勇者の泊まった宿
オークの臭さが染み付いた千尋達は、宿の店主に名実ともに鼻つまみものにされ、何とか風呂に入り体を洗い流しているところだった。
「最初、宿に入るなって言われた時はビビったよね?千尋の屁理屈もまぁまぁ驚いたけど」
そう言って笑うメネシオンは、健康的な褐色の体を泡で包みこみながら、腕を洗っている。
「当たり前でしょ?他の客の迷惑とか適当言うからよ」
千尋は同じく丁寧に体を洗いながら、店主をやり込めた自身の性格を悪びれもせず口角を上げる。
実際、店主が口にした建前を、千尋は疲れ切った冒険者を泊めない宿と拡大解釈し、大声で話し、衆目に晒すことで店主の評判と一時の我慢を天秤にかけさせた。
「あんな言い方されたらいれるしかないっしょ?」
シュナレが豊満な胸を念入りに洗ってながら、笑っている。
「なんでそんなに丁寧に洗うの?シュナレ」
シュナレの雑な性格を知るメネシオンが、疑問を口にする。その疑問に、シュナレはにやりと笑いメネシオンに耳打ちをする。
「これはアタシだけのものじゃないから……」
その言葉にメネシオンが顔を真っ赤にして狼狽える。
「わかりきった事聞いて、狼狽えるのやめたら?」
泡を流し、立ち上がった千尋が赤面するメネシオンを文字通りに見下す。そうして言いたいことだけを言って、千尋は脱衣場へと向かう。
アリシア達が宿に戻ったのもこの頃だった。宿受付では店主が項垂れており、食堂のテーブルにチュクチが疲れ切った顔で突っ伏していた。
「あの……どうしたのですか?」
アリシアが心配そうに2人に声をかける傍らで、クロエとジャギーは宿の異常に気が付いていた。
「なんか臭いよ?」
ハーゼに抱かれているジャギーは、何の匂いか分からずに匂いを嗅いでは、口を半開きして変な顔をしている。
「なに?ジャギー。変なの!」
ハーゼが呑気に笑う中、経験豊富な冒険者クロエは知っている匂いに顔をしかめる。
「これは、オークの体臭のようじゃが?」
「オーク!」
ターニャがその言葉に身構える。が、冷静になれば、町中にいるはずもなく咳払いで誤魔化した。
「おるわけないじゃろ?」
少し冷めた目をしながらも、クロエはニヤニヤとターニャを見る。するとそのやり取りに気がついたチュクチが真実を伝える。
「商業ギルドの依頼で鉱山に行ってきたんです……。ボスオークが凄く臭くって……」
「オークの体液でも浴びてきたか!」
クククっと喉を鳴らしオークの体液まみれの千尋達を想像してクロエは笑う。その呑気な反応に、宿の店主はため息をついた。
「あんたらのお仲間、相当ひどいぞ?」
店主の言うそれは、臭いというだけではなく、千尋に半ば脅されたと言う嫌味も含んでいる。が、アリシアはそれに気がつくこともなく、千尋達の身を案じる。
「チュクチ、千尋様たちは無事なのですか?」
「元気も元気。大元気だよ……」
聞かれてもいないのに店主が答える。優しいアリシアに同情してもらい、ささくれた心を少しでも癒やしたいようだ。
「ええ、お怪我はありません。今は……」
2階の廊下から千尋の足音がして、チュクチが階段を見上げると、風呂上がりの髪を拭きながら千尋が降りてきた。
「あら?帰ってきてたの?」
「残念じゃのう?もう少し早く帰ってきておれば……」
さっぱりとした姿の千尋を見て、クロエが悔しがる。その反応を楽しむように千尋が微笑む。
「本当よ、あんたがいれば、宿の評判にキズがつくこともなかったのに……ねえ?」
千尋の言葉に店主が年甲斐もなく、泣き出すのではないかと言う悲しそうな顔をする。
「何を言ったんだ?」
ターニャがその店主に同情するような顔をして、階段を降りてくる千尋を見上げる。
「臭いから入るなって丁寧語で言われたから、こっちも丁寧語で返しただけよ?」
「丁寧語って……」
呆れたように肩を落としターニャが真実を話せと食い下がる。
「疲弊した冒険者を泊めない宿があるなんて、驚きを禁じ得ないって言ったのよ?衝撃的すぎて少し声が大きかったかも知れないけど?」
「それは……ひどいな……」
ターニャが呟く。もちろん、宿がひどいという意味は欠片もなく、千尋がひどいと言う意味で。
「まぁ、いいじゃない。王都へ向かう神託の勇者を泊めた宿だもの。後々箔が付くでしょ?」
その言葉に宿の店主が顔を上げる。
「は?勇者様?」
アリシアが店主に向けて頷くと、店主の顔が一気に明るくなる。
「本当に……?」
目の前の現実を処理できていない店主に、微笑みながらもう一度アリシアが頷く。
「えっと……皆さん、お疲れでしょうから。今からでもなにかご用意しましょうか?」
現金な店主に千尋は肩をすくめて、鼻で笑う。
「じゃあ、肉を焼いてくれる?肉が食べたい気分なの、脂身はないやつね?」
翌日。フィルミナの出入り口には6台の馬車が並んでおり、元奴隷達がフィルミナの商人ギルドの定期便に相乗りして旅立つ準備をしていた。
「相乗りと言う規模ではないですね……」
前日の商人ギルドでの千尋とのやり取りを思い出し、コレットは眉間を押さえてため息をついた。
ゼルディアへの定期便は通常、馬車1台分の荷物が精々だった。だが、今ではその1台を含み、さらに5台の馬車が並んでいる。
「なかなか豪華になったじゃない?コレット」
千尋がアリシア達と共に車列を見送りつつ、自分達も旅立つ為に、馬車を引き連れやって来た。
「ゼルディアのフィル・ブライヤ家の3女、アリシアと申します。この度はありがとうございます。護衛の皆さんまで……」
深々と頭を下げて礼をするアリシア。車列の前後に護衛の馬車があり、千尋の言う通り壮観な車列になっていた。
「……いえ。商人ギルドとしては、しっかり約束は果たしますので」
領主一族の娘が出てきて面食らったコレットは
、丸眼鏡の位置を直すふりをしながら千尋を睨む。
「さすがね?」
表面上褒めている千尋だが、勝ち誇るように笑っている。千尋とコレットの中にある、複雑な感情など知る由もないアリシアは思い出した様に便箋を取り出した。
「こちら、お手紙が3通ございます。1通は我がゼルディアの領主、マリアベルに宛てたもので」
手紙を受け取り、コレットの視線が少し下がる。貿易都市と名高いゼルディアの領主の名前が突然出てきて、コレットの顔はほころぶ。
「これを届けるのですね?」
「はい、よろしくお願い致します。こちらはゼルディアの商人ギルドマスター、ヴィクトールさんに宛てたものと、ゼルディアの孤児院に宛てたものです」
計3通の手紙を受け取ったコレットは、先程までの敗北感などなかったかのように微笑むと、真っ直ぐにアリシアを見る。
「かしこまりました。このフィルミナ商人ギルドマスター、コレットが責任を持ってお届けします」
本当は同行する気などサラサラなかったコレットだが、領主と会えて面識を持て、ヴィクトールを介さずに商談が出来る可能性に胸が踊る。
「頼んだわよ?」
互いに勝ちを譲らずに睨みながら微笑み合う、千尋とコレットを見て、馬車を駆るチュクチは既視感のある情景にため息をついた。
「じゃ!皆、頑張ってね!」
メネシオンがフィル・ブライヤ家の馬車から顔を出し、元奴隷たちに手を振る。
「メネシオン様もお元気で!」
何人もの子供に、笑顔を向けられる自称魔王は気恥ずかしそうに鼻の下を指で擦ると満面の笑みを返す。それは女神ハーリスが神託を授けた救国の勇者そのものに見える。
「なんでメネシオンが人気なの?」
斜に構え少し不服そうな千尋が呟く。その様子を見て、アリシアとターニャが微笑む。
「なら、今度は千尋がメネシオンの様に、先頭に立つんだな?」
ターニャが千尋の肩に手を置いて、嫌がるであろうことがわかりきったように微笑む。
「ごめん被るわね。それはアリシアに任せるわ」
「はい!」
アリシアは満面の笑みを向け、千尋に返事をしてその頬を千尋に引っ張られる。
「いつの間にか、一人前の返事をするじゃない?」
千尋はアリシアの笑顔を崩しながら、珍しくアリシアを褒めるのだった。




