは自身で操作していたが故か、身体的な異常も感じさせずにケラケラと笑っている。
「お前たちはなんで平気なんだ?」
ターニャがアリシアの背中をさすりながら、千尋のクロエ、そして同じくケロッとしている獣人のと魔族の仲間たちを見ている。
「んなもん、気合が足んねぇんじゃねえのか?」
「アタシたちは、自分でもやるもんね?」
クリーゲインが、獣人の持って生まれた三半規管の強さを、気合の一言で片付け、魔族のシュナレは、自由に空を飛べるが故に、共感性に駆ける返事をしてケラケラと笑っている。
「人って大変なのね?」
ふらつくターニャに肩を貸しながらメネシオンは、人間2人に同情する。そして、同じ人間でありながらふらつきもしない千尋に、ターニャとメネシオンは、バケモノでも見るかのような冷たい視線を送る。
「私のいた世界には、もっと早い乗り物があるのよ?」
「マジ……?」
信じられないと絶句するターニャに代わり、メネシオンが呟くと千尋は、満足気に笑う。そして千尋は、駆け寄ってきたマリアベルたちを見つけると手を挙げて挨拶をする。
「戻ってきたわ」
素っ気なく分かりきった事実を告げる様な挨拶する千尋に、マリアベルたちは苦笑いで返す。その反応に、マリアベルの性格を思い出したように、千尋は瞬きをする。
「レオニス王から借りてきたのよ?世界を巡るためにね?」
「世界を巡る?」
マリアベルが驚きと憧れ、そして嫉妬が混じったような曖昧な表情で千尋たちを見る。勇者に憧れ冒険者をしていたマリアベルからすれば、まさに冒険譚のような話で素直に受け止める方は出来ないようだ。
「なるほど……。それでは、ここには長居はしないのですか?」
ウルブリヒトがマリアベルの隣まで歩み寄ると、千尋に問いかけてくる。どこまでも理を追求する彼らしい着眼点で、勇者一行の予定を確認してくる。
「旅の準備が整うまでは、いるんじゃないかしら?」
「では、あまり平民街には近づかないようにして下さい。最近、顔のない怪物が出て、女性を襲っているとか……」
ウルブリヒトが言う怪物の特徴に、千尋とターニャは心当たりがあった。かつて千尋が再起不能にしたノアだ。
「その……怪物と言うのは、どんな?」
ターニャが千尋の横目で見ながらウルブリヒトに尋ねる。知る限りを思い出そうと左を向くウルブリヒトは、そのターニャの機微に気付くことはなかった。
「それが鼻と口がないようで……、だから顔無しの怪物と呼ばれているようです」
「それは大分、歪に育った怪物ね?」
千尋が自嘲するように微笑みながら、自らが世に放った怪物を思う。
「何を呑気な……。実際殺されている女性もいるのですよ?」
千尋の反応に頭を抱えるウルブリヒトとターニャ。ウルブリヒトは、千尋の欠落した人間性を思い出してため息をつき、ターニャは、悪びれる雰囲気もない千尋の人間性の無さにため息をついた。
「てことは、生き残ったヤツもいるのか?」
クリーゲインが、ウルブリヒトの話に食いつく。守護騎士団の一員としては、人死が出てるとなれば放ってはおけないと、いつもよりも眉間にシワを寄せてウルブリヒトを見る。
「こちらは?」
名乗りもせずに話しかけてきたクリーゲインに、ウルブリヒトは眉をひそめる。クリーゲインは普通にしているつもりでも、口が悪く目つきも悪いのなれば、ゼルディアの執政官が警戒するのも無理はない。
「クリーゲインだ。陛下の守護騎士団の騎士だ」
そのクリーゲインの言葉に、ウルブリヒトは一瞬驚いた様に眉を動かした。すぐさまいつもの顔に戻ると、守護騎士に礼をして名乗る。
「これは失礼を。領主マリアベル様の元で、執政官を務めています。ウルブリヒトです」
非の打ち所のない礼をするウルブリヒトに、クリーゲインは手を挙げて応える。興味があるのはウルブリヒトよりも顔無しの怪物のようで、すぐさま、クリーゲインは話を戻した。
「分かった。それでウルブリヒト。生き残ったヤツはいるのか?」
「生き残りがいるから、顔無しの怪物の話が広まってるのでしょう。馬鹿なの?」
少し推察すればわかることをわざわざ聞く、クリーゲインの馬鹿正直さを鼻で笑う千尋。千尋と違い笑いはしないが、ウルブリヒトも意見が同じようで頷く。
「うっせーな!こういうのは段取りが大事なんだよ!」
それも然りとウルブリヒトは頷き、クリーゲインの質問に答えることにしたようだ。
「目撃者は皆女性なのですが、見向きもされなかった者もいれば、命を落とした女性もいて、何故なのかは分かっていません」
「被害者はメイドか黒い髪の女性でしょ?」
千尋が言った言葉に、周りは困惑する。ターニャだけがその意味を理解しており、顔を青くしている。
「確かに……。最初の被害者はメイドでした。何故それが?」
千尋はにやりと笑う。
「可愛さ余って憎さ百倍って言うでしょ?」




